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「SONG FALLS TOUR」札幌

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11月9日金曜日、ツアーが終わった。 話したいことは話したし、あふれた気持ちも隠さずにいれた。地元札幌でのライブが一番ヒリヒリする。落ち着いてはいたけど、東京ワンマンよりも安心はできない、そんな感じでやれたかな。 ペニーレーン、すごかったな。何もかも大きかったな。俺たちがあそこでワンマンをやるということに、俺はどれくらいの希望と絶望と過去と現在と未来を映し出すことができたかな。「24」という曲をフロアの真ん中で始めた時、すごい気持ちになって、それはまるで映画の中にいるみたいな、そんな気持ちになったんだ。 アンコールなし、本編21曲、公演時間2時間15分。 俺は届いてほしかっただけなんだ。涙でもいいし、笑ったり痛かったり寂しくなったり、拳でもいいしだいぶでも。あなたに届いたなら、そのあとは好きにしてほしかったんだ。だからフロアにいろんな人がいて、それぞれの今が絡まりまくってるのが見えた時、嬉しくて嬉しくて仕方なかったんだ。 渋谷の日、最後に京くんがダイブした。京くんは、俺がボイガルをやる前にやっていたバンドで出会った人で、今思うと初めてできた兄貴みたいな人の一人が京くんだなって思う。京くんがあの日会場にいたの、最後の最後まで俺は気づかなくて、びっくりしちゃった。ちなみに俺はボイガルをやる前にtheパン工場という名前のバンドをカイトとやってて、京くんはリンダリンダラバーソールというバンドをやってて。パン工場とリンラバが初めて対バンした日に、京くんは俺たちの曲でいきなりダイブしたんだ。会ったことも話したことも知ってる曲もお互い一切なかったあの日に、京くんは俺たちの曲でダイブしていた。俺の初めてのダイバーだ。 あの渋谷の日は、そんなこと思い出した。 で、ファイナル札幌ペニーレーンの日、2曲目でこの日最初のダイバーが出た。革ジャンを着た髪の長いやつで、りゅーだった。りゅーは、俺の親友だ。バンドをやっていたけど、やらなくなって、1年以上姿を消していた。何度連絡しても返ってこなかった。悲しいかな、京くんとは少し遊んだりしていたらしいけど。それもまた不思議だな。とにかく俺はりゅーと連絡すら取ることができなかった。りゅーは、俺に会わせる顔がないと思っていたらしい。あいつらしいなとも思う。最近復活して、この前、800年ぶりくらいに二人で飲みに行った。楽しかったな。

「SONG FALLS TOUR」渋谷

自分たちしかでないイベントなら尚更、俺はソールドアウトがいい。札幌に住んでるからこそ東京ワンマン尚更ソールドアウトがいい。そればっか言うのはかっこ悪いかもしれないが、ソールドアウトして「ダサいな」っていう人はいないよなとも思っている。思っていた。前の日はなかなか眠れなくて、やけに寂しかった。 朝起きて準備をして、一人で会場に向かった。ドアを開けると、「THE BOYS&GIRLS」と書かれた大きなバックドロップが掲げられてて、鳥肌たった。初めてのバックドロップ、最高な気分だ。「来てくれる人、わあってなってくれるかな」、そんなことを考えた。 リハーサル中にドアが開いて、一人の男がフラフラっと入って来た。 しっぱいまんだった。 JET THUNDERSというバンドのボーカル。俺がバンドを始めたきっかけの一つになった人で、俺が初めて街中で人に声をかけたのもしっぱいまんだった。曲を止めて、「しっぱいまん!」と言うと、「やあ」と言う。「やめなくていいよ、続けていいよ」というので、リハーサルを普通に再開した。しっぱいまんはフロアの後ろで、たまに移動しながら、聴いてくれていた。少し経ってしっぱいまんはフラフラっとドアを開けて出て行って、結局そのまま戻ってこなかった。ボブディランみたいで、かっこよかったな。 あっという間に開場して、始まる直前に楽屋にハルカミライのマナブが来た。特に何をするでもなく、「んじゃ頑張ってください」と言って消えてった。ボブディランみたいだな。 ステージに出ると、たくさんの人が迎えてくれた。ソールドアウトはしなかったけれど、たくさんの人が迎えてくれたんだ。今日は頑張れそうだ、そんな気がしていた。穏やかに優しく、ちゃんと冷たく歌おう。そんな風に思っていた。騒げばいいってもんじゃない。モヨコの森くんが教えてくれた。今日の俺でステージに立つということ、それを受け入れてもらえるかどうかってことを恐れることなく歌えなきゃ意味はない。 友達も来てくれた。話せた友達も、話せなかった友達も、俺にとっては大切な友達。 喋り過ぎてしまった。もっとスマートにやれたらいいのになって、ずっと思っている。「こういうことを話そう」と決めたところでどうせ話せない。その時になってみないとわからない。めんどくさい男である。もしいつの日か

