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7月, 2016の投稿を表示しています

お祭りのアイスコーヒー

いつものお店がお祭り会場になっていて、はっぴを着た見知らぬ方々に「お祭りなんです」と教えられた。店内の椅子の並びが少し変わっている。レジ前には、あれなんだろう、ヨーヨーすくいかな。よく見えないけど。いつも食べているスパゲティーはメニューになく、というかそもそもお店のメニューがなく、お祭り仕様になっていて、300円の焼きそばだったり焼き鳥だったりになっている。缶チューハイとか。綺麗でスタイリッシュな店内には少しトゥーマッチな気がしないでもないけど、別にそんなことはどうでもいいか。中学一年生の頃、僕はとある女の子に一目惚れをした。別の小学校から来た女の子だった。僕には幼稚園の頃からの幼馴染のはるかという女の子がいるんだけど、そいつが僕に「しんごー、めっちゃ可愛い奴と友達になったよ、こいつー」と廊下でいきなりなぜか僕に紹介してきた。僕はその瞬間に一目惚れしたのだ。こんなに可愛い子が、僕と同じ学年にいるなんてと。その子はゆずが好きで、僕もゆずが好きだった。その子に、僕はその年の夏、町のお祭りで告白をした。姉が持っていた何か中華っぽいデザインの赤いおしゃれなジャージを着て、僕なりにおしゃれをして。小さな橋のところで、お祭りの道から隠れて僕は告白した。僕はそれから彼女のことが7年間くらい好きだった。もう何年も、本当に何年も前のことなのに、何でこんなに覚えているのか自分でもわからないけど。そんなことがあったなあ。その子を紹介してくれた幼馴染のはるかとは、幼稚園から本当にいつも一緒にいた。小学校の時なんて毎日毎日、遊んだり、野球をしたり。日が暮れるまですぐ近くの駐車場で二人でキャッチボールをしたり。野球部でも何でもないはるかは、おかげでその辺の男なんかよりも野球が上手だった。僕が毎日のようにキャッチーボールに付き合わせていたから。僕は今になって思うけど、僕は恋をしながら、はるかのことを本当に大切に思っていた。もちろん僕は、中学一年生の頃に一目惚れをしてからずっとその子が好きだったし、はるかも恋をしていたけれど、でもなんていうか、はるかに喜んでもらいたかった自分がいたのも確かだ。僕は比呂で、はるかはひかりだった。大袈裟だけどそんな感じだった。はるかも、その子も、今とっても幸せみたいで嬉しい。ゲラゲラ笑っているあの二人の並びが、僕はずっと好きだった。高校生になって僕が携帯を持つようにな

もうずっと笑ってる

京都、渋谷とyonigeのツアー。来てくれた方はどうもありがとうございます。京都MUSEめっちゃいいとこだったなあ。広くて天井高くてホールっぽい感じだから、音もぐわーってなるかなあと思ったら全然そんなことなくてとてもいい感じだったし照明も綺麗だったしスタッフの皆さんもいい方たちだった。京都と渋谷で思ったけど、yonigeには若い女の子のお客さんが多かった。yonigeと同じくらいの女の子達がyonigeTシャツきてて、もちろん男の子たちも多くて。少し羨ましかった。ドラムはゆっこが叩いていた。札幌在住のゆっこ。今まで札幌はもちろん東京とかでも対バンしていたゆっこが、大阪のバンドのサポートで、京都で叩いていて、対バンした。あいつめちゃめちゃ戦っていた。札幌の人たちに見せたいくらいだった。なんか感動しちゃったもんな僕。打ち上げも楽しかった。宿や移動の時間は、ひとりでゆっくり色んなことを考えた。楽しかったあとに、ちゃんとフッと切り替えて色々考えれるようになってきた。もちろんひとりで色々考えると少しキツくなってりもするけど、僕には必要なことだから逃げていてはダメだと思った。で、色々考えれた。そういえば「色々」で思い出したけど、色々思われてて色々言われてるらしい。小学生のように。それから逃げるわけでもないし勝手にしやがれって感じだけど、そんなこととは別に、この街をいつ出ようかなってタイミングをずっと考えている。なかなか答えは出てこないが、キッカケになりそうなことはいくつか浮かんできている。広い空と、狭い日々と、上っ面のお疲れさまですと、裏っ側の笑顔。神経の使いどころ、悪いが僕だって考える。限界地点は自分で決める。あいつの言うことよりも、誰かが言うあいつの言うことの方が信じれるなんて、そんなわけない。僕はあいつの言うことを信じる。だからもう僕に話さないでください。吐き気がする。ってみんな思ってるはずなのに何が楽しくてそんなあんなこんな。仲間たちと駆け抜けていってください。それにしても、ひとり3が本当に楽しみ。来てくれる人っていうか、目の前をとにかく信じて、そんな風に僕はやっていく。

