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ENDROLL AFTER SCHOOL 2020に向けて

2018年3月1日に、新しいイベントをやってみた。 ENDROLL AFTER SCHOOLというイベント。多くの高校で卒業式が開かれる3月1日の夕方から、最後の放課後のエンドロールがライブハウスで流れたら、どんな奇跡が起こるだろうかと思ってこのイベントを思いついた。 ド派手な高校生活を送った人もいれば、1年経たずにやめた人もいるし、部活動に打ち込んだ人もいれば、バイトに明け暮れる人もいる。友達と仲良くやれは人もいれば、全員ムカつくなって思う人もいる。どれが良くて、どれが悪いとかじゃなくて、今この年代を生きてるのは間違いないからだったらせめてこんな一日あってもいいじゃんかって気持ち。 卒業アルバムの寄せ書きの数じゃなくて、プリクラの数じゃなくて、友達の数じゃなくて、ちっぽけな放課後を爆音でやってみるのはどうかなっていう提案。 いろんな気持ちで過ごしてきた色んな学校の奴らが、それぞれの気持ちやそれぞれの学校生活を馬鹿にすることなく、最後に学校飛び出してライブハウスでかっこよく放課後のエンドロールを過ごす。一二年生は、来年再来年どう過ごそうかなって気合い入れる。 こういうの、高校生のときやりたくて、でもできなくて、あれから12年くらい経って今俺やってる。あの頃のどうしようもない気持ち、全然忘れてない。何も変わらない。 高校生以下は、入場無料。学校辞めた人も、状況話してくれれば無料にする。 友達いなくてもいい、一人だっていい、ライブハウスってとこ行ったことないけどこの機会に行ってみようかなってもし思ってくれるなら大歓迎、俺が絶対なんとかする。 ロックとかそういうの興味なくても、ライブってものには行ってみたいなって人がいるならそれも大大大歓迎だ。俺が全部最高にする、というか、全員で最高にしたい。 そして、共演者を募集している。共に作りあげてくれる共演者。 2018年は、KALMA、クロロフィルム、a-sobiの3組が応募してくれて出てくれた。いま、ボイガルのHPから募集中です。オリジナルバンドでも、コピーバンドでも、弾き語りでも、いい。お笑いとかでもいいんだ。見切り発車でも構わない、一緒にアホやりたい人。 もし、近くにそういう人いたら、話してみてよ。それか教えてくれ、俺からアタックもできる。 既にいくつか応募がきている、そのメ

目覚ましが鳴るよ

僕らは真逆だった。 2011年に札幌でこのバンドを始めた僕にとって、本棚のモヨコというバンドが唯一の同期と呼べるバンドだった。メンバーたちの歳も同じで、同じ頃に始めたバンドは、モヨコだけだった。いつぞやのmoleで、爆弾ジョニーのりょーめーが、「シンゴくん、みおちゃんがモヨコってさあ、そんなの最高に決まってるじゃんね。森くんの歌をみおちゃんが叩くなんて、ずるくない?」って言ってきたのを鮮明に覚えてる。 モヨコと僕は、聞いてきた音楽もそりゃある程度同じだったし、好きな音楽も同じだったように思う。GOING STEADYに本気でなれると思っていたし、アコギはゆずが教えてくれたし、クリスマスイブRapは歌詞を見なくてもそらで歌えるのが僕らの最低条件だ。 ただ、自分でやる音楽・やれる音楽となると、僕と森くんは大きく違った。 僕には「熱い」「まっすぐ」「等身大」というワードがわかりやすくずっとまとわりついてきて、それがいつも嫌だった。というかそれこそ、モヨコに、森くんにこそ言える言葉じゃないかと、僕はいつもそんな風に思っていた。僕は熱くないし、まっすぐじゃないし、かっこつけている。そんな言葉で括ってくる人には、いつも心の中で唾を吐いていた。 モヨコの周りにいるバンドたちはみんなカッコ良くて刺激的だった。僕はそれをいつも少し離れたところから指を加えて見ていた。だけど森くんは、僕に構ってくれた。決して仲良しではなかったように思うけど、節目節目で、僕らはそれぞれに何かあるときに、4.5時間二人きりで語らう仲だった。ファストフードや、公園、喫茶店。 札幌で月に5.6回一緒のライブに出ることなんてざらにあったな。 コロニーで中打ち、終電ないからそれから朝までうち、そんな夜もあった。 仲間だと思って、ずっと一緒だと思って、そんな偽物の安心を僕が被っている間に、モヨコはどんどん飛び出していった。メンバーがやめるとか、東京にいくとか、事務所がなんとかとか、ライブがどうとか、なんとかかんとか、「バンド」ってやつをしていた。かく言うこっちは、平凡な日々だった。あいつらとは違うんだという気持ちがどんどん大きくなればなるほど、比べる時間は増えた。爆弾もモヨコも、気づいたら先を行って、見えなくなっていた。いつからか、追うことをやめてからは、少し楽になった。 もう、何年

