投稿

2016の投稿を表示しています

あの頃とは違うこんな歌

悲しくて苦しくてキツくて、そんなことが実はめちゃめちゃ多い一年だった。何にも見えなくなって考えたくなくって、すべてを投げ出して中標津に帰りたいって、毎月のように思った一年だった。色んな人と出会って、話して、この目で見て、この耳で聞いて、この足で行って、色んなことを感じれば感じるほど葛藤が生まれてくるし、でも全てがきっとボイガルに繋がってゆくと思って色んなことをして色んな人に会ってきたし飛び込んだつもりだったけど、そうすればそうするほど、ボイガルは後退していくばかりで、誰にも言えないことがどんどん増えていって酒ばっか飲んでた。たくさん飲めば楽しくなって昨日のことは忘れて「飲みすぎたなー、気持ち悪いなー」ってことだけ考えれたから、ひたすら飲んでた。でも友達や仲間と飲むお酒は本当に美味しかったし楽しくて、ずっとこんな時間が続けばいいなって何度も思った。歌を歌うということに逃げることが増えたから、2017年はそうはなりたくないし、そうじゃやくて、聞いてくれる人や僕の音楽を好きになってくれた人が安心して逃げてこれるような歌を歌えるように強くたくましく誰よりも冷たく大きな声で、そんな風にいれたらなって思ってます。

一生懸命向かって来てくれる人には一生懸命向かおうと思う。


「 悲しい時に浮かぶのいつでも君の顔だったよ」

ジェットコースターは苦手だ

十三駅で降りたとき、向こう側のドアから降りてきた女の子が僕のところに駆け寄ってきた。その子は、「あの、ボイガルの、!ボイガルのシンゴさん…!」と声をかけてくれた。何かを言いたそうな顔をしている。うまく、言葉にできなさそうな顔をしている。僕は少し待った。するとその子は「私、聴力がすごく落ちてしまって爆音のライブハウスには暫くライブ見に行けなくなっちゃったんですけど、すごく応援してます!!大好きです」と最高な笑顔で話してくれた。僕はその時、「ありがとうございます、いつでもいいよ。いつでも来れるときにおいでね」と、いつもの調子で言ってしまうところだった。ライブハウスなんて、ライブなんて、行きたいと思った時に色んなタイミングがうまーく合ったときに好きなときにいつでも来てくださいってことはいつも心から思って言ってること。でもどこかで、この言葉が当たり前のように繰り返しのように使っていたのかもなって気づいた。だってその子は、今は、ライブハウスじゃないのにね。一瞬でハッとして、僕はその子に「ありがとうございます、そうなんだね、じゃあ…CDとかだ。新しいCD、すぐ出すから待ってて」と言った。その子は嬉しそうにしっかりと僕の目を見て「はい!!!」と言って、握手をして階段を降りていった。レコーディングもしていなければ、リリースも決まっていない、僕の渾身の、いつになるかさっぱりわからない口約束。あの子はずっと待つだろうし、もしかしたらこれから毎日期待してくれるかもしれない。勿論あの子だけじゃなく色んな人が待っててくれているかもしれない。あの子に出会えてよかったなと思った。十三駅からファンダンゴまで向かう5分間で色んなことを考えた。トムボーイズが待ってる。行く、ライブする。

ファンダンゴに着くとトムボーイズがファンダンゴに電飾をつけたり無数の旗をぶら下げたりしていた。彼女らなりのロックンロールショウへの準備。ワクワクした。河内REDSのライブが終わって、僕らの番。女の子たちに混ざりながら、若い男の子達が拳を上げて、まるで、「シンゴさんぶっ放してくれ、頼むよ」というような顔で僕らの歌を一緒に歌ったりしている。今年は後半になって男の子達が来てくれる数が特に西日本は増えた。彼らを見てると抱きしめたくなる。僕は男の子だから、彼らを見てると抱きしめたくなる。懐かしい曲を2曲やった。バンドでやったの…

死ぬには若すぎる(イクには早すぎる)

日中の最高気温が6度近くもあったもんでおかげで夜になれば道路はツルツルだ 足元ばかり気にして転ばないように無様な姿は見せないように必死に歩を進めるしかなかった 無様な姿は見せないように 何かあれば行く回転寿司屋に、何もないのに入った俺は、サーモンとえんがわを最初に食べたところでとてつもない虚しさに襲われて、そこからは闇雲に皿を重ねた ひとり、カウンター、角の席 2430円が白い息となりサブロクの空に消えてった
そういえば昔、「会おうと思わないと会えないからね」と言われたことがあったけど、あの時俺は会いたいと思っていたんだよ 会いたいと思っていたのに会えなかった、ただそれだけだったのにさ 何であんな言い方をされたんだろう、俺は会いたいと思っていたのにさ 会いたい人がいて、でも会いたいといくら思っても会えない時は会えないんだ だからどうせまた会えないと思ってしまうんだ だから誰にも会いたくないと思ってしまうんだ さっき寿司屋を出る前最後に飲んだ一杯のお茶がかろうじて体をあったかくしてくれていたのが救いだな、心はキンキンに冷えきって、まるで昨日飲んだビールじゃねえか
適当に歩いて、気づいたら大通南改札の前にいた 行く当てなんてないのにさ、どうしちゃったんだろうな 切符もないしまっすぐ帰ろう、引き返してポールタウンの入り口をくぐった すれ違う人、追い越してく人、全員俺のことなんて知らないし俺もお前らのことは知らないが どこに行くんだろう、なにをしてるんだろう、どうして気になってしまうんだろう そしたら一人の女の子が後ろから走ってきて俺の横に来たのが視界に入った 俺がイヤホンを外すとその子は「いつもラジオ聞いています」と握手の手を差し出してきた 俺がありがとうと言って握手をすると、その子はサッと走って友達のところへ戻っていった あ、ちょっと待ってよ、もう少し話をしないかいせっかくだし 最近こんなことがあったんだとか、例えばそうだな、君がいつも聞いてくれてる俺のラジオのこととか何でもいいんだ、何でもいいんだけど、そんななんか、変な下心があるとかじゃなくて、ほんとにただ、ほんの少しでいいから話をしないかい
なんてこの俺が言うわけも言えるわけもなく、何もなかった顔で平然と前を向いて歩き出した だってもう22時だし 3歩進んで振り返るとその子の姿は見えないし、酔っ払った若者と目があってしまってビビって咄嗟に目を逸らした
「“もういい…

本当は誰かにわかってほしかった

イメージ
ブログに残せなかったこの一ヶ月で、僕は僕なりに色んなことがあった。僕は僕なりに色んなことを思った。言えなかったことも、残せなかったことも、綴れなかったこともたくさんあった。できなかったことも、行けなかった場所も。でも、もちろんその逆で、色んなことができたし歌えたし、色んな人に会えたり、話せたりもあった。生活は常に、向こう側と隣り合わせだね。




全部を思い出せないから、ほんの数日前の話を。載せる写真は全部ミナミフウコさんが撮影したもの。大切な写真なので、見て楽しんでください。


9日、一時間半ほど遅れて飛行機は離陸。久しぶりの福岡空港へ。空港について、ビールを一杯買って、20時半のバスで熊本に向かった。バスの中で、路上やりたいなって思ってツイッターに「どなたかアコギを貸してくれませんか」と投稿。すぐリプライをくれた方がいて、熊本について下通のカラオケ館の前へ向かった。アコギを持った女の子が待っていてくれて、「ありがとう」と言ってアコギを借りて適当な場所を探した。帯屋の前に決めた。僕とアコギを貸してくれたその子と聞きに来てくれた子と三人でそこに座り、僕は歌い始めた。下通は、週末ということもあって考えられないくらいの人、考えられないくらいの酔っ払いがいた。3曲ほど歌ったところで聞きに来てくれた子が終電のため帰った。それから、何度か酔っ払いたちが立ち止まっては褒めてくれたりしながら、一時間ほど歌って路上は終わった。アコギを貸してくれた子と下通の入り口まで一緒に歩いて、今日はありがとうと別れて、僕はホテルに行った。なかなか眠れなかった。


10日、撮影のため東京から来るフウコさんに昼前に連絡。「何時に着くの?」と聞くと「もうついております」ときたから、「熊本城を見に行きたいからちょっと付き合って」というと「私も行こうと思っていたのでナイスタイミングです」とのことだった。もしかしてフウコさん一人で行って色々感じたかったかなと思いつつ、ここは僕のわがままに付き合ってもらおうという思いが余裕でウルトラ勝ったので、「わーい」と返し、すぐに合流して熊本城に向かった。

入り口にいた、警備のおじさん。熊本城をまわるのに、ここからだとこんな風に見えるよとか、色々なことを教えてくれた。「全部周ると1時間はかかるとおもうけど、見てたら一瞬だよ。最後は市役所14階まで上がってみるといい。熊本城の凄さと綺麗…