ずっと夢見させてくれてありがとう

ブログを投稿したくてしたくて仕方なかった昨夜。結局投稿できず眠って、朝起きて、もう昨夜の気持ちがまるで嘘だったかのように、ブログ投稿する余裕なんてなくなった。いつか、何事もなかったかのようにこのブログも消えちゃうし、ツイッターだってそのうち消えちゃう。記憶は更新されて状況は変わっていき、いつか僕だって死んじゃう。だけど、この数日間で心の底から色んな感情が溢れ出てきたのは確かで、本当に僕自身が生きている証になったし、生きて繋ぐバトンは落とさずに過ごせた気がする。それに関しては今だってそうだ。14日、場所はタワレコ札幌ピヴォ。大阪の空きっ腹、広島のペロペロ、東京のラブ人間、カメラマンのミノルさんと一緒に、インストアイベントに参加させてもらい数曲歌わせてもらった。当日の朝に起きて、どうしても歌にしたいことがあって、すぐギター持ってノート開いて歌にした。「ゆーちゃん」という歌。歌詞を全部書き上げれず時間になり家を出てタワレコに向かった。控え室で残り数行を書き上げて、ひたすら小さい声で練習。歌詞とメロディーと思いをひたすら全身に散りばめた。空きっ腹のユキテルが「シンゴ、それ、めちゃめちゃええ歌やな。」と言ってきた。「新しい歌。ありがとう」と僕は答えた。その日は朝まで飲んだ。15日、明日からのジョインアライブで歌いたいという思いはピークへ達し、本当にダメもとで、ジョイン開催前日でドタバタなマウントアライブへ問い合わせ。もちろん関係者を通じて。というか、実は今月入ってから一度この話を持ちかけてみたんだけど進展なくて僕も踏み込めなくて諦めていて。でもやっぱ、諦めきれなくて。で、日付が16日に変わってから連絡が来て。「シンゴ、行くぞ。明日。」と。それだけ。とりあえず明日になったらここに来てくれという連絡があり、ドキドキして、少しお酒を飲んだら気持ち悪くなった。16日、僕は電車で岩見沢に向かい、駅からタクシーで会場に向かった。ゲート前に着くとスタッフの方が迎えに来てくれた。ベルベット裏にある本部に行くとマウントアライブのとある方が、「シンゴ頼むな」と言ってくれた。その人が今回の僕のゲリラ弾き語りを押してくれた。その人は身体中にトランシーバーのようなものをいくつも付けていた。わかってる、僕のこと構ってる時間なんて、1秒だって本当はないこと。でもきっと、自惚れなんかじゃなく、僕のことを信じ