少年少女の星屑を集める

来年4月29日、実に2年8ヶ月ぶりに発売する3枚目のアルバムのタイトルは「大切にしたいこと」にした。小さなことから大きなことまで。派手なものからほつれた裾のようなものまで。 この「大切にしたいこと」を持って回るツアーは、ワンマンで回ることにした。今年は明転という名前で対バンありで回ってきたし、来年はまた挑戦、ドアをあける。 47都道府県、回れるわけがなかった。 沢山考えて、決めた箇所は13会場。 1本目、5月16日(土)札幌KLUB COUNTER ACTION 高校を卒業して人生で初めて足を踏み入れた場所が、カウンターアクションだった。僕の地元にはライブハウスはなかったから、初めて入った時は本当に怖かった。札幌に出てきてりゅうたってやつと友達になって、りゅうたがカウンターに連れて行ってくれたあの日の衝撃は、言葉では言い表せれないな。確か6組くらい出てて、1バンドも1曲も知らない状態で行ったのに、生身のロックンロールに心奪われてしまって。あの日トリで出ていたJET THUNDERSにメロメロになって。それから4年後ボイガルを始めて、遂にカウンターのステージに立つ日が来て、それはJET THUNDERSのイベントであの日と同じイベントで。それから8年経って、THE BOYS&GIRLSはメンバーがやめて僕1人になって、サポートメンバーに手伝ってもらいながら活動をすぐ始めて、その最初のライブが今年4月のカウンターで。来年ワンマンツアーやってやるぞってなって、初日どこにしようってなって、カウンターがいいって言って。ステージも低い、柵もない、爆音、あの日の自分が見にくる。 2本目、5月23日(土)福岡Queblick 音楽をやっていなければ行くことなんてあるんだろうかっていう街がほとんど。福岡に初めて行ったのは2014年12月、「歩く日々ソング」というシングルのキャンペーンでトモヤさんと2人で行った時。ラジオの公開収録、福岡に住んでいる女の子が2人、嬉しかった。元気にしてるんだろうか。宝くじ売り場の前で路上、寒い日だった。いっきが貸してくれたアコギ 、いい音だった。悔しかったなオンタク。プラネタリウムで歌ったりもして。トモヤさんと2人で行った屋台で出会った大学生、京都から来てたって言ってたっけ。ポッポコピーとの邂逅、風街、福岡好きすぎてラ

遠くない未来まで届けられるかな

いつも通り特になにも考えずに、ペニーレーンに向かった。 振り返ればいくらでも出てくるけど、ちゃんと自分でわかってる。 一歩先へ行きたかった。 ペニーレーンに着くと、COLONYの照明のミッチェさんがいた。夏頃生まれた赤ちゃんを抱いて、わざわざ来てくれた 。3月のペニーレーンのワンマンはミッチェさんが照明をしてくれて、その日の打ち上げで子供が生まれることを教えてくれた。赤ちゃんはおとなしくて、お利口さんだねえなんて言って。おっきい人間たちに囲まれてきょろきょろしていて、でも泣くこともなくたまーに少し笑ったような顔を見せてくれてかわいかった。なぜか辻を見た時だけ爆笑していたのがよかった、身長同じくらいだったな。ミッチェさんは、シンゴ頑張ってねと言って、ボイガルのラバーキーホルダーをつけた子供を抱いて帰っていった。 FREE KICKのゆうきさんとひできさんが来た。対バンした回数も決して多くはないしけど気づけばいつもこうして気にかけてくれて、顔出してくれて、見てくれる。大切で大好きな北海道の先輩。最高のバンド。「やっぱR-1だよなと思って」といって、2人はお酒とR-1をくれた。 マイアミパーティのドラム、ユウくんが来た。ユウくんは、このバンドの東京サポートとしてこの半年ドラムを叩いてくれた。奇しくもマイアミも札幌でライブで、自分の会場入りの前にわざわざ寄ってくれた。オロナミンCと、ファイブミニ。一気に飲み干して僕はリハーサルに入った。 リハーサルは予定していた時間ギリギリまで使った。1年で3回目のペニーレーンのワンマン、見慣れたわけではないけど見覚えははっきりとある。だけど、サポートメンバーのふるさんも三角もポルノもペニーレーンのステージに立つのは初めてで、なんなら3人はワンマンライブ自体が初めてと言っていた。本番までに身体中に染み込ませるんだ、この空っぽのフロアと匂いを。そして明転すれば、そこに本物ってやつがある。 リハーサルが終わって楽屋に戻って色々確認して、急いで会場BGMの整理。ここにきてパソコンの調子が悪くなり楽屋でどんがらがっしゃん。オープン時間が6.7分遅れてしまったのは僕のせいです、寒い中並んでたみんな、本当に申し訳ない。会場BGMは、この明転ツアーに出演してくれたバンド達の曲で。ほんの少し、各地のことを思い出した。 楽屋

傷だらけにて

「スマートフォンは機内モードにしてください」 と言われたので、投稿画面を開いた状態で機内モードにしたところ。空の上でゆっくりブログを打ち込もうとおもう。長くなりそうだ。翼にはハートマーク。 12/7 「下北沢にて」というイベント。主催のTHEラブ人間に心から感謝。 ラブ人間も下にても10周年。想像でしかないけど、死にたくなる夜なんてきっと、幾つもあったろうな。 朝、雨が降っていた。 2日に東京についてから、ほぼファミリーマートで買えるものしか食べていなかった。これが東京というものである。朝ファミリーマートで何か買って食べて、夜ファミリーマートで何か買って食べて。セイコマが泣いている。 午前11時頃、ラブ人間のツネさんから電話がきた。 ツネさんの第一声。「シンゴおはよう、あのさ、歌える?」。これは即ち、「(ボイガルの出番以外で歌ってほしいんだけど)歌える?」という意味であると、0.0001コンマで気づく。 僕は「歌えますよ。どこで何時ですか?」と食い気味で答えた。 歌えるに決まってる。 どうやらFINLANDSの冬湖ちゃんが体調不良でキャンセルになってしまったらしく、その時間を歌ってほしいとのことだった。歌えるに決まってる。 12時にトップバッターのラブ人間を見にいきたかったからとりあえず準備して下北沢GARDENに行った。最初は全部見るつもりだったが、僕にはやるべきことがある。ラブ人間の一曲目を見て、会場を出て宿に戻った。アコギは持ってきていなかったのでエレキでやることにした。30分ほどジャカジャカして、すぐ準備して会場の下北沢ERAに向かった。雨が、止みそうだった。近松スタッフの斉藤が「シンゴさんよろしくお願いします」と、階段の踊り場で僕に言う。到着はギリギリになって、すぐ転換の時間になった。 会場MCとしてチェコのマイちゃんが担当していて、久しぶりの再会は嬉しかった。 何曲やったかは覚えていないけど、40分ぴったりびっちり歌った。たくさんの人が来てくれて嬉しかったな。 ラブ人間を途中で切り上げ宿に戻ってERAに向かうまでの30分、A4の紙にとりあえず歌詞を書いて、それからステージに上がるまでの間ずっと聴き続けた。FINLANDSの「オーバーナイト」を最後に歌わせてもらった勝手に。乗せる冬湖ちゃんの痛み、原曲キーで歌っ