いつもみたいに止ませてみせよう

イメージ
昨日「僕と私と音楽の力」というイベントに、ソロで出演。共演は宮崎のベランパレードのボーカルのあび、函館の歌うたいのまえだゆりな、そしてボイガルのドラムのカネコトモヤ。どういうイベントだったかはツイッターなどで検索してみてください。
昨日の朝、あびに連絡をして「札幌着いたらご飯食べてから会場行こう」と誘った。あびからは「いいよー」ときた。すぐゆりなに連絡をして「あびとご飯食べてから会場行こう」と誘った。ゆりなからは「いいですよー」ときた。トモヤさんは誘うの忘れてた。僕ら三人は狸小路3丁目で待ち合わせ。僕がすすきの駅の地下に降りた時、あびが横からひょこっと現れて「え、おい、あび」となった。待ち合わせ場所に着く前に僕らは合流して、狸小路3丁目に向かった。ゆりなが少し遅れて到着した。明らかに元気がない。ゆりなは開口一番、「自転車に服が巻き込まれて転びましてひかれそうになりまして自転車で来るのをやめて地下鉄にして迷いまして、すみません、、、」という。朝から大暴れのまえだゆりなであった。雨の駅前通り、傘をさして僕らはスープカレーを食べに行った。ゆりなはカレーにずっと感動していた。カレーを食べ終わって、まだ時間があったので近くの喫茶店に行った。ゆりながお腹いっぱいになったせいで眠たくなっていた。気づいたら「2個上の先輩」というテーマで僕らは会話を繰り広げていて、あびの中学の時の2個上の先輩の話は思わぬ方向に広がっていき、お腹がちぎれるんじゃないかってくらい笑った。本当にすごく疲れた。いい時間になったので三人で地下鉄でリボルバーに向かった。雨が降っていた。
会場に着くと、呼んでくれたはなちゃんという子が、黙々と作業をしていた。星を作っていた。それぞれリハーサルをして、オープンまであと30分くらい。昨日は僕が出番最後だったんだけど、今日みたいなイベントだし最後に何かできたらなとありきたりのことを思って、「最後に四人で一曲やろうよ」という話を持ちかけた。みんな、やろうやろうと即決。サビだけ考えて、一人ずつAメロを即興で回してサビ、の繰り返しで行こうとなって、サビのメロディーと歌詞だけ考えて「こんな感じで行こう」という話になったところでオープンの時間になった。トモヤさんがライブして、ゆりながライブして、あびがライブして。あびのライブの途中で僕は一旦外に出てみた。数時間前に降っていた雨は…

君と出逢えて本当に良かった

イメージ
2日の夜、路上をやった。すごく寒かった。修学旅行から帰ってきた足で来てくれた高校生は制服のままだった。近くにいた人が、マフラーかなんかを貸してあげていて、なぜか僕が嬉しくなる光景だった。寒い空に響け僕の声(歌はカバーだけど)と、声高らかに歌った。終わって、僕は気分が良くて、一人でお寿司を食べに行った。食べてる時に歌いたくなってきて、もう一度路上を始めた。日付はとっくに変わっていたけど、なぜか結構聴きに来てくれた人がいて、ハテナとハッピーが同居しまくっていた。バンドマンみたいな3人組がこちらを見ていることにきづいたけど、誰かわからなかった。しばらくして、その3人組の一人がビールを持ってきた、その人は「国吉亜耶子」だった。東京のAndareという二人組のボーカル。国吉亜耶子and西川真吾Duoという名前から最近改名したの、Andareに。僕の大好きな大好きなバンド。何度も路上で歌ってきてるバンド。その国吉さんだった。もちろん西川さんもいる。そっか、明日札幌ライブだもんなって思って嬉しくて嬉しくて、Andareの歌をうたった。真正面で聴いてくれた。何だか涙が出てきた。サポートギターとして来ていた、僕とモンスターの星くんもいた。星くんじゃないですかー!!って騒いだ。僕とモンスターも、大好きな大好きなバンド。3人は手を振って狸小路からいなくなった。たくさん歌って笑って喋って、寒さすらも愛しいそんな日だった。

3日、Andareのライブを見に行った。多くは語らず。来てよかったの一言。

4日、午前中にケントボーイズがインフルエンザで東京いけないことが発覚。ライブを3人でやることになって、夜東京について僕はとりあえず一人でスタジオに入った。

5日、サンライズジャーニー。大学の学祭の中で学校の地下の隅っこで行われた、ロックイベント。思いは色々あったけど、楽屋のホワイトボードや、随所随所に、呼んでくれた子の思いは被さっていた。いい日になると、そんな気がしていた。チケット代は、来たお客さんが決めるという投げ銭制。なかなかハードルが高いが、グッと近寄ることができただろうか。誰もわかってくれなかった夜に、日の光を差すことができただろうか。まちぶせでダイブした。気持ちが高ぶってしまった、それだけさ。50分、あっという間だった。
イベントが終わり、ベランのコータ以外の3人と、呼んでくれた帆南ち…

夜は白く、朝は青白く

イメージ
昨日のことを書きます。


10月31日
夕方にノースウェーブへ入り打ち合わせなどをして、19時からラジグル生放送。ハロウィンということもありそんな話題も出したりしながら。僕は別にハロウィンを楽しんでる人たちに何もされていないし別にアンチでもないので、いいなあとも邪魔だなとも思わないタイプなんだけど、渋谷とかのゴミの写真とかを見ると単純に「何のゴミだ?」という疑問は抱いてた。例えば野外フェスとかで飲み物のゴミが落ちてるとか、お花見シーズンにお酒の缶とか焼肉のやつとか、夏休みには花火のゴミが落ちてるとか、そういうのはピンと来るじゃないですか。でも、ハロウィンって「仮装して街を練り歩く」じゃないですか。いや、きっと、他の楽しみ方もあると思うんだけど大まかに言うとそんな感じだと思うんです。メインはきっと仮装。だからせめて、仮装のゴミが出てほしいんです僕は。実際に少しは出てると思うしそもそも「ゴミが出てほしい」って意味不明だけど。出てほしくないけど。きっとほとんどは、結局お酒とかそういうゴミだと思うの。まあいいやそれは。僕は来年こそ、おいなりさんの仮装をしたい。そんなことをラジグルの時にほんの少し話したりして。そして番組後半で、モノブライトの桃野さんが急遽スタジオに来てくれて5分くらい話して。桃野さんは別海町出身で、僕は中標津町出身で、地元が隣町で。その話でひとしきり盛り上がって桃野さんはすぐいなくなった笑
放送が終わってチームラジグルでこれからの話だったりをして、気付いたら一時間半くらい経ってて、22時半頃ノースウェーブを出た。マイアコギ・木暮を持ってきていたので急遽路上をやることにした。

23時前に狸小路につくと、3丁目はハロウィン一色になっていて通り抜けるのが大変だった。渋谷とかはこれの何倍もいるんだろうなと思うと、札幌は平和だなと思った。3丁目を抜けて2丁目に入ると、こんなにもか!ってくらいハロウィン感がなかった。札幌は平和だなと思った。30分くらいでやめようと思っていたけど、結局二時間半くらいやっていた。ここ最近の路上の中では一番寒かったかな。聴きに来てくれた人の中に、別海だったり中標津の人がいたりで、数時間前に桃野さんとそういう話をしたばっかだったから何だか嬉しくなった。途中で、若い女の子二人が、火挟とゴミ袋を持って狸小路内のゴミ拾いをしていた。僕はそれを見て、8…

遠いストーリー

イメージ
正解が怖くて、解答欄に何も書けない問いがある。そんなもの存在しないと思っていたけど、ぶつかっている。正解が怖いなんて、ふざけた話だけど。

今日、とある用件を済ませ、帰りに札幌駅の地下を歩いていると後ろから男の子3人が駆け寄ってきて、前にライブ見ました握手してくださいと声をかけてくれた、嬉しかった。ありがとう、と伝えた。そのまま地下歩行空間を歩く、もう、毎日歩いてる。そして僕は今日気付いたんだけど、ここ最近チカホ歩くたびに、必ずすれ違う人がいる。行き交う人であふれてるのに、ふとした時に、あ、またあの人だ、と気付いて、すれ違う。あの人は今日マフラーをしていた。昨日までしてなかった気がする。

大通北改札の前、今日は自動ドアから抜けて、右から行こうか左から行こうか悩んで結局今日も左からいった。ヒロシ前、昨日よりも待ち合わせの人が多かった。土曜日だし、ハロウィンだし、きっとそれぞれでそれぞれの予定があるんだろうな。僕はそのままポールタウンへ入った。大通-すすきの間の地下街。すると、前から来た男の人が僕の15mくらい前で、突然倒れてしまった。倒れそうになった瞬間「あ、倒れそう」と思ってすぐ駆け寄ったけど僕の足はギリギリ間に合わず支えれなくて、その人が倒れたほうが早かった。頭から倒れなかったけど、顔は白くて、でも身体は熱かった。大丈夫ですか大丈夫ですかってとりあえず必死に何度か声をかけても反応はなくて、でも呼吸はしていた。近くにいた男の子3人も来てくれて、とりあえず端に運びましょう!といってその人を抱え上げて端に寄せた。意識は戻ってなくて、どうしようどうしようと思って、とりあえず、「誰か駅員さんに伝えてください」と僕は誰かに言った。誰に言ったかは覚えてない。向かえのお店の人がどうやら119番をしたらしいとの情報もどこからか聞こえた。僕はとりあえず何もできず、わかる?!聞こえる?!大丈夫?!と何度も聞くしかできなくて、そしたらその人は目を開けて、「すいません、風邪気味で、いきなり目眩して」とゆっくり話はじめた。よかった。いや、よくはないけど、ホッとした。横になったまんま、とりあえず今誰か来ると思うので待てますか?と聞いたら、はいというから、なんとか持ちこたえてもらった。何か飲みますか?と聞いたら、もしあればお水かなんかもらえますか?というので、すぐそこにあったローソンで急いで水を…