むし返した赤い意思と過ぎ去ってく日々の意味を

岡山広島神戸の三日間から、ずいぶん経った気がするけど。全然じゃん。 昨日、三宮から神戸空港に向かういつものポートライナーの中、遠くなってく街を見ながら儚いなあなんて思いながら、またいろんな日々を歌にして歌えなきゃって考えながら、前を向かなきゃって決めた。 9日 朝に岡山のホテルをチェックアウトして、少し駅の周辺を歩いて回ってから広島へ向かおうと思って、ツイッターで教えてくれた奉還町商店街という辺りに行ってみた。10時とかで、全然何もやってなくて、「全然何もやってない!」って思わずひとりで声に出しちゃった。 んで、すぐ駅の方に戻って駅の中で時間つぶすかなと思ったら、小さな喫茶店をみつけた。お店の名前があまりにも今の自分にぴったりだったので、迷いなく入店した。 ガンガンの冷房、昔からのチェアー、おじいちゃんマスター、おじいちゃんのお客さん、おばあちゃんのお客さん、謎の素敵な絵。完璧。僕は、アイスレモンティーを頼んで、しばらくお店にいた。昨日のことを時折思い出しながらも、これから向かう広島のことを考えていた。前回の広島のことや、その前の広島のことや、初めての広島のことや、街並みや泊まったホテルとか、セットリストとか。何歌おうかな、どんなことが起こるかな、大したことない色んなことを考えていた。 時間も時間、岡山駅に向かい、僕は新幹線で向かった。(バスで行こうとしたけどそのお店でボーッとしてたら余裕で時間過ぎてて) 広島について、駅から歩いた。快晴、30度。どひゃ〜って感じだった。確か天気予報は雨だったはずと思い、携帯の天気を見てみると現在地の現在の天気は雷雨と出ていた。どうしちゃったんだろう…と思った。今日はこれもう、どうにもなっちゃうなと思った。 会場は、広島4.14。去年11月に来て以来の4.14。そういえばあの日もラブ人間がいた。 ギリギリまで悩んだけど、セットリストを決めた。僕らには時間がないが、だけどとにかく駆け抜けて、抱きしめて、笑って再会を約束しよう。そんな35分にしたかった。 ライブの冒頭、そんなつもりじゃなかったけど、久しぶりに即興から。ライブ前に見ていた外の景色と、札幌が重なって、思わずそれが出てきた。 一瞬だった。 ずっと暑かった。 汗が止まらなかった。 もっと、もっと歌いたかった。

手を伸ばしたよ

初めての岡山でのライブが終わり、宿に戻ってきてスパゲティーを食べ終わったとこ。今日はずっと雨が降っていた。今も降っている。雨の音が心地いい。 僕らは、札幌のバンドの中でも結構ライブやってる方だと思うが、それでも、行ったことない街ってのはたくさんある。岡山もそうだった。というかバンドとか関係なしにこれまでの人生で初めての岡山でした。 嬉しかった。全部が嬉しかった。 また来たい、すぐに来たい、もっと聴いてほしい。もっと笑わせたい。雨、あがらせたい。色んなこと思った。最後の歌でギターを弾いてくれた8歳の男の子が、終わったあとに「今日は、ありがとうございます!!」と一生懸命伝えてくれた。僕も「こちらこそありがとう、かっこよかったぞ」と伝えた。 来れなくなった娘さんに代わって来てくれたお母さん、四国、北海道、京都、色んな場所から来てくれた人、本当に色んな人が、それぞれの生活を過ごしながらあの場所選んでくれたという奇跡に、僕は心から感動したし再認識した。自分のやっていることの重大さを。 日付が変わり、9日、広島。どうなってしまうかなんてわからないが、すべてのすべてで向き合い抱きしめることができれば、最高である。ひゅーいさんとラブ人間が一緒に回ってる。愛のある2組。僕らもそうでなくちゃ。 忘れられない日は、どんどん増えていく。 話はかわるんだけど、一昨日路上やったとき、一人の男の子が来てくれてて。そいつは無地の白いTシャツをきてて、終わったあと、「シンゴさん聞いてほしい話があります」と言ってきた。 「僕は高校3年間ベースをやってきました。8日と9日、最後の学祭があります。僕はそこで、どうしても、すべてはここからをギター弾きながら歌いたいとおもいました。でも、ギターは弾けません。でも、後悔してしまいそうな気がしたから、3ヶ月くらい前からギターボーカルの練習をし始めました。最後の学祭で、どうしてもすべてはここからを歌いたくて。全然うまくはないけど、ギリギリなんとか形になりました。9日、音楽室でのライブ、出番が最後になりました。そこで歌います。 ここ数日、この格好で街をずっとフラフラしてました。シンゴさんにこの話をしたくて。街歩いてたら会えるかなと思って。で、会えたら、この無地のTシャツに