昨夜はひどいことを言ってすまなかった

2日から東京に来ているんだけど、やっぱり全然北海道と違う。 今日はパーカーだけでも外を歩くにはちょうどいいくらいだった。ただ、気づいたら空が真っ暗になっているのは、どこにいても同じなんだなと思った。多少の時間差はあれど、ここもそこも、明るくなっては暗くなる。さっきまでの茜色、誰に消されたんだろうな。 外が暗くなってることに気づいて、背中で窓の外を感じながら、なんてひどいことを言ってしまったんだろうと昨日の自分を思い出して情けなくなった。顔を合わせれるときには、あの時はひどいことを言ってしまった、ごめんねって、ちゃんと言おう。ありがとうとごめんね、絶対なくしてはいけない。 ライブの曲順はいつも、ギリギリにならないと決めれない。 リハーサルの時に決まってないなんてことはざらにあるし、前のバンドが終わってステージ転換するときにセットリストをメンバーに渡したことも過去にはあった。そういう時でも、俺の小さなアクションを察知して曲はしっかりと繋がっていった。 その日の会場の空気や、そこまでの出演者のライブによる感情の渦、自分のステージにはなるべくこぼさないように反映させたい。どうでもいいって時もあるけど。でも、なるべく。自分でも、ライブってものにワクワクしたいのである。 今年は、新体制になり今までとは全く状況が変わった。それが、本当に楽しかった。楽しかったという言い方があってるのかはわからないけど、ずっとワクワクしている。しんどい時もあった。だけど、俺を一人にしてくれる瞬間を音楽の中で確かに作ってくれるサポートメンバーたちのおかげで、ずっとワクワクしている。 今週末、東京でライブが二本ある。曲順は昨日決めて東京メンバーたちに送った。 イメージをした。小さな小さな世界の隅っこで、俺たちはど真ん中を歌おう。 9日後、ツアーファイナル、札幌PENNY LANE 24でワンマンライブ。 曲順は先日決めて、札幌メンバーに発表した。ホワイトボードに順番に書かれていくタイトルを見ながら、いいリアクションをしていた。集大成で上等、俺たちは強くなった。だけど忘れない、あくまで、この日だけのページをしっかりと大放出すること。そして、それまでのページもちゃんと繋がってることを。 思えば、「陽炎」という1曲が、本当にこのバンドを救ってくれた。 ぴったりちょうど1

あなたへ

明転 6/20札幌 w/空きっ腹に酒、-KARMA- 7/7大阪 w/Hump Back 7/22東京 w/ハルカミライ 8/3福岡 w/ircle、2 9/17名古屋 w/ハルカミライ 10/11高松 w/2、ハンブレッダーズ 11/10仙台 w/My Hair is Bad ほぼ月1でしか回ってこれなかったけど。 でも、このツアーの組み方が今年のTHE BOYS&GIRLSができる最速かつ最大の組み方でした。各地、来てくれた方、対バンのみんな、本当にありがとう。 見切り発車、一寸先は闇、切れた裸電球。 きつい二日酔い、錆びた弦、消えた台風。 音楽なんてなくたって、俺たちは生きていける。 各地で確かに巻き起こった、小さな小さなドラマと渦。ボロボロになったTHE BOYS&GIRLSの地図帳。もう、ヘトヘトで、くたくたになったよ赤い靴。 だけど進もう、目の前の1人に歌うこと諦めちゃダメだ。 この前、仙台でMy Hair is Badとツーマンをして、対バンシリーズは終了。 打ち上げ1軒目をでて、ともと2人でその辺にあった居酒屋にいって。 ホテルまで送るよなんていって歩いてたら、バヤくんがきて、3人で松屋行って。 またねーなんて言って、そこから自分の宿までひとりフラフラしながら歩いて。 あの真夜中の帰り道、一人で何考えてたっけな。 楽しかったなあとか、なんか、そんな感じだったっけな。 ポルノに部屋の番号きいて、もう着くからまだ寝るなって押しかけて、みかどもいて、ふるさんは寝たらしくていなくて。そこから自分の部屋に戻ったのは何時だったっけ、覚えてないけど、悪いことしたな。 思い返せば、 ひとりになってすぐ4月頭、陽炎のレコーディングして、MVもとって。 4/20に札幌でIMPACTっていうサーキットイベントで1発目のライブして。 5/12に帯広で2本目のライブ、BiSHとの2マンで。 そして6/20から明転ツアー始まって。 濃かった。 毎日のように、答えが出ないようなこと布団で考えてたら、もう11月が終わる。 明転、残りは12/13札幌PENNY LANE 24でワンマン