雪が降ったんだよ

イメージ
昨日ボロドンが終わって、チームボロドンで飲みに行って、夜中トモヤさんと歩いて帰ってきた。2本ビールを買ってくれた。冷たくて、美味しかった。
今日はお昼まで寝てた、どうやら雷がなっていたり雨が降っていたりしてたみたいだけど、全く気づかなかった。そういうの絶対気づくはずなんだけどな。爆睡だったみたいだ。起きて色々準備して、今日もノースウェーブへ。あれやこれやと話し合ったり打ち合わせたり。一つ一つ、こぼさないように。今は、気温が5度。雪も降って、歩道はうっすら白くなって。雨も降って、あられも降って、みぞれも降って。こっちは一気に寒くて、そろそろ路上の季節かななんて思ってる。ライブが少ないと、不安になる。スタジオに入らないと声の出し方がわからなくなりそうで恐ろしくなる。もっともっと歌わないとダメだ。もっともっと戦わないと。毎日考えてる。毎日、毎日。欲しいものなんて、大してないさ。



今日は雪が降ったんだよ。

ふざけんな空

昨日ラジグルが終わって、反省会して来週以降の話とかもして、帰り道。好きな音楽聴いたり聴かなかったりしながら歩いていて、あれやこれや色んなことが頭に浮かんできて浮かんできてしまって、何度も深呼吸しながら帰った。20%引きになっていたお弁当と水を買って、鞄下ろして、お弁当温めてレンジの音が響いて、食べて、いろいろ考えて、少しツイキャスして。それからまたいろいろ考えて歌詞書いたり整理したり。気づいたら服も着替えないで寝ちゃっていた。朝起きてシャワー浴びて家を出て、打ち合わせの合間でまた一人でいろいろ考えて。昨日考えていたことは薄れていて少し怖くなったりな。
それにしても秋の晴れはきつい。そりゃ晴れは嬉しいけど、でも秋の晴れは自分の強さ弱さが露呈されちゃうじゃん。ひどいや。今日の空はひどかった。真っ青で、雲がなくて、風はちゃんと吹いているし。ぐおおおおって。最高、最低。タイミングってのはすごいな。いいことも悪いことも、それは突然やってくる。出会いも別れも、突然やってくる。そんなこととっくの前から分かっていたはずなのに、うまく逃げようとしては太陽に照らされて風に流されて見つかってしまう。よし、ここまでだ。手を振る。手を振ろう。手を繋ぐ。手を繋ごう。手を引く。手を引こう。

さて、今夜はボロドンバーン。最近のライブを振り返ったり、そんな感じかな。
楽しみ。





あっという間に日が暮れた
あなたに今日も会えなかった
スタンドバイミー、さようなら
それは劇的な秋の空

札幌市、某喫茶店にて。

出逢えた頃のように

16日、新宿レッドクロス。ビレッジマンズストアとアルキツカレテと三つ巴。ビレッジマンズストアとのツーマンで、アルキツカレテはO.Aだったけど、そんなん言ってられないくらいのアルキツカレテのライブだったので、三つ巴。これまで何度も、恐ろしいという感情を抱いていたバンドがビレッジマンズストアだった。かっこいいのは大前提で、その先にある、「強い」という感覚。いつか長尺でぶつかりたいと思っていたから、今回やれてよかった。しかし、この夜も強かったなあ。でも、すごい気さくに話してくれて嬉しかったし、バチッとやれたし、いい雰囲気だった。強く生きれた日だった。12月1日、今度は札幌でツーマン。ものすごい日になりそうだし、札幌圏の皆様、力を貸してください。終演後、アルキツカレテの銀丸と初めてちゃんと話せた。彼は、しっかり者で、優しくて、楽しい人で、男らしい人だった。「ライブの時のTシャツってどうしてるんですか?今日のやつ、歩き疲れてって書いてるの、くれませんか?」と言ってきたから、びちゃびちゃのそのTシャツを彼にあげた。外に出ると、雨は上がってた。
17日、夕方札幌に着いた。北海道の上空まで来て下を見下ろすと秋の色になっていた。ここ数年、いつもそう。「夏」が終わって北海道に帰ってくると綺麗に秋の色になっている。札幌ついてノースウェーブに速攻向かってラジグル。フォーリミのGENくんがゲストで来てくれたり、生放送中にワクワクすることが起きたり。放送が終わって、反省会してご飯食べて、日付が変わる前くらいに帰宅。部屋が少しだけ涼しくなっているような気がした。今自分がいろんなことを経験できたりリアルタイムで体感できたりしていることを、一つずつこぼさないように大切にして、生活に還元していきたい。音楽に流し込んでいきたい。

さて、今夜もラジグル。
短いけれどこの辺で。

「あの娘に、一ミリでも、ちょっかいかけたら、×××。」

ドントクライ・サマー

イメージ
14日、札幌moleでライブが終わりすぐに会場を出てひとり空港に向かった。6番線の快速エアポート、大体2両目の端っこだ。時間は止まらなくて、感情は走り回っていて、さっきまでのことと翌日のことを頭の中で整理しつつ、流れてく外を見てた。羽田空港に着陸して、京急線。川崎に行きやすいところに宿をとり、そこへ向かった。夜中1時前とかに到着。なぜかわからないけど「ワタナベ様、広めの部屋をご用意しました」とフロントの方に言われて謎の幸福感に包まれたのも束の間、何か動いた…?と思うと、ゴキブリくん。あんな間近で動いてるの初めて見て、怖くなってフロントの人に来てもらって2人で退治した。フロントの人は爆弾ジョニーの安田くんに似ていた。ちなみにホテルはめちゃめちゃ綺麗なとこだった。無事にゴキブリくんも退治して、頭はクラブチッタへ。今までのことや、これからのことを張り巡らせて、気づいたら5時になっていたから、焦って目を閉じた。

15日、10時前に川崎に向かう。快晴。僕にとっての甲子園、セッチューフリーサマーフェスタである。ずっとここで優勝というのをしたくて、この数年やってきた。優勝というのを知りたくて。全バンド見た。僕は知りたかった、一歩先に行ける僕に会いたかった。出番が近づいてきて、僕はカバンからとある物を出した。それは前の日札幌で、最終少女ひかさの正和さんが、2人きりの楽屋で、会場を出ようとする僕にくれたものだった。地下の楽屋には僕と正和さんしかいなくて、ライブ後に慌ただしく用意する僕に彼が「シンゴ。本当にヤバいと思った時に、これを開けろ。特別にやるよ」とそれをくれた。僕は「ありがとうございます、多分明日開けます」とその時伝えた。昨日のチッタ、銀杏BOYZのライブが終わったころ僕はそれを開けた。100円玉くらいの大きさのそれに、僕は勝手に彼の魂を宿し、開けた。よし、大丈夫だ、きっとうまくいく。何度も何度も言い聞かせていた。減ったフロア、それでも残ってる人は、僕らを信じてくれている。ライバルは多いが、目の前に敵はいない。ありがとう、ありがとう、ありがとうと、ひたすら思っていた。気づいたらライブは終わった。泣いてる人がいる、せっかくの夏なのに。周りのことなんか多分見えてなくてこっちを見て僕よりもぐしゃぐしゃな顔で歌っている女の子がいる、せっかくの夏なのに。僕らのTシャツ着て拳をあげてる人…

りんごのほっぺ

「歌が歌いたい」とか、「何かを伝えたい」とか、「言葉にしたい」とか、「何かを分かってほしい」とか、「向き合っていたい」とか、「強くなりたい」とか、「男らしくいたい」とか、「やさしくなりたい」とか、「前を向いていたいとか」、「もっと知ってほしい」とか、「歌にしたい」とか、「カッコよくなりたい」とか、あとは何だろう、とにかくたくさん。僕は、まだまだやっていることも言っていることも思いも行動も足りないんだと痛感している。痛感というか、実感というか。身に沁みているというか。
今月に入ってから、明らかに今まで思っていなかったことを思っているし、話せなかったことを話せるようになってきたし、いろんな機会が目の前に現れてくるし、したいことやりたいことも分単位ででてくるし、その反面で無力さに打ちのめされることも増えてきた。 1日にBiSHと対バンして思ったことは自分にとってかなり大切なことだし、3日の月曜日から毎週月火で一人で始まったレギュラーのラジオ「RADIO GROOVE」はこれまでの自分とこれからの自分に大きな影響をすでに与え始めている。水曜はメンバ−4人でやっている「ボロドンバーン」があって、週に一度のメンバーが楽器を持たずに顔を合わせれる時間で尊い。 6日神戸太陽と虎でのライブも鮮明に覚えている。ケントが転んでテンパったのとかめちゃめちゃ笑ったなあ、マイクスタンド曲げちゃってたのは笑えてなかったけど。新曲の「札幌」をはじめて札幌じゃない街で歌えたのも良かった。河内REDSのギターのマサチカが、「シンゴさん、貨物列車見たことある?ここね、通るんですよ。そろそろ西日も差し込んでくる、すげーいいですよ」と教えてくれた。会場の太陽と虎は、高架下にあるライブハウスで、電車の音がガタンゴトン聞こえる。優しく、強く、心臓はドクンドクン動いていた。 7日岡山ママツーでのライブ、あの日もいい日だった。前に来た時はラブ人間とひゅーいさんのツアーに混ぜてもらったけど、今回はこちらから組んでもらって。お客さんはトータルで30人くらいだったかな、少しずつ重ねていくんだ僕らは(翌日にあったSUPER BEAVERのママツーでのワンマンの写真見て、ソールドしたらこんな感じなんだと目標ができた)。改めて岡山という街でスタートラインからスタートできた気がしてとても意味のある一日だった。その日共演した古墳シスター…