その向こーにある明日は

明日からの三日間が楽しみです。 まずは明日の岡山。初めて行く。前に広島でライブした時、岡山にも来てくださいと言われたことがあって、ようやく行けるな。どんな街かな。 広島は五月一日ぶりか、もう随分行っていない気もするけど、二ヶ月ぶり。早い方だよなきっと。もっと行っていない場所たくさんある。あといつも泊まる広島のホテルがすごくお気に入り。 神戸なんてもう、100年ぶりくらいな気がする。何度も通り過ぎてきた。ライブはしばらくしていない。この前路上した時、このままずっとここにいたいって思った。 話は変わって、「さく」という知り合いがいて。 さくから、夜中メールがきた。そのメールを読む時、彼の声が聞こえたような、なんていうか、彼が普通に僕の目の前でそのメールの内容を話してくれているような、そんな気がした。彼の声で聞こえた気がした。いつだか、創成川で一緒に歌ったな。あれは何年前だろう。僕が路上やってて確か警察が来て創成川にみんなで移動して、さくもその中にいて、「さく、歌いなよ」って僕が無茶振りして、「はい」って。さくのことを知っている人など確かその頃全然いなかった気がする。 さく、メールありがとうね。 明日は、東京の本棚のモヨコが札幌でライブだ。 彼らはもともと札幌に居たんだけど、気づいたらこの街にいなかった。ベースのそうしろうが、明日のライブをもって脱退するらしい。モヨコが動き始めた時、彼はカホンだった。札幌のスピリチュアルラウンジというライブハウスで三人でやっていた。デイドリームビリーバーをやっていて、僕はデモを買った。今でもたまに聴く。思えば、初めてライバルというものを意識したのは、僕は、彼らかもしれない。同い年ということも、あったからかもしれない。いつだって悔しくて、羨ましかった。そして、彼らの存在が嬉しかった。 そうしろう、てめー。 バンドがしたい。バンドがしたい。 毎日毎日、そればっかり思っている。 してるじゃんとか言われても、そんなもんじゃない。 しかしあれだなあ、綺麗な空だなあ。 次の場所へ行かなくちゃな。 誰よりも冷たく。 いらいらする景色の中で じとじとする空気の中で

夢が終わる前に

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先ほど札幌スクールオブミュージックにて学園祭に出演してきた。 一つのライブが創り出されるのに色んな人が関わるってのは、ライブハウスに普段行かない人でも何となく、何となくわかるはず。 演者がいて、その場所の人がいて、イベントをやろうと動き出した人がいて、スタッフがいて音響さんがいて照明さんがいて、受付の人がいて、タイムテーブルを作る人がいて。お客さんがいて。それらはその時々によって変わってはくるけど、とにかく色んな人がいるってのはわかると思う。 今日は関係者、すべてが、学生だった。 学校に着くと、生徒スタッフ達が迎えてくれた。 控え室に案内してくれる。学祭なのに。バリバリ仕事してる。学祭って、あれ、どんなだっけ。彼ら彼女ら、バリバリ仕事してる。そう、やるしかないのだ。彼らは。彼女らは。 リハーサルのため、ホールへ案内される。たくさんのスタッフの子達がいる。そこには、先日医療大の九十九祭の時にステージスタッフとして手伝ってくれていた子がいて、「あれ、この前の」と言ったら、あの日バイトで入ってましてと教えてくれた。そうか、みんなそれぞれの場所に戦いに行っているんだ。その子が今日はモニタースピーカーのPA(音響)をしてくれた。(ステージ上の僕らの足下にある、僕らの方に向いて置いてるスピーカーのこと。あれ大事なんす。) ちょっと前に、「PAと照明用に、セットリストの音源と歌詞を送ってください」と学校側から頼まれていた。だけど、9割方のライブで当日にならないとセットリストを決めれない僕は、困っていた。その出番までの流れだったり感情の変化だったりで、歌いたい歌は変わってしまうからいつも当日にならないと決めれないのだ。でも、今回はちょっと話が違う。オペレーションをするのは学生である。進めてくれるのは学生である。音響やってみたいなとか、照明やってみたいなとか、そやって自分の夢だったりやってみたいなと思ったことに、勇気を出して足を踏み込んだ自分はめっちゃ最高だって思ってもらえないと、僕はプロじゃない。その為には事前に送って、照明さんなんか特にリハーサルまでに照明卓いじって、曲に合う色作りをして臨んだりするのだ。僕も経験者だから、わかる。だから、遅れてしまったけど、なんとか数日前にセットリスト決めて音源も送った。よし、これでいこうと。 んで今日学校着いた時、僕