スクリーン

台風の被害が、どうかどうか最小限におさまることを、祈っています。 本当に。避難を。自身の安全と命が、何より誰かのためになると思います。 言うのは簡単だけど。 この2019年という年に、感謝と、怒りを。 10月9日、移動日前日。 台風の影響、サポートメンバーの動き、色んな情報かき集めて自分たち素人の予測も込みで、どうするのが一番いいのか、前日の9日からスタッフと悩みまくった。 悩みまくって、サポートメンバーのふるさんとポルノと三角を北海道から本州に向けて飛ばさないことにした。それを決めたのが18時前くらいだった気がする。 それを決めてすぐ、香川の古墳シスターズのまつやまくんに連絡をした。 「久しぶりだね。11日に高松でライブがあるんだ、俺たちのツアー。 札幌に住んでるサポートメンバーとやる予定だったんだけど、高松に上陸させないことにした。 古墳のみんな、11日、空いてないだろうか。1曲だけどうしてもバンドでやりたい曲があって、もし可能ならば力を貸してもらえないだろうか。」と。 古墳シスターズのスケジュールを見て、翌日10日に岡山でライブが入っているのはわかっていた。僕がまつやまくんに連絡したのが9日の夕方。 だけどどうしても1曲バンドでやりたかった。 無茶を言っているのはわかっている、わかっているけど、彼らしかいないと思っていた。 まつやまくんが「オッケーです、すぐみんなに確認します」と言って電話を切って、その数分後に、「メンバー全員オッケーです、我々にお任せください」と来た。 僕はすぐにその曲の音源とコード表を、ちくしょうありがとうと言う文と共に送った。 これからメンバーそれぞれ覚えてもらって、でも翌日10日は岡山ライブで、11日高松DIMEに14時に入ってもらうスケジュール。それを、任せてくださいといったまつやまくんと受けてくれた古墳シスターズのことを考えると、涙が出そうだった。胸が苦しかった。 それが決まってすぐスタッフ陣と共有し、諸々方向性が決まったのが19時頃。 そのタイミングで、サポートメンバー三人に、「みんなは飛ばさないことにした。」と連絡をした。 だけど、それから結局ずっと、それでも何とかできないかという気持ちがずっとあって、 常に情報とにらめっこ。日付が変わり、10日になり

朝もや

カラスがカァカァ鳴き始めてる。でかい声で。 ギターを持ってノート広げて小声でふんふんやり始めて数時間。どこかで聞いたことあるよ、それ。と思ったら自分の曲だ。ちくしょう、抜け出せない。ドレミファソ並び替えるように作っても気持ちよくない、でももう今の自分にはこれ以上出てこない。 抜け出せないループの中にいる気がする。どうしても明るくなる前に書きたかったが、自分の限界は自分で決める、多分今はこれ以上やっても出てこない。 どうせ、またさっきのメロディに行き着いてしまう。 そう思って、ブログの管理ページ「新しい投稿」を開いて今に至る。 特筆することは特にない。ただなんとなく、もう今日は無理だなと思って、ここにきただけである。情けない。カラスはカァカァ鳴き始めてる。でかい声で。 少し目を閉じてみて、メロディはそれからだ。 なんにせよ、ついさっきのメロディじゃだめだどう考えても。 もうじき東の空が段々と青白んで、やがて、並んでるCDの帯が読み取れるくらいこの部屋も明るくなる。そしたら目を開けて身体を起こして、もう一度ギターを持ってみる。 早くメロディにするんだ。言葉と重ねて、照らし合わせるんだ。 頼むぞ、午前。 お前にすべてかかっている。

手をつないだ何十年先も

パソコンが壊れてしまって。 ブログを投稿するときはパソコンでしていたから、不便になってしまった。このブログを管理するアプリもあったんだけど、携帯を変えたらそのアプリも使えなくなってしまった。なにかを新しく手に入れたかわりに、それまで持っていたものを手放さなきゃならなくなったり、生きていくってのはそういうことなのかなあ。もどかしい。 この1ヶ月、ライブもたくさんあったのだけれども。 これまで振り返ってはここに残してきたし、先月末からのことも残そうと思っていたのだけど、そのパワーが湧かない。思い出したくないとか、そういうことではなく。とほほ。 いやはやしかしながら、各ライブ、本当に、激情の気持ちで駆け抜けてきてるように思います。札幌サポートメンバーのふるさんと三角とポルノ、東京サポートメンバーのジオくんとユウくんと開。みんなそれぞれのバンドやそれぞれの生活がありながら、それぞれのスケジュールがありながら、僕の我儘によくついてきてくれている。本当にありがとう。 きっとボイガルのサポートをすることで、犠牲にしているものもあるだろう。 少ない期間で、ギリギリに決まる曲目を必死に練習してくれて、本番では好き勝手動く僕に食らいついて。ありがとう。そして何より、みんなのやっているバンドのメンバー達。本当に本当にありがとう。 形を変えながらのこのTHE BOYS&GIRLSを聞いてくれたり、見にきてくれたり、見てくれる方、本当にありがとうございます。救われています。 不揃いで、いびつで、ボロボロなままのこのバンドが今見せれるものは「ロックバンドとは何か」とか「ライブとはなにか」とか、最早そんなことではないような気がしています。それらを見せてくれる教えてくれるバンドはたくさんいるので、頼みますよ。 僕は今の自分をもって、たぶん、ロックバンドが見せてくれないものを見せたいのだと思います。 さて、 6月から始まったバンド回ってる「明転」というツアーは、残り3公演。 10月高松、11月仙台、そして12月札幌ワンマンでのファイナル公演。 7月から始まった弾き語りワンマンで回ってる「暗転」というツアーは、残り2公演。 今週末函館、10月東京。 めんどくさい男だなと我ながら思います、本当に。 我儘で、自己中心的で、困ったもんです。