僕は走り出したんだ

10月。手帳を買いにいかないと。

1日
BiSHとのツーマン、どうなるかなって思ってて。色んなバンドマンや関係者から、やれBiSHやばいとか、やれBiSHと対バン羨ましいなとか言われていて。あまりにも言われるもんで、なんだか悔しくて。ワタナベシンゴ特有のアマノジャキズム発生。単純に僕はBiSHが好きだったけど、ツーマンとなるとヘラヘラしてられん。彼女たちはフェスにも出てるしきっと僕らなんかより有名で人気なバンドとも共演してる。やってやらぁって意気込んでた。どんな場所でも、何度もライブしてる街でも、どんなイベントでも、誰と共演でも、僕らはいつものようにその日の僕らでステージに上がる。それだけ、だった。会場に入ると、ステージに6人。初めまして。イケメン0人、ボーカルは汗っかきで髪薄くて、ギターとベースとドラムは太ってます、僕たちがボイガルです。
僕らのリハーサル、BiSHのメンバーの方達がそれぞれ散り散りになり、見てくれていた。
僕らのリハが終わって、BiSHと一緒に、アンコールの練習を一度だけ。
そうそう、アンコールでコラボしませんかと言われていて。僕らの曲をBiSHが踊ったりするってのと、「BiSH-星が瞬く夜に-」をボイガル演奏でやるっていう2つ。所謂「アイドル」とこんなことするのは初めてで、ましてや会ったことも話したこともないのに大丈夫かなと最初思いつつ、僕はワクワクしていた。
僕らの曲は、ライク・ア・ローリング・ソングで提出した。この曲なら盛り上がるかなとかそんなんじゃなく、これは、BiSHに向けての宣戦布告と、感謝と、ここで君と歌ってたってことが10/1のすべてだって思いを伝えたくて、この歌にした。もうずいぶん前に作った歌だけど、僕は勝手に、この日にぴったりな歌だと思っていたから。
星が瞬く夜にをやる時は、セントチヒロ・チッチさんの「星が瞬く夜にー!!」という合図で曲を始めるという流れに決まった。

オープン前まで時間があったから、僕はしばらくステージで声出しを兼ねて色んな歌を歌っていた。

ライブはあっという間に終わった。お客さんたちに救われながら、あっという間に終わった。楽屋に戻るときに「シンゴー!シンゴー!」と、BiSHのお客さんたちが叫んでくれていた。あんなの初めてで、嬉しかった。僕は、GOING STEADYとか銀杏BOYZとかがライブしたときに「ミ…

すべてが終わったそのあとに

イメージ
23日寂寞の果て、24日闘う君の歌、2日間のライブが終わった。身体の至る所が痛くて今日は目が覚めた。

寂寞は、ようやくほんの少し、見えた気がした。そんな風に思わせてくれたのは来てくれた方のおかげだけれど。色んな街から来てくれた人、いつも来てくれる人、初めて来てくれた人、色んな人ありがとう。ワンマンじゃなく、かといってパーティーでもなく、「寂寞の果て」ということ。僕はたくさん考えている。それでも見えるものや掴めるものはいくつも無いし、ほんのわずか。だからこそ、楽しかったり今日があってよかったという気持ちになったりするのかな。もっと知りたい。もっと見たい。もっと知られたい。もっと見られたい。23日にまた一曲新しい歌を歌った。札幌という街に住んでる僕が札幌という街で出会った友達と組んだバンドで札幌という街で始めたこのイベントで歌うということに、大きな意味を感じていた。寂寞で歌い始めることができてよかったなあ。限定Tシャツも全部売れて、手刷りプリントは60人もの人がやってくれた。僕のDJは、楽しくはなかったとおもうけど、うまいこと時間つぶしになれていたら幸いです。この前の三日間撮影きてた東京在住フウコがこの2日間も来てくれていて、初めて札幌のボイガルを撮ってくれた。始まる前にフウコと「手刷りプリントしてくれた人で、撮ってくださいって人がもしいたらフウコのカメラで撮るってどう?」と思いつきで提案したら、「わー、いいですね、幾らでも撮ります」と応えてくれて。2.3人いればいいなあと思っていたら最終的に13人くらいいたみたいで。その方達も、ありがとう。僕らのライブを撮ってるフウコが僕らを撮ってるカメラで、世界に一つだけの手刷りプリントされたのを持ってるお客さんを撮るって、絶対最高に素敵なことだと思って。や〜嬉しかったなあ。こういうことは普段はできないことだから。年内、もう一度やれたらなとは思いつつ、どうなるかな。 


昨日の闘う君の歌は、何から話せばいいかわからないし、何も言わなくてもいい気がするし、言いたいことや思ったことは全部ライブで出したから、来てくれた人がそれぞれで感じたものでいいなという気持ちです。見習うべきことや、力になること、嬉しかったことや、大切にしたいこと。僕にとってプラスになるようなことがそこら中に隠れていて必死にかき集めた、そんな夜だった。ステージは灼熱。闘え…

別れの秋

イメージ
今月に入ってまだ2回しかブログを投稿できずで。なかなかの激動の中で、激情が爆発しまくっていて、自分としてはかなり濃い九月。ブログ書かなきゃとかは思っていないから義務感は全然ないんだけど、残せるものは残したいし知ってもらいたいし、ツイッターやインスタグラムではなく、近くに来たからふらっと寄ろうかな的な場所の一つがこのブログのような気もするから、書けるときに書いて、誰かさんにも通りかかってほしいなと思っています。明日の寂寞に思い切り飛び込めるように、つい最近の出来事をさらりと残して今日はぐっすり眠りたいのだ今日は。

15日、新千歳空港は淡く、東京入り。夜は吉祥寺で路上した。
16日打ち合わせがあったりライブハウスへ行ったり。



17日、下北沢Qlub Queでライブ。サーキットイベントだったんだけど、転換中のリハーサルで自分たちの曲をやってはいけないというルールがあったため、さらっと音出ししてリハーサルは終了。僕はそのままデイドリームビリーバーを弾き語りで始めて気付いたら手拍子がおきていて気付いたらお客さんもみんな歌っていた。ニコニコしていた。ライブが始まると暑かった。泣いてる人がいた。笑ってる人がいた。最後にステージ袖にいたキューのスタッフのお兄さんを真ん中に連れてきて汗ぶしゃーってやったらお兄さんの頭と僕のおでこがごっつんこ。「パンッッッッ!!!」ってやばい音がして、「あ、意識飛びそう」と一瞬で思ってもう次の瞬間には倒れていた。本当にやばい音がして、おでこ割れたかと思った。あれ、何をしたかったんだろう。なんだったんだろう。。楽器片付けて楽屋戻ったらおでこがすごく腫れていて内出血していて、もういろいろ意味わからなかった。何にせよ、あんなにたくさんの会場があってたくさんのアーティストが出るイベントで、僕らを選んでもらえたってことはとても幸せで嬉しいことで、本当に来てくれた方に感謝です。ありがとう。ライブが終わって、ラブ人間の機材おろしを手伝った。それから撮影隊のフウコの待つ場所までラブ人間のはるかに送ってもらった。運転席にいるはるかが、助手席にいる僕に言ってくれた言葉が嬉しかった。フウコのところについて、はるかとバイバイ。ラブ人間の車を借りて、僕らだけの短くて遠いツアーが始まった。車には僕ら四人とカメラマンのフウコ。18時過ぎに東京世田谷区を出発。首都高が嫌だったので、…

近くて遠い

イメージ
1日、神戸VARIT.
神戸についてまっすぐバリットへ。初めての場所。なかなかいい感じのところだった。ついたらロック大臣ズがリハーサルをしてる。そのあと僕らがリハーサルをした。リハーサルが終わって新しいズボンを買いに行った。ライブハウスに戻り、トムボーイズのTシャツを買う。トムボーイズは面識はあったものの、ライブは見たことがなくて、今回こうして対バンの機会に巡り会えてよかった。楽屋で大臣ズのけんけんが、エレキギターで、小さな声で何かを口ずさんでいて、それがあまりにもいい歌だったもんで、「誰の歌?」と僕はきいた。けんけんは、「新曲なんだ」と答えた。新曲がいいバンドは、いい。ライブも最高だった。僕らも。そしてトムボーイズと。トムボーイズの「17歳のうたがあって、久しぶりにやります」といって始まったあの歌。めちゃめちゃかっこよくて感動して、彼女たちのことが羨ましくなった。トムボーイズのライブを、フロアからキラキラした目で眺めている女のコの姿が印象的だった。トムボーイズ札幌来てほしいな、札幌にはいない感じだし。ベースの子最高だった。 