「SONG FALLS TOUR」名寄

そしてここにも、言葉にできない瞬間がいくつもあった。 トモヤさんは実家が北海道下川町というところで、名寄の隣町。高校は名寄の高校に通っていたらしくて、名寄はいわゆる青春の街らしい。ちなみに「なよろ」と読む。 メンバーの中で唯一トモヤさんだけ、まだ故郷にライブで行けてなかった。今回のこのツアーを回るにあたり、トモヤさんも行きたがっていたから「よし行こう」となって、名寄公演を決めた。もちろん初めてのライブだ。 こういう日は、絶対に何かが起こるってことわかってる。特別なことじゃなく、大切なことが。道連れに決まったのは札幌のFavoritesとDOUBLE SIZE BEDROOMの2組。本当にこの3組でこの日を過ごせたことが何より美しかったように思う。 リハーサルを終えて、少し一人で周辺を散歩してみた。人はまばらで、空が綺麗で、かわいいお店が多くて、どこまでも歩けそうだった。 BLUE BEAT SOUNDに戻り、程なくして開場するとぞろぞろとお客さんが来て、正直ガラガラを予想していたもんだったから嬉しかったな。ちゃんと届いているんだなって。フェイバリッツもダブサイも刹那だった、よかった。俺たちもきっと、ぴったりなライブできたと思う。 男の子たちが、いい顔していた。終演後に話しかけてくれた男二人組、14歳です!と言っていた。「勉強に部活に恋に、頑張りなよ」と偉そうに吹かすと、「はい!」と元気よく答えてくれた。いつでもどんな時でもスイッチを入れろよ。 この日、BLUE BEAT SOUNDの動員記録がこれまでで一番だったらしい。光栄です。どんどん塗り替えられて、いつかまた塗り替えに行きたいな。 SONG FALLS TOURは、対バン形式での公演をここで終えた。 出演してくれた対バンたちに心から感謝します。

「SONG FALLS TOUR」八王子

ハルカミライと八王子でツーマンを、うちの冠でやりたかった。正直それだけだった。思い返せば去年の夏に「拝啓、エンドレス様」というアルバムを出してからの1年3ヶ月くらいの間で一番対バンしたのがハルカミライで、今回の「ソングフォールズ」というシングルにもハルカミライとの日々がわずかに影響している。ま、わずかにだけど。 下北沢を14時半くらいに出て、機材車でみんなで八王子に向かった。流れる景色にどこか懐かしさを感じたけど、気のせいだろう。車の中で曲順を考える。考えるんだけど、考えれない。ノートがぐしゃぐしゃになっていく。結局会場に到着する数分前に大方の方向性を決めた。RIPSに到着すると、パーマをかけてかっこよくなったこまっちゃんがいて、すぐにマナブと俊とダイチも現れた。ここが噂の、ヨーロービルか。 始まる前に、「ここソールドってことは、結構暑くなりますよ」とハルカミライのメンバーが口を揃えて言っていた。 ハルカミライのライブをステージ袖で見た。さすが、だなあと思った。地元、ここで育ってるんだもんな。フロアにいる全員がハルカミライのようで、美しかった。そしてどんどん暑くなっていって、袖で見ているだけで汗が垂れてくる。前半見て楽屋に戻り、とりあえず一回ドライヤーで髪を乾かした。俺はライブ見てただけなのにな。 びしゃびしゃのハルカミライが帰ってきた。「こりゃやばいっす」と俊がいう。転換、ステージに上がるとすでに空気は薄くて、こりゃやばいと思った。準備しているだけで汗がダラダラ出てくる。まだ何もしてないよ。準備が終わり一度ステージを降りて、惑わされることなく今日の自分たちのやり方でやろうと意気込む。 入場SEが鳴り、ステージに上がる。そこからのことは、あまり覚えていない。 どんどん遠くなっていく意識の中、ありがとうが聴こえる。 歌わなきゃ。声を出さなきゃ。そう思い息を吸うたびに、力がうまく入らないのが自分でもわかった。歌えてるのか届いているのかも正直わからない。だけど、ロックバンドやってるのだけははっきりとわかった。「すごい時間を今、俺たち過ごしてるな」って、そう思えた。涙が止まらなかった。悲しくもないし悔しくもないはずなのに、崩れ落ちたままマイクを握って袖に目をやるとあいつらの足元が見えて、涙が止まらなかった。そして最後にようやく、今日もお客さんに救われ