後にも先にも今はない

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土砂降りの雨の音がとんでもなく心地よく感じる日は、あくびがよく出る。集中して、もう少し頑張ろう。平凡な毎日だけど、変わり映えしない日々だけど、ほんの少しの衝動もワクワクも大切にしていよう。誰になんて言われたって、最初に思ったのはどんな時も自分だし、最後に決めるのも自分だ。 8月16日、札幌SPIRITUAL LOUNGE、鈴木実貴子ズとツーマン。僕は弾き語り。 前日、僕は鈴木実貴子ズのドラムのいさみさんに久しぶりにメールをした。明日見に行けないけど頑張ってください的な当たり障りのないメール。鈴木実貴子ズは翌日のライジングサンロックフェスティバルにトップバッターで出演が決まっていた。 いさみさんから「何もかも初めてだけど、ライブはライブなので大丈夫かと思います!」と返ってきていた。それとほぼ同タイミングでライジングサンロックフェスティバルの初日16日の中止が発表された。いさみさんも、ほぼその時に知ったぽかった。台風。アーティストやたくさんのお客さんのことを考えての中止、こればかりは仕方ないなと思う。ただ、それでも実貴子ズはライブしなきゃダメなバンドなのも知っていた。しなきゃダメというか、するしかないのだ。一般公募で選ばれた初日トップバッター、どうなってもライブ。僕はライジングに出演予定のアーティストではなかったので、ただシンプルに、何かやりたいのなら僕が間に入ることもできるかもと思っていさみさんに「何かお考えですか」と聞くと同時に数カ所への連絡を始めた。場所や時間、実貴子ズの意図や気持ち、全てがいい感じにハマるのが一番いい。やり取りをして、最終的に夜にスピリチュアルラウンジで僕は弾き語りでの出演だけどツーマンをすることになった。そこから諸々詳細はスピリチュアルの新保さんとものすごいピッチで進めた。 実はこの時、ズーカラデルにも連絡をしていた。北海道の大切な友達だ、彼らもライジングが中止になった組。これは僕の独断。先のことなど何にも考えていない。実貴子ズとズーカラ見れるの最高じゃんってだけだった。ボーカルのノブに、「こうこうこうで、こことここは空いていて、」みたいなことをとりあえず送っていた。ノブから「ありがとう、ちょっと会議して折り返す」ときた。 新保さんともリアルタイムで色々報告しつつ、「タイトルどうする?」と言われたの

デッドエンド

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台風が大型で、全国が心配になる。 色んな場所に、友達や仲間や先輩や後輩やライバルや大事な人がいる。 そんな人らが怖くて眠れないような、不安で食事が喉を通らないような、そんな瞬間には自分には何もできないことの方がほとんどだ。自分にもっと力があれば、なんて思わなくていいようなせめてもの力があればな。 被害は最小限で収まりますように。少しでも阻止できそうなら、どうか守って。もう、なるべく、笑っていたいし、笑っていてほしい。いい睡眠と、食事と、少しの娯楽と緩やかな時間で。何でもかんでも、繋がる必要なんてない。狭い世界でも小さな幸せでも、それでいいのよ。 北海道、涼しい。 8月8日、札幌のや、星のない七夕のあと。 暗転ツアーは京都広島と終えて、北海道に上陸。3本目の拠点札幌。会場ののやでは、数回食事をしたことがあって、いつも「漁師のカレー」を食べていた。美味しいんだよなあ。色んなアーティストがライブをしていたので、いつか僕もここでやってみたいな何て思っていて今回念願叶って決行した。ありがたいことにチケットは売り切れ、並べた椅子は埋まっていた。ピアノのある秘密基地みたいで、少しドキドキした。札幌の人、というか札幌で僕やボイガルを見てくれる人は、どんな風に感じているんだろうか。ちゃんと伝わっているかな、ちゃんと聞こえているかな、ちゃんと届いているのかな、といつも思う。別にこれは深刻な思いじゃなく、至極軽い気持ちで。いつもどこかヒリヒリとする。冷たくしているつもりはない、僕が音楽を始めて今も住んでいる街だもん。ただ、新鮮な気持ちで街を歩くことはなかなか難しい。だけど、いつだって初めての気持ちで挑みたい。そしていつだってここが僕の出発点であり通過点であり現在地点だと強く思っていたい。北海道の七夕は、8月7日である。ライブが終わり、外に出ると雨が少し弱くなっていた。流れ星なんて見えないし天の川の軌跡も微塵もない札幌の空の下で歌えたこと、すごく僕にとってはいいことだった。 8月10日、帯広LABO17、鳴り止まないカミナリも。 久しぶりの帯広、一人で帯広で歌うのも随分久しぶり。暗転ツアーは4本目。帯広について、豚丼を食べて。美味しかったなあ。お腹もバッチリ満たされて、会場に向かって。なんだかムードあるLABO17でした。初めて歌わせてもらう場