2日、人性補欠の桑さんと梅田で合流し、少しコーヒーを飲んでから、タワレコへベランパレードとAOIのインストアを見に行った。
そこで、一人の女の子が声をかけてくれて少し話をした。その子は、バンドをやっていて、でも思い通りにいかなくて、モヤモヤしているようだった。僕は特にこれといったことは言えなかったけど、闘ってるのはみんな同じである。みんなそれぞれで何かと闘っている。あの子が、どうか音楽を嫌いになりませんように。あの子のメンバーが音楽を嫌いになりませんように、そう願うばかりだった。


3日、OTODAMA'16。
朝早くに宿を出て、会場へ。着いたらキュウソのメンバーが裏で待機してて、少し挨拶をして。それからセッチューフリーテントへ。一番目のベランパレードが「今日は寝らずに頑張るつもり」と歌ってるとこだった。気づいた人がいたかどうかわからないけど、セッチューフリーテントのステージが今までより広くなっていた。照明が、今まで蛍光灯のみだったのに、2灯明かりが吊るされていた。音響設備が少しレベルアップしていた。確実に、主催の清水音泉に声が届いている証拠だと思った。僕らの声が、お客さんの声が。怒涛のライブが繰り広げられてゆく。後半にさしかかり、セッ…

今もなお忘れられずにここに立っています

何もなかったなんてことは、絶対にない。まったく投稿することができていなかったけれども、無事に8月を終えれたことに少しホッとしている自分がいます。

21日下北沢でラブ人間とひゅーいさんのツアーファイナルがあって。暑い日だった。ひゅーいさんのライブを見てて涙が出た。「花瓶の花」を、1番丸々お客さんがみんなで歌っていて。あんな綺麗で美しくて張りつめていて穏やかな景色と歌は、なかなか見ることも聴けることも少ない。さっきまで僕がいた場所で、ひゅーいさんはひとりで立っていた。時間は一瞬で駆けてゆき、塗り替えられては蘇り、また進んでいく。僕がずっと探してるものを頭に思い浮かべながら聴いてしまったが故に、涙がこぼれた次第です。

22日、東京の朝はどしゃ降り。ラブ人間ツネさんが車を出してくれて、ツネさんに運転してもらい撮影のフウコさんも一緒に6人で名古屋へ。高速、最初のパーキングでお弁当を買った。するとツネさんに「次のサービスエリアでめっちゃ美味しいラーメン食べれるから食べよう」と言われた。僕は、お弁当を買っていたので、とりあえず車の中でお弁当を食べた。しばらくしてそのサービスエリアに到着。僕はお弁当を食べたばかりだったけれど全然お腹いっぱいになっていなかったので、ラーメンも食べた。すごくおいしかった。フウコさんが遠い目をしながら「さっきお弁当食べてたじゃないですか…」と言ってきた。名古屋に着いて、リハして、ライブ。名古屋で初めてライブをした場所クラブロックンロール。随分久しぶりに来た。話したいこと、歌いたいこと、たくさんあって、30分に詰め込んだ。僕たちの約束に、作り話など、嘘など、なかったのだ。それだけはどうしても伝えたかった。あっという間に過ぎ去った時間に、僕は最高の気分であった。終演後話しかけてくれた女の子が「私いま名古屋に住んでるんですけど地元が中標津で、中小、N中です。お母さんの職場にシンゴさんの同級生の方がいて、卒業アルバム見せてもらいました。シンゴさんご飯持ってました」と言われた。ここ数年、中標津出身者によく会う。もっともっと、中標津の風に、星に、なりたいものだ。ライブが終わって、ひかさ共々、味仙という中華料理屋さんへ行った。台湾ラーメンという辛いラーメンが有名で。僕は辛いのが苦手だから嫌だったんだけど、せっかく名古屋だし、一度は食べないとなと思いつつ、でも一杯もい…

最低な一日

イメージ
昨日の話。開催ギリギリまで待ってはいたけど、どうやら今年も石狩での夏はお預けみたいで。ここ5年くらいは、「もう出るまで行かない」と決めてしまったライジングサン。まったくロックバンドなんてやらなきゃよかった。ということでライジングサンの日はガラ空きな僕。今年も例によって、豊平川でダラダラ過ごして最低な一日だなあってげらげら引きずるような日にしてやろうと思い、「最低な一日」というテーマで豊平川へ。しゅんたろうを誘ったんだけど、僕が当日の朝「諸用ができてしまって、いつ終わるかわからないので中止で」と一度ドタキャン。しかし昼過ぎに、これは16時なら開催できると気づき再度しゅんたろうに連絡、時すでに遅し、しゅんたろうは友達と夏の思い出へ。がーん。僕はひとりでもいいがとも思いつつ、きっと最低な一日にしたいなあって思ってる人は数人いるだろうと淡い期待を信じ、13時頃ツイッターへ。路上しますとも言わず、誰にも何にも期待せず最低な一日にしたい方は豊平川へと。16時に幌平橋について、川沿いを北上。遊具があるあたりで落ち着いて、ポツポツと人が集まってきた。ビールを買ってきてくれた人、グローブやボールを持ってきてくれた人、リンゴジュースやお茶や紙コップ持ってきてくれた人、お菓子やデザート持ってきてくれた人。ピクニックでもないし、キャンプでもなく、もちろん夏フェスには程遠く、じゃあこれ何だろうと考えた結果、やはり、最低な一日だねってことだった。快晴。もう、僕はこれだけでいい、今日はこれだけでいい、こんな最低な一日をこんな少人数で過ごせるのなら、もうなんだっていいやって心から思った。16時半頃、若いお母さんとお子さん二人がこちらに来た。お母さんが僕の方に来ると、「わ、本物だ〜…」なんて言ってて。そんなそんな。するとお母さんが、「○○ちゃん、知ってますか?わたし学生のとき同級生で」と教えてくれた。僕の地元の女の子とどうやらお友達だったらしく、こんなところでその子の名前聞くと思ってなかったから、びっくり。てことはお母さん、僕と同い年なんだねなんて言ってるうちに、お子さんふたり、走り回ってて。お姉ちゃん5歳、弟3歳。弟の方が、先に僕のところにきて、持ってきてたプリキュアを見せてくれた。これは星だよ、これはカバンだよ、これは星だよ、これは靴だよって。全部教えてくれて、ありがとうって伝えた。最初なかな…

ひとりじゃ何もできなかった

イメージ
基本的にひとりが好きだし、何かをひとりでやるってことが好きなので、ひとりで何でも決めれるし動ける。でも別に誰かと何かをやるのが嫌いかって言ったら全然そうじゃないし、むしろ同じところを見つめて誰かと何かをやれるってとても素敵だからそれはそれでとっても大好き。たくさんの人と同じ時間に同じような過ごし方でそれぞれの感情を抱きながらその空間に入れるのも好きだし。でも例えば混んでいる電車とか、休日の渋谷スクランブル交差点を大勢で渡るあの感じとか、花火大会の打ち上げ付近で警備員の人が警備しながら人の流れに沿って辿り着いた場所で見るみたいなのが苦手で。そんなことしたことないんだけども。面倒な人間だな、ああ言えばこう言うし。将来、子供とかがもし出来て「父ちゃん、花火大会近くで見たい!」とか「スクランブル交差点を5往復したい!」とか言われたらなんて言おうかな。「いや、ちょっと待て!一回落ち着こう、な?」とか言ってごまかせるかな。いや、そこはごまかさず、父ちゃんいいとこ見せたほうがいいかな。ま、いいか、そんなことはどうでも。子供にはとうちゃんって呼ばれたいな。いや、とりあえずもういいか、この話は。

6日、大阪梅田クラブクアトロ。悔しかった去年を引きずりながら会場入り。いきなり37度はちょっと厳しかった。ちょうど一年前、同イベントで場所は同じ梅田クアトロで、物販で一人の男性がいきなりCDを僕に突きつけてきた。「これ、聞いてください。聞かないで捨ててもいいんで。」と。その男性とはそれが初対面だったし、なぜ僕にくれたんだろうと思ったし、なぜそんなことを言うんだろうと思った。僕はありがとうございますと受け取り、札幌に帰ってから聞こうと思った。それが、6日の一番目に出ていた河内REDSのギターのマサチカだった。もちろんその時は名前も何も知らず。あれから一年が経ち僕はようやく彼の、彼らのライブを見た。どんなライブするんだろうなと、最初は一番遠くから見てて、3曲目くらいから、僕は気づいたらマサチカ側の前から3列目ほどの場所にいた。彼は完全なギタリストだった。所謂ロックンローラーだった。細いズボンに、首元切ったTシャツ。エフェクターは、ボリュームのつまみ。ああ、完璧だ、完璧だ。何度もそう思った。顔がフックに似てるなあと思いながら、札幌のりゅーに会わせたいなとか思いながら、僕は彼に見とれていた。途中で…

それだけの理由

ひとりでいると、8月は不安になる。この先ずっとやっぱりきっと、何度でも思い出すだろうし。毎日このこと考えてるし、思い出してしまう。3年前の今日は旭川でライブの日で、僕は声が出なくなって病院のベッドの上にいた。あいつら三人で大丈夫かなって心配で。二年前の今日は大丈夫で、三日後には自分たちのCDが初めてお店に並ぶってドキドキとワクワクに襲われている頃。「すべてはここから」という歌のシングルを110円で北海道限定で出す直前だった。一年前の今日は、大阪から東京に移動した日、僕は二年前と同じように声が出なくなり「明日病院行きたくないなあ。どうせまた、歌っちゃだめとか言われるんだろうな」って思っていた。結果的にその通りになってしまったんだけども。僕は8月になると歌が歌えなくなる。結構な可能性で。もうあんなの嫌だ。これまさか、一年おきにこうなるとかじゃないよな。いや、縁起でもないこと言うもんじゃないな、そうなったら演技でもして越えてみせますが。今週末の6日土曜日、久しぶりの大阪。場所は梅田クアトロ。10月に川崎で行われる「SET YOU FREE SUMMER FESTA2016」に向けての前哨戦。その名も「SET YOU FREE SUMMER FESTA2016~ROAD TO SUMMER FESTA-WEST」。長い。でもそういうことです。この道はこの先で待っている夏に続いているかもしれないぞって、そしてそれは今年だけの話じゃねえぞって、そういうことなのかもしれない。僕らはこのロードトゥWEST、去年もトリだった。8月2日だった。前日のロッキンが終わって、当日大阪に入った。思えば結局このあたりの一週間くらいはずっと悔しかったな。この去年の8月2日、トリの僕らの時にはお客さんがグンと減って。でも残ってくれた人が確かにいるってことが本当に嬉しくて嬉しくて、うまく言葉にはできない感情だった。でもやっぱり悔しかったなあ。僕は10月に待っていたサマーフェスタを完全に意識していたから。ロードトゥサマーフェスタっていうくらいだから、ここでトリをバッチリ決めて、10月もトリやるんだって。でも10月、トリじゃなかった。トリは四星球だった。僕にとってセッチューフリーサマーフェスタは、甲子園であって、トリじゃなきゃいやなんです。全国制覇しなきゃ嫌で。2014年に出た時、僕らは三年連続三回目の…

それはなんて青春

「寂寞の果て #4」は28日に無事終わった。22時半退館予定だったけど、僕らが「今日はありがとうございます」とCOLONYに挨拶して外に出たのは、24時を回っていた。リハーサルが終わって色々準備して確認して、それでもやっぱり思い通りにはできなかった。というか、そもそも、思いも追いついていなくてどうなるかわからなかった。オープンして、お客さんが入ってきているのをステージ袖に座りながら感じていた。この日限定で用意したTシャツ、すぐ買ってくれた人もいたみたいで嬉しかったけど、全部は売り切れなかった。余ったやつが部屋にあって、一枚寝巻き用にもらった。どうしたらいいか、どうなるのか、そんなのいつだってそうだ。僕はそのままステージに上がる。それが僕のやり方である。頭からつま先までハッピーな時もあれば、最初から最後までもがき続ける時もある。それが僕のやり方である。この街で戦うことから逃げるなんてご法度、何言われたって札幌在住のワタナベシンゴなのだ。友達や知り合いがいると安心する。だからと言って一人の人が不安になる時間にするつもりなんてないし、目の前には僕がいるじゃないかと偉そうに堂々と迎えたい。寂寞の果て次回は9月23日、チケットは即日完売、しなかった。まだ、残ってるらしい。悔しい。告知不足だったかな、思いが少なかったかな。自分たちのイベントくらい、即日完売したいものである。終わった後、狸小路で路上、道外の人がたくさん来てくれていたのを知っていたってのもあるけど、それよりもなんか、うまくは言えないけれで気持ちがざわついていたため。部屋についてすぐ部屋を出た。もっと歌いたい。もっと歌いたい。ちくしょう。ちくしょう。って。翌日銀杏BOYZのライブ、行けなかった。夜、大通公園で路上。15分3曲で終わるつもりが、30分6曲やった。僕は多分、多分だけど、あの30分を忘れないと思う。そんな時間だった。30日、幌平橋で高校2年生のイトウカホと路上。カホから「路上やったことないんですけど、路上やりたいです。一緒にやってください」と言われたので、「よし、やろう」という具合で、この日にやることになっていた。豪雨の予報はあっさり覆り、空は淡く、気温は暑かった。彼女は、数年前に人生で初めて路上ライブというのを見たらしく、それが幌平橋での僕の路上だったらしい。物語は続くもんだ。15時半に幌平橋に着くと、…

お祭りのアイスコーヒー

いつものお店がお祭り会場になっていて、はっぴを着た見知らぬ方々に「お祭りなんです」と教えられた。店内の椅子の並びが少し変わっている。レジ前には、あれなんだろう、ヨーヨーすくいかな。よく見えないけど。いつも食べているスパゲティーはメニューになく、というかそもそもお店のメニューがなく、お祭り仕様になっていて、300円の焼きそばだったり焼き鳥だったりになっている。缶チューハイとか。綺麗でスタイリッシュな店内には少しトゥーマッチな気がしないでもないけど、別にそんなことはどうでもいいか。中学一年生の頃、僕はとある女の子に一目惚れをした。別の小学校から来た女の子だった。僕には幼稚園の頃からの幼馴染のはるかという女の子がいるんだけど、そいつが僕に「しんごー、めっちゃ可愛い奴と友達になったよ、こいつー」と廊下でいきなりなぜか僕に紹介してきた。僕はその瞬間に一目惚れしたのだ。こんなに可愛い子が、僕と同じ学年にいるなんてと。その子はゆずが好きで、僕もゆずが好きだった。その子に、僕はその年の夏、町のお祭りで告白をした。姉が持っていた何か中華っぽいデザインの赤いおしゃれなジャージを着て、僕なりにおしゃれをして。小さな橋のところで、お祭りの道から隠れて僕は告白した。僕はそれから彼女のことが7年間くらい好きだった。もう何年も、本当に何年も前のことなのに、何でこんなに覚えているのか自分でもわからないけど。そんなことがあったなあ。その子を紹介してくれた幼馴染のはるかとは、幼稚園から本当にいつも一緒にいた。小学校の時なんて毎日毎日、遊んだり、野球をしたり。日が暮れるまですぐ近くの駐車場で二人でキャッチボールをしたり。野球部でも何でもないはるかは、おかげでその辺の男なんかよりも野球が上手だった。僕が毎日のようにキャッチーボールに付き合わせていたから。僕は今になって思うけど、僕は恋をしながら、はるかのことを本当に大切に思っていた。もちろん僕は、中学一年生の頃に一目惚れをしてからずっとその子が好きだったし、はるかも恋をしていたけれど、でもなんていうか、はるかに喜んでもらいたかった自分がいたのも確かだ。僕は比呂で、はるかはひかりだった。大袈裟だけどそんな感じだった。はるかも、その子も、今とっても幸せみたいで嬉しい。ゲラゲラ笑っているあの二人の並びが、僕はずっと好きだった。高校生になって僕が携帯を持つように…

もうずっと笑ってる

京都、渋谷とyonigeのツアー。来てくれた方はどうもありがとうございます。京都MUSEめっちゃいいとこだったなあ。広くて天井高くてホールっぽい感じだから、音もぐわーってなるかなあと思ったら全然そんなことなくてとてもいい感じだったし照明も綺麗だったしスタッフの皆さんもいい方たちだった。京都と渋谷で思ったけど、yonigeには若い女の子のお客さんが多かった。yonigeと同じくらいの女の子達がyonigeTシャツきてて、もちろん男の子たちも多くて。少し羨ましかった。ドラムはゆっこが叩いていた。札幌在住のゆっこ。今まで札幌はもちろん東京とかでも対バンしていたゆっこが、大阪のバンドのサポートで、京都で叩いていて、対バンした。あいつめちゃめちゃ戦っていた。札幌の人たちに見せたいくらいだった。なんか感動しちゃったもんな僕。打ち上げも楽しかった。宿や移動の時間は、ひとりでゆっくり色んなことを考えた。楽しかったあとに、ちゃんとフッと切り替えて色々考えれるようになってきた。もちろんひとりで色々考えると少しキツくなってりもするけど、僕には必要なことだから逃げていてはダメだと思った。で、色々考えれた。そういえば「色々」で思い出したけど、色々思われてて色々言われてるらしい。小学生のように。それから逃げるわけでもないし勝手にしやがれって感じだけど、そんなこととは別に、この街をいつ出ようかなってタイミングをずっと考えている。なかなか答えは出てこないが、キッカケになりそうなことはいくつか浮かんできている。広い空と、狭い日々と、上っ面のお疲れさまですと、裏っ側の笑顔。神経の使いどころ、悪いが僕だって考える。限界地点は自分で決める。あいつの言うことよりも、誰かが言うあいつの言うことの方が信じれるなんて、そんなわけない。僕はあいつの言うことを信じる。だからもう僕に話さないでください。吐き気がする。ってみんな思ってるはずなのに何が楽しくてそんなあんなこんな。仲間たちと駆け抜けていってください。それにしても、ひとり3が本当に楽しみ。来てくれる人っていうか、目の前をとにかく信じて、そんな風に僕はやっていく。