おかえりなさい

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熱帯夜が続いて、ペンを走らせる手は止まって、どこにいても暑くて汗だらだらで困ったなあ。北海道も何日も30度を超える日が続いた。でもまあ、そこは北海道、日が暮れると心地よすぎるほどの夏風が吹いている。朝6時に近くの幼稚園に行ってラジオ体操することはなくなったけど、ハンコを押してもらうために列に並んだあのドキドキは、いつになっても忘れないもんだなあ。最初で最後の30歳の夏は、子供の頃に思い浮かべていたものではないけど、負けず劣らず、これはこれでいいものと思っている。 8月2日、広島ヲルガン座、ふわり浮かんでる夢のようだった。 弾き語りワンマンで回る暗転ツアー、2本目広島公演。チェックイン時間前の宿に行き「今日泊まらせていただくワタナベです、荷物を預かっててもらえますか」と慣れた口調でフロントに確認。「ワタナベさま本日ご一泊喫煙ルームでご予約いただいており、、、あ、ごめんなさい禁煙ルームでした、禁煙!ごめんなさいねえ、禁煙です、禁煙ルーム!」と少しご年配の女性の方が対応してくれて思わず微笑んでしまった。全く関係もないし似てもいなかったが、北海道の親戚たちに会いたくなった。みんな元気にしてるのかな。 荷物を預け、徒歩で街中まで向かったけど暑すぎてとろとろになり、マネージャー辻が来るまで電気屋さんで涼んでいた。辻が来て、二人で近くにあったつけ麺屋さんでお昼を済まし、ヲルガン座に向かった。4.14の前で懐かしさに胸がキュってなり、ここから始まった確かな物語にしゃがみ込みたくなった。市電と東急ハンズの景色に札幌を重ねた。もう、札幌のハンズは移転してしまったんだ。 ヲルガン座に到着、店主のイズミさんと1年8ヶ月ぶりの再会。「おかえりなさい〜」の一言目に随分と肩が軽くなった。バンドの状況や現状を話しながら、イズミさんもいろんな話をしてくれた。飲みな〜と出してくれた冷たいお茶が、身体中を気持ちよさそうに泳いでいた。 時間になり階段を降りてヲルガン座のドアを開けイズミさんに挨拶して、ステージの椅子に座って。1年8ヶ月前、初めての広島弾き語りでいきなりワンマンをしたあの日より確かに僕は強くもなったし、アホにもなった。暗転初日の京都もめちゃくちゃ笑ったしすんごい楽しかったけど、この日はそもそもふざけまくってしまい、明らかに夏に浮かれていた。僕はずっと夏が遠

恋のマシンガン

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あまりにも濃かった。 まだ終わってはいないけど、7月、濃かった。 7月21日、幕張海浜公園、MURO FESTIVALに出演。 バンドが一人になることが決まり、そんな中で最初に声をかけてくれたのが室さんだったように思う。室さんとは何者かというと、渋谷O-Crestの店長さん。僕は室さんと朝まで飲み明かしたこともないし、深い話もしたことはない。だけど室さんは、節目節目でライブを見に来てくれて気にかけてくれていた。札幌のこんな芋バンドを。僕は未だにあの人がどんな人なのかわからない。ムロフェスに出ていたバンドのほとんどが、室さんとの思い出や室さんはこういう人だから今日はこういう日だとMCで言っていたし、呟いていたりしてるのを見たけど、僕は、室さんのことで話せることはそんなにない。「室さん、なんでボイガルを呼んでくれたんですか?嬉しいけど、なんでですか?」と言うことくらいだった。ただ、一つだけ、絶対誰にも言ってたまるものかという物語がある。僕と室さんだけの秘密の話がひとつだけある。もしも、「その時」が来たらこの話をみんなにする。その時が来たらきっと、僕は室さんと初めて、朝まで飲めるのかもしれないなあなんて思っている。 この日のサポートメンバーは、開とジオくんとユウくん、東京メンバー。それぞれのバンドのスケジュールでドタバタな中、本当によくやってくれて、頭が上がらない。かっこいい奴らだ。ジオくんとユウくんのやってるマイアミパーティは前日神戸でライブで、夜行バスで戻ってきてそのまま幕張に来てくれた。ありがとう。開も忙しそうにしていた。The Floorのヨウジとこうちゃんが、手伝いで同行、楽しかったな。はなちゃんも始発で札幌飛び出してきてくれた。 僕の知ってるやり方でやれました。言いたいことも言えました。あんなに開放的なライブハウスでライブができて、まだまだ知らないことがたくさんだなって思った。 7月22日、渋谷O-Crest、初めての場所、始まりの未来。 この日のサポートメンバーは、ふるしたさんと三角とポルノ、札幌メンバー。朝一の飛行機で札幌を出てきてくれた。会場入り前に1時間4人でスタジオに入る予定だったけど、彼らはその2時間前から3人でスタジオに入っていた。ふむふむ、なかなかやるじゃないか。 対バン