ずっと夢見させてくれてありがとう

ブログを投稿したくてしたくて仕方なかった昨夜。結局投稿できず眠って、朝起きて、もう昨夜の気持ちがまるで嘘だったかのように、ブログ投稿する余裕なんてなくなった。いつか、何事もなかったかのようにこのブログも消えちゃうし、ツイッターだってそのうち消えちゃう。記憶は更新されて状況は変わっていき、いつか僕だって死んじゃう。だけど、この数日間で心の底から色んな感情が溢れ出てきたのは確かで、本当に僕自身が生きている証になったし、生きて繋ぐバトンは落とさずに過ごせた気がする。それに関しては今だってそうだ。14日、場所はタワレコ札幌ピヴォ。大阪の空きっ腹、広島のペロペロ、東京のラブ人間、カメラマンのミノルさんと一緒に、インストアイベントに参加させてもらい数曲歌わせてもらった。当日の朝に起きて、どうしても歌にしたいことがあって、すぐギター持ってノート開いて歌にした。「ゆーちゃん」という歌。歌詞を全部書き上げれず時間になり家を出てタワレコに向かった。控え室で残り数行を書き上げて、ひたすら小さい声で練習。歌詞とメロディーと思いをひたすら全身に散りばめた。空きっ腹のユキテルが「シンゴ、それ、めちゃめちゃええ歌やな。」と言ってきた。「新しい歌。ありがとう」と僕は答えた。その日は朝まで飲んだ。15日、明日からのジョインアライブで歌いたいという思いはピークへ達し、本当にダメもとで、ジョイン開催前日でドタバタなマウントアライブへ問い合わせ。もちろん関係者を通じて。というか、実は今月入ってから一度この話を持ちかけてみたんだけど進展なくて僕も踏み込めなくて諦めていて。でもやっぱ、諦めきれなくて。で、日付が16日に変わってから連絡が来て。「シンゴ、行くぞ。明日。」と。それだけ。とりあえず明日になったらここに来てくれという連絡があり、ドキドキして、少しお酒を飲んだら気持ち悪くなった。16日、僕は電車で岩見沢に向かい、駅からタクシーで会場に向かった。ゲート前に着くとスタッフの方が迎えに来てくれた。ベルベット裏にある本部に行くとマウントアライブのとある方が、「シンゴ頼むな」と言ってくれた。その人が今回の僕のゲリラ弾き語りを押してくれた。その人は身体中にトランシーバーのようなものをいくつも付けていた。わかってる、僕のこと構ってる時間なんて、1秒だって本当はないこと。でもきっと、自惚れなんかじゃなく、僕のことを信…

むし返した赤い意思と過ぎ去ってく日々の意味を

岡山広島神戸の三日間から、ずいぶん経った気がするけど。全然じゃん。

昨日、三宮から神戸空港に向かういつものポートライナーの中、遠くなってく街を見ながら儚いなあなんて思いながら、またいろんな日々を歌にして歌えなきゃって考えながら、前を向かなきゃって決めた。



9日
朝に岡山のホテルをチェックアウトして、少し駅の周辺を歩いて回ってから広島へ向かおうと思って、ツイッターで教えてくれた奉還町商店街という辺りに行ってみた。10時とかで、全然何もやってなくて、「全然何もやってない!」って思わずひとりで声に出しちゃった。
んで、すぐ駅の方に戻って駅の中で時間つぶすかなと思ったら、小さな喫茶店をみつけた。お店の名前があまりにも今の自分にぴったりだったので、迷いなく入店した。
ガンガンの冷房、昔からのチェアー、おじいちゃんマスター、おじいちゃんのお客さん、おばあちゃんのお客さん、謎の素敵な絵。完璧。僕は、アイスレモンティーを頼んで、しばらくお店にいた。昨日のことを時折思い出しながらも、これから向かう広島のことを考えていた。前回の広島のことや、その前の広島のことや、初めての広島のことや、街並みや泊まったホテルとか、セットリストとか。何歌おうかな、どんなことが起こるかな、大したことない色んなことを考えていた。

時間も時間、岡山駅に向かい、僕は新幹線で向かった。(バスで行こうとしたけどそのお店でボーッとしてたら余裕で時間過ぎてて)

広島について、駅から歩いた。快晴、30度。どひゃ〜って感じだった。確か天気予報は雨だったはずと思い、携帯の天気を見てみると現在地の現在の天気は雷雨と出ていた。どうしちゃったんだろう…と思った。今日はこれもう、どうにもなっちゃうなと思った。

会場は、広島4.14。去年11月に来て以来の4.14。そういえばあの日もラブ人間がいた。

ギリギリまで悩んだけど、セットリストを決めた。僕らには時間がないが、だけどとにかく駆け抜けて、抱きしめて、笑って再会を約束しよう。そんな35分にしたかった。
ライブの冒頭、そんなつもりじゃなかったけど、久しぶりに即興から。ライブ前に見ていた外の景色と、札幌が重なって、思わずそれが出てきた。


一瞬だった。
ずっと暑かった。
汗が止まらなかった。
もっと、もっと歌いたかった。
だけど男は去り際が肝心、また必ず来る。
広島が好きです。ありがとう…

手を伸ばしたよ

初めての岡山でのライブが終わり、宿に戻ってきてスパゲティーを食べ終わったとこ。今日はずっと雨が降っていた。今も降っている。雨の音が心地いい。
僕らは、札幌のバンドの中でも結構ライブやってる方だと思うが、それでも、行ったことない街ってのはたくさんある。岡山もそうだった。というかバンドとか関係なしにこれまでの人生で初めての岡山でした。


嬉しかった。全部が嬉しかった。
また来たい、すぐに来たい、もっと聴いてほしい。もっと笑わせたい。雨、あがらせたい。色んなこと思った。最後の歌でギターを弾いてくれた8歳の男の子が、終わったあとに「今日は、ありがとうございます!!」と一生懸命伝えてくれた。僕も「こちらこそありがとう、かっこよかったぞ」と伝えた。

来れなくなった娘さんに代わって来てくれたお母さん、四国、北海道、京都、色んな場所から来てくれた人、本当に色んな人が、それぞれの生活を過ごしながらあの場所選んでくれたという奇跡に、僕は心から感動したし再認識した。自分のやっていることの重大さを。



日付が変わり、9日、広島。どうなってしまうかなんてわからないが、すべてのすべてで向き合い抱きしめることができれば、最高である。ひゅーいさんとラブ人間が一緒に回ってる。愛のある2組。僕らもそうでなくちゃ。
忘れられない日は、どんどん増えていく。













話はかわるんだけど、一昨日路上やったとき、一人の男の子が来てくれてて。そいつは無地の白いTシャツをきてて、終わったあと、「シンゴさん聞いてほしい話があります」と言ってきた。

「僕は高校3年間ベースをやってきました。8日と9日、最後の学祭があります。僕はそこで、どうしても、すべてはここからをギター弾きながら歌いたいとおもいました。でも、ギターは弾けません。でも、後悔してしまいそうな気がしたから、3ヶ月くらい前からギターボーカルの練習をし始めました。最後の学祭で、どうしてもすべてはここからを歌いたくて。全然うまくはないけど、ギリギリなんとか形になりました。9日、音楽室でのライブ、出番が最後になりました。そこで歌います。
ここ数日、この格好で街をずっとフラフラしてました。シンゴさんにこの話をしたくて。街歩いてたら会えるかなと思って。で、会えたら、この無地のTシャツに、なんでもいいから何か書いてもらうことなどできないかなと思って。それを着て、すべてはここから歌い…

その向こーにある明日は

明日からの三日間が楽しみです。

まずは明日の岡山。初めて行く。前に広島でライブした時、岡山にも来てくださいと言われたことがあって、ようやく行けるな。どんな街かな。
広島は五月一日ぶりか、もう随分行っていない気もするけど、二ヶ月ぶり。早い方だよなきっと。もっと行っていない場所たくさんある。あといつも泊まる広島のホテルがすごくお気に入り。
神戸なんてもう、100年ぶりくらいな気がする。何度も通り過ぎてきた。ライブはしばらくしていない。この前路上した時、このままずっとここにいたいって思った。



話は変わって、「さく」という知り合いがいて。
さくから、夜中メールがきた。そのメールを読む時、彼の声が聞こえたような、なんていうか、彼が普通に僕の目の前でそのメールの内容を話してくれているような、そんな気がした。彼の声で聞こえた気がした。いつだか、創成川で一緒に歌ったな。あれは何年前だろう。僕が路上やってて確か警察が来て創成川にみんなで移動して、さくもその中にいて、「さく、歌いなよ」って僕が無茶振りして、「はい」って。さくのことを知っている人など確かその頃全然いなかった気がする。

さく、メールありがとうね。



明日は、東京の本棚のモヨコが札幌でライブだ。
彼らはもともと札幌に居たんだけど、気づいたらこの街にいなかった。ベースのそうしろうが、明日のライブをもって脱退するらしい。モヨコが動き始めた時、彼はカホンだった。札幌のスピリチュアルラウンジというライブハウスで三人でやっていた。デイドリームビリーバーをやっていて、僕はデモを買った。今でもたまに聴く。思えば、初めてライバルというものを意識したのは、僕は、彼らかもしれない。同い年ということも、あったからかもしれない。いつだって悔しくて、羨ましかった。そして、彼らの存在が嬉しかった。

そうしろう、てめー。









バンドがしたい。バンドがしたい。
毎日毎日、そればっかり思っている。
してるじゃんとか言われても、そんなもんじゃない。

しかしあれだなあ、綺麗な空だなあ。



次の場所へ行かなくちゃな。
誰よりも冷たく。








いらいらする景色の中で
じとじとする空気の中で

夢が終わる前に

イメージ
先ほど札幌スクールオブミュージックにて学園祭に出演してきた。

一つのライブが創り出されるのに色んな人が関わるってのは、ライブハウスに普段行かない人でも何となく、何となくわかるはず。
演者がいて、その場所の人がいて、イベントをやろうと動き出した人がいて、スタッフがいて音響さんがいて照明さんがいて、受付の人がいて、タイムテーブルを作る人がいて。お客さんがいて。それらはその時々によって変わってはくるけど、とにかく色んな人がいるってのはわかると思う。




今日は関係者、すべてが、学生だった。



学校に着くと、生徒スタッフ達が迎えてくれた。
控え室に案内してくれる。学祭なのに。バリバリ仕事してる。学祭って、あれ、どんなだっけ。彼ら彼女ら、バリバリ仕事してる。そう、やるしかないのだ。彼らは。彼女らは。

リハーサルのため、ホールへ案内される。たくさんのスタッフの子達がいる。そこには、先日医療大の九十九祭の時にステージスタッフとして手伝ってくれていた子がいて、「あれ、この前の」と言ったら、あの日バイトで入ってましてと教えてくれた。そうか、みんなそれぞれの場所に戦いに行っているんだ。その子が今日はモニタースピーカーのPA(音響)をしてくれた。(ステージ上の僕らの足下にある、僕らの方に向いて置いてるスピーカーのこと。あれ大事なんす。)



ちょっと前に、「PAと照明用に、セットリストの音源と歌詞を送ってください」と学校側から頼まれていた。だけど、9割方のライブで当日にならないとセットリストを決めれない僕は、困っていた。その出番までの流れだったり感情の変化だったりで、歌いたい歌は変わってしまうからいつも当日にならないと決めれないのだ。でも、今回はちょっと話が違う。オペレーションをするのは学生である。進めてくれるのは学生である。音響やってみたいなとか、照明やってみたいなとか、そやって自分の夢だったりやってみたいなと思ったことに、勇気を出して足を踏み込んだ自分はめっちゃ最高だって思ってもらえないと、僕はプロじゃない。その為には事前に送って、照明さんなんか特にリハーサルまでに照明卓いじって、曲に合う色作りをして臨んだりするのだ。僕も経験者だから、わかる。だから、遅れてしまったけど、なんとか数日前にセットリスト決めて音源も送った。よし、これでいこうと。

んで今日学校着いた時、僕の感情はあっさりと覆り、…

こんな歌いらないかもしれないけど

お昼の12時に一人でライブをしてきた。5曲。
雨予報はほんの少しだけ力を貸してくれて、ザーザー降りはかろうじて免れた。ぽつり、ぽつりと、少しだけ降っていた。傘を差して聴いてくれてる人もいれば、傘を差さないで聴いてくれてる人もいた。

空は広い。どこにいても本当は、同じように広い。
高い建物の下にいれば見えるものは狭くなって、本当のことを忘れそうになったり本当のことが見えなくなったりするけど、でも最初から最後まで空はきっと広い。
今日歌ってるとき、僕の後ろには道庁のあのレンガがあって、僕の目の前には聴いてくれている人がいて、その向こうには曇り空が続いていた。どこまでも続いてた。僕の声もどこまでも突き抜けて欲しいなと思った。今この瞬間がとても愛しいな、幸せで最高だなって、そんなことを思った。

音楽を始めたこの街で、この街の空の下で、この街の雨の中を歌えるということが、心の中で燦々と輝いていた。映画の中にいるような、最後のワンシーンにいるような、そんな気持ちになった。





どこでだって歌える僕は、誰かのそばには居れなくて。

だけどお願い、せめて僕の音楽よ、どこでだって歌える僕の音楽よ。

雨の日には傘を。涙にはハンカチを。喜びには笑顔を。

そうやって誰かのそばで、お願い僕の音楽よ。



気持ちひとつ

イメージ
18日九十九祭。
18日はもう一本、モーメントフェス。
19日やついフェス。
21日ガガガSP&セッチューフリーツアーファイナル。
22日グッバイフジヤマ企画。

終わりました。

5日間の中でした5本のライブは、どれもギリギリで、どれも誇らしくて、どれも苦しくて、どれも嬉しくて、そんな感じだった。


九十九祭は、実行委員の方達が裏で必死に走り回っていた。逐一僕らのことを気にかけてくれて、逐一挨拶してくれて。雨予報だったけど、結局雨は止んでいた。「撮影禁止」という看板を爆音のスピーカーの前に立ち30分ずっと真剣に持っていてくれた実行委員の方達がいた。だから最後の最後に「みんな携帯出せ、写真撮ってくれ」って僕は叫んだ。そしたら看板持ってた子たち、「せっかくずっと持ってたのに!」と言わんばかりに看板下ろして、ようやく少しはにかんだのを見て、嬉しくなった。僕らの後にライブをしていた軽音部の方達がとっても上手でかっこよくて、対バンできて嬉しかった。ライブの後にストラックアウトをやりにグラウンドに行った。実行委員の方達が案内してくれて。僕は6枚しか抜けなくて、先にやっていた中学二年生の陸上部の子が7枚抜いてたらしく僕は負けて悔しかった。だから「お前来年も絶対来いよ、また勝負するぞ」と宣戦布告しといた。ていうか中学二年生で大学の学祭に来るってどんな度胸だよ。時間を作れず、10階に行けなかった。そういえば、出産予定日を過ぎた妊婦さんがライブ見に来てくれてて。来て良かったですと話してくれた。元気な赤ちゃん、産んでほしい。



モーメントフェスは、セルザラフブッチという札幌のバンドのイベント。これに関しては特に多くは語れず。ただただ、彼らの気持ちが勝った。僕に何ができるかな、僕はこの街に何が残せるかな、そんなことを考えた。東京に行ったさくがいた。札幌でさくを見たのは久しぶりだったもんで、僕は曲中にもかかわらずさくを前に呼んで「元気だったか?」と聞いた。そしたら、「元気!」とあいつは答えてくれた。この街は何にも変わっていない。ブッチがいる。感情は駆け回り、僕はなぜか涙が止まらなかった。



やついフェス。朝、札幌を出て東京へ。会場についてセットリスト決めて、ライブして。あんなにお客さん集まると思っていなくて嬉しかった。去年より会場が小さくなったのは悔しかったけど、でも、あのライブハウス僕らにぴった…

終わりは前を向いて

イメージ
6月2日

My Hair is Badのホームランツアーという名のツアーに参加。初めての群馬県、高崎市はclub FLEEZというライブハウス。早朝に、ここ2ヶ月くらい写真やら動画を撮ってくれているフウコと連絡を取っていて、そしたら、「行ってもいいですか?撮りたいです」と言ってきた。高崎だしフウコは学生だし次の日も朝から学校だったはずで、さすがに厳しいよなと思っていて、でも彼女の熱量の勝ちだった。
僕らは朝イチの飛行機で東京へ向かい、昼に都心で集合。ラブ人間のツネさんが車を出してくれて、僕ら4人とツネさんとフウコで高崎へ向かった。
初めての関越道。僕はバンドをやっていて、仲間やライバルの力を借りながら、また憧れの高速道路を走った。窓の外は美しかった。
ライブハウスに着くと、マイヘアがリハをしていた。ともと久しぶりに話した。ircle、FOMAREとは初めまして。ircleのボーカルのカワチさんが話しかけてくれて、なんだか嬉しかった。
オープン前、ライブハウスの前にはマイヘアのTシャツを着た人がたくさん並んでた。僕らのことを知っていた人はきっと、十数人だろう。それでも声をかけてくれたりする人がいて、僕は嬉しかった。
誰にも負けたくなかった。それしか考えれていなかった。でも、始まる前に、ふと自分のやるべきことできるべきことに気づいて、勿論負けたくなかったけどその前に向き合わなきゃいけないことから目をそらさずにやらないとと思った。目の前のフロアのこと。1曲ごとに、1小節ごとに、伝わっているのがわかった。腕がどんどん上がっていく。最前のマイヘアTシャツの女の子、最初は柵に肘掛けてどれどれって見てたけど、途中からキラキラした目でこっちを見ていた。男の子たちの声が聴こえた。
フロアの真ん中あたりで、ともがこっちをずっと見ていた。バヤくんが、袖でこっちを見ていた。僕は嬉しかったんだ、何かわからないけどあの日の全部が嬉しかったんだ。
終わったあと、裏の機材置き場でぶっ倒れてるところに、ともが来た。「…くっそ。なんなんだ。シンゴさん、俺やるからねマジで。」と言ってきた。「やれるもんならやってみろ」と、僕は数々の人気バンドマンたちから絶賛の声をかけられまくってる奴にむかって、べちゃべちゃなまま笑い飛ばしてやった。
結果的に全部持ってかれたけど(笑)、僕はもういいのだ、僕にできることに…