正反対の私たち

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例えば大きなステージに立ちたいとか、たくさんの人に聴いてほしいとか、憧れのアーティストと共演したいとか、まあ色々あるわけだけど。そりゃ、そういうことをやっているから、至極当たり前に浮かんでくる感情の一つで。 そしてそういうのは、どんどん口に出していくといいのもなんとなくわかる。心の中を言葉にして声にして口から出すと、不思議と近づくような、なんだかそんな気がする。 だけど、それとは真逆の、正反対のところで巻き起こることに気持ちを乗せることができなければ全くもって意味がない。意味がないというか、きっと近づくことはない。 「自分にとってこれは必要ない」「この人は合わない」「こういう言葉は取り込みたくない」というシャットアウトの判断を簡単にしちゃダメだというわけではなくて。そういうのはガンガン遠ざけるべき。疲れちゃうから。でも、ぼんやりとしてる未来をぼんやりと同じように見ている人がいるのなら、そんな空間や瞬間の最中にいるのなら、話は少し変わってくる。くーっ、人生って素晴らしい。 7/13.14の二日間、JOIN ALIVE内の「オルタナティブガーデン」というエリアで、歌を歌わせていただいた。もともと2016年に、鹿ステージと題してジョインの会場内で弾き語りをしたところから始まり、2017年にオルタナティブガーデンと出会いそこでやらせていただき、昨年もオルタナティブガーデンで歌い、今年もオルタナティブガーデンで。それまでゲリラ的に決行してきた鹿ステージだけれど、今年はオルタナティブガーデンの吉武さんから直々にオファーを頂いて歌わせていただいた。他にもオルタナティブガーデンに出演されたアーティストさんはいたけども、僕だけ告知は両日ともに当日となっていて、にもかかわらずたくさんの方が集まってくれて嬉しかったです。 教育大の岩見沢校の学生たちが中心となり存在しているあの場所が、気づけば僕はジョインの中で一番好きな場所になっていました。 昨年よりもっといい場所になるように、ジョインにきているお客さんたちがほっと一息つける場所になるように、一年間頑張ってきたんだろう。初日の14時前頃に会場についた時に、昨年に比べて明らかにオルタナティブガーデンに滞在している人が多かった。活気があって、でも、緩やかな空気も確かに流れてる。それだけでなんだかグッときてしまった

追いつけ感情

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海で遊んだことが数えるくらいしかない僕でも夏は海ってイメージが強いんだから、海は広いな大きいな。すんごいな。ゴミだらけの街を見たら「ゴミみたいな街だな」って思ってしまうから、僕は狭いな小さいな。すんごいや。どこにいても、暑すぎず寒すぎず、なんだか気持ちのいい気温が続いているように思う。体調はどう? 7月5日、 京都SOLE CAFE、夢の中泳げば巡り会う。 暗転ツアーの初日でした。ずっとワクワクしていたのでこの日を無事に迎えることができてホッとしたという気持ちがどっぷり。朝イチの飛行機に乗って関西空港着陸。「はるか」という特急に乗って京都へ。幼馴染のはるかは、5月6日生まれだ。京都駅に着いて、突き刺す京都タワーはやけに穏やかで、ホッとした僕はこの街が好きだと確信した。住みたい街の一つなんだよなあ。そこから、会場入りまで時間があったのでネットカフェに入った。ほんの2時間弱ほど小さなフラット席で横になって、店内の換気扇の音をぼーっと聞き流していた。もともとネットカフェは得意ではないし、尚且つ久しぶりのネットカフェだったので、何をするでもなくただただ横になっていた。そこでぼんやりと「暗転ツアー」のことを改めて考えてみたりもした。というか、暗転という言葉の意味などを。ワクワクした。 ネットカフェを出て、北大路へ向かい地上に上がると京都っぽい風が吹いていた(適当に言ってる)。会場入りの前に1時間半ほどいた喫茶店も、そのあとに寄った銭湯も、何もかもがちょうどよく最高だった。そしてそこまでの序章は完璧なまでに会場SOLE CAFEに続いた。お店の村田さんご夫妻とたくさんお話ししながらリハーサルを終え、あっという間に開演。京都での弾き語りは初めて、初めてにしてワンマン、普段はあまり気にしないけど平日。今回の暗転、関西圏は大阪もあるし、なんて野暮な考えも浮かぶ。はあ、情けない、何を考えてるのだあたいってば。目の前にいる人がすべて、ありがたすぎる空間でした。僕も何かを渡すことができているといいな。 弾き語りの新しいCD「愛葉集」もたくさん聞いてほしい。歌詞カードもジャケットも、いろんな気持ちを込めて全部自分でやりました。一つだけ絵を入れているのは、森野日にちさんが描いてくれた絵です。隅々までよろしく。Tシャツも歌に沿ったものにしました、寝巻きにでもしてほしい。ああ、いい日

限りない夢を

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バンドというものがひとつの灯りだとするならば、このTHE BOYS&GIRLSというバンドは本当に小さな電球だなと思う。少ない光量しか持ち合わせていなくて、灯せる範囲なんてこれっぽっちで、見渡す限りが明るくなるわけでもない。なくしてしまった鍵とかリモコンとか、しばらく使ってないハサミとか、探せるものとか見つけれるものはきっとそれくらいの、小さなものなんだと思う。それでいいし、そうだといいなと思う。蛍光灯より小さな裸電球で、その方が暗かったことを忘れずにいれそうな気がするのは僕の弱々しい性格からだろう。でもなんとなくこのバンドはきっと、そうあるべきなような気がしている。そんなの感じ方はきっとそれぞれだからこんなこと言うのは野暮っちゃ野暮なんだけど。例えば太陽のように思ってくれる人もいるかもしれないし、例えば押入れの中から画鋲で戸に穴を開けた時に差し込んできた小さな小さなあの光のように思ってくれる人もいるかもしれないし。ただあくまでも僕は、当人だから、そんなような気がしているだけ。追いついていてもいいし、追いついていなくても別に問題はない。 みみばしるが終わって札幌に帰ってきた3月4日、あの日から3ヶ月半。 文字にすると、あれだな、めちゃくちゃ短いな。この3ヶ月半が濃すぎて、思い出すだけで何でもいいからサラダ食べたくなるな。シャキシャキのやつ。 オリジナルメンバーとの最後のワンマンツアーがあって、間に弾き語りのライブもあって、間でサポートメンバーとのスタジオも入り始めては曲を書いて。4月になっても同じように毎日のように歌ってはスタジオに入り、そして「陽炎」のレコーディングをして。MVも撮った。気づいたらあっという間に新体制初めてのライブがあり。そして変わらず弾き語りのライブもあり、あれやこれやで新体制2本目のライブがあり、弾き語りやって愛葉集のレコーディングあって、声出なくて別の日にまた東京行ったりして、東京のサポートメンバーともスタジオに入ったりしながら弾き語りでのライブはあり、気づいたら「明転ツアー」が始まっていた。 油断すると、まるで一年分の活動をしたような気分になりそう。あぶね。 6月20日、札幌cube garden、暗闇からここまで来たんだ。 リハーサル、明らかに何かが合わない。何かはわからない

僕とひょっこりはん

ずっと、今日みたいな天気だったらいいな。 晴れてて、適度に雲が広がっていて、適度に風が吹いて、適度に6月で。特に誰に連絡をするでもなく、イヤホンから何を流すでもなく、陽が傾いていくのをなんとなく背中で感じているだけでも虚しくはないみたいな。 誰かの幸せなニュースに、関係のない誰かが過去を掘り返しては、それを誰かに伝えていく。「ああ、なんて幸せなニュース!(でも確かに昔はこうでこうでこうでほにゃらら、、、)」。気持ち悪くて吐きそうになる。結局、徒党組まなきゃトイレにも行けない人ばかりで、しかもそれが正しいトイレの行き方みたいで、やんなっちゃうよ。 なるべく、カタカナ語は使わないようにしないとな。「思い出のアップデート」って何?思い出が増えていくとか、そういうのじゃだめなのかしら。誰しもが抱くマイノリティでセンセーショナルなパラサイトはワールドワイドでリスキーでオーガナイザーがフィックスするツールのスーサイドによりチルアウトがドロップしてジャスティス。何?誰かのインタビューを読むと、最終的に自分の頭の悪さと言葉の引き出しの少なさが露呈されて終了することが多々ある。とほほ。 僕はもう、12年ほど美容室に行っていない。ずっと自分で切っている。前も後ろも横も。100均のスキバサミと普通のハサミを使って、毎度毎度、適当に切っている。なので、実かかなりベテランだ正直。美容師で、切るようになって12年って、なかなかだ。それもあって、毎回ほぼ同じ髪型になる。自分の中でうまく行った時と失敗した時があるんだけど、はたから見れば毎回同じだ。基本形がこの髪型になって、10年が経った。正直僕はこの髪型にしたくてしているわけではなくて、結果これにしかならないのである。だけど僕はいいとも悪いとも思っていない。それは、ばあちゃんに言われた一言にある。 ばあちゃんが一人で入院している頃、レンタカーを借りて釧路まで会いに行ったことがある。僕だけ正月も帰れないのが年々増えてきて全く会えていなくて。ばあちゃんが入院したのを聞いて、時間見つけて会いに行こうと思った。おかあに「ばあちゃん、あんたのこともうわからないかもしれないから、覚悟していきなさいよ」と言われたのを覚えている。当日、詰所で「面会にきたのですが」と看護師さんに聞いて、ばあちゃんの部屋に連れて行ってもらった。ばあちゃん

大切にしたいこと

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5月12日に帯広MEGA STONEでライブがあった。イベントはセッチューフリー、内容はBiSHとツーマン。メガストーンでライブをするのは初めてだった。 カイトとケントとトモヤさんが脱退して、2本目のライブ。サポートメンバーはベースが三角、ドラムがポルノ(大岡)、ギターは急遽DOUBLE SIZE BEDROOMの正和さんにお願いした。新体制1本目でギターを弾いてくれたウズラが出れなくなったため、今回は正和さんにお願いした。ウズラの地元が帯広で、あいつが高校生の頃に帯広でやっていたバンドに僕は世話になったから、あいつとこんな形で帯広に帰れるのが楽しみではあったけど、仕方ないことは仕方ない。すべて、あのバカうまいカレーライスのせいにして水がぶ飲みで飲み干そう。 僕はずっと、帯広restというライブハウスに世話になっている。去年の5月には、初めての帯広ワンマンをやった。場所はもちろんレストだ。あの日は友達の誕生日だった。あずまりゅーたって奴。りゅーと飲んだ酒の量は数知れず。りゅーと越えた夜の数も、面倒くさいほど。りゅーと二人でレンタカーで、レストに弾き語りに行ったこともあった。あの日は、えりこちゃんというとんでもない最高な鍵盤弾き語りの子と一緒だった。今でもたまにCDを聞いている。僕とりゅーは二人で会うと、よくあの子の話になる。あの子はロックンローラーだった。 話を戻そう。 去年の帯広ワンマンの日、レストのなおさんとやまさんと話している時に「ウズラくんは元気にしてる?」と言われた。この日に限ったことじゃなく、レストに行けば大体いつもあいつの話になる。「ああ、なんとかやってるみたいですよ」と僕は適当に答える。レストと僕をこんなんにも繋げてくれたのは紛れもなくウズラだ。 なおさんは「あずまくんも元気なの?」と僕に言う。「ああ、なんとかやってるみたいですよ」と僕は適当に答える。だけどなおさん、すいません、あの頃実は、りゅーは僕からの連絡を全部無視していたんですよ。あの頃、りゅーはライブハウスにも姿を見せなくなって、音楽もやらなくなって、閉じこもっていたんです。ひたすら仕事して。で、僕だけ彼と連絡が取れなかったんです。なんか、僕に会わせる顔がなかったんですって。ひどくないですか?そんなことどうだっていいのにね、僕の電話もメールも全然繋げてくれなか