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夢見る頃に

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ボイガルを始める前に、札幌COLONYで働かせていただいてた時期があった。受付をやったり、バーカウンターに立ったり。専門学校で照明を少し勉強していたのもあって、ライブ中はステージ袖にいたり、後半は実際に照明をやらせてもらったりもしていた。深夜のクラブイベントの照明をやった時もあれば、フラカンのワンマンもやったりした。まだ、ボイガルを始める前。今も照明をやってるミッチェさんとPAの吉井さんはその頃から在籍していて、んーと俺が入ったのが2008年の終わりくらいだったっけ、それくらいからずいぶん長いことお世話になっている。 楽屋には「伝説の虎軍団」の白黒の写真が貼ってあった。THEイナズマ戦隊がCOLONYでやったワンマンのあまりにもやばすぎる光景の写真。中学のときに、ずっと聞いていたイナ戦が、そこにいた。何度も何度もあの写真に肩が震えたなあ。あとは、今もあるかどうかわからないけど、当時はバーカウンターの奥にいろんなCDが棚に大量に並んでいて。そこには俺の知らない札幌が詰まっていて、店長だったヒデミさんに「これ借りていいですか?これ借りていいですか?」と聞いて借りたり、ぶっちゃけ聞かないで勝手に借りた時もあったすいません。とにかく俺の中のかっこいいが、札幌のかっこいいが、バーカウンターの棚に詰まっていた。その中に、「FRONTIER ROCK SPIRITS」というコンピのCDがあって、それを聴きまくった。札幌のバンドで構成されてるやつで、1曲目がホームシックスの「笑っておくれ」で、うわ、うわわわわ、ウワーーーーー!!!!だ。かっこいい。とにかく、かっこいい、、、、。それしか思えなかった。ホームシックス、VOX、ジェリー、ハイボル、暁、ライラック。俺も、俺も、やれるかな、無理かな、どうかな。何度も考えた。いつか、いつかこうやってかっこいいやつ、いつかできるかな。なんて。当時「theパン工場」というふざけたバンドをやっていた。ふざけて始めたバンドは、後半マジになっちゃって、2010年10月にCOLONYで解散した。あの日もいつものように、18時半頃始まって6組が出演で、終電くらいに終わった。それが、僕らは当たり前だった。 2011年3月に、ボイガルを始めた。最初からマジになって始めた。初ライブはそりゃCOLONYだ。「シンゴ変わったな、いいぞシンゴ。頑張れ

ほんの少しの哀しみと、ほんの少しの悲しみで

3/1 「ENDROLL AFTER SCHOOL 2018」 THE BOYS&GIRLS企画の、新しいイベントだった。自分たちの企画だ。自分たちでなんとかするしかないやつ。この日が来るまで、「もっと自分に力があればなあ」と毎日のように思っていた。今も思っている。もっとやれることがあったように思うし、もっとたくさんの人に届けることができたんじゃないかなと思う。届かなくても、せめてもっと知ってもらうことはできたはずだ。校歌を募集したり、出演者たちと対談をしたり、ラジグルで告知させてもらったり、それだけじゃなくてきっともっとあった。結局、出てくれた三組に力を借りまくった。俺たちの方が10個以上も歳上で、バンドの年数も俺たちの方が長いけど、俺は彼らに何を見せれたのかなと思う。見えないところでどれだけかっこよくいれたかなと、ふと考える。 誰にだって、できないことがある。言えないことがある。でも、それを棚にあげると、もうそこまでだ。出てくれた三組は、できないことや言えないことがあってもなんとかして探そうとすることができる三組だったように思う。俺は彼ら彼女らと対談をしたからよりそう思うだけかもしれないけど。何かに躓いた時に立ち上がり方がわからなくとも「どうしようかな」っていうのを、自分で、自分たちで探し、もがく。そんな姿を見て羨ましくも思ったし、負けたくないって思ったし、心からありがとうと思った。 俺に足りないのは優しさなのだろうか。となれば、優しさとは何なんだろうか。どんな風に言えばいいんだろうか。もっと探し、もっともがき。そしてたどり着く、俺に足りないのは、思いやりなのかな。 あの日、来てくれた人が書いてくれたノートは、カルマのボーカルのゆづきに託した。一番最初に書いてくれたのがあいつだったから、あいつに託した。あいつが明日にでもきっと誰かに渡すだろう。明日かどうかはわからないけど。でも一日単位で回ってったとしても300人くらいにしか回らないのか。意外と少ないな。回ってきた人が、読んで、自分の放課後やいろんな思いを書いたりしてくれたらいいな。決まりはないノート、新しい放課後の形。1年後、ちゃんと戻ってくるだろうか。楽しみだ。 さっき、HMVでインストアライブを見てきた。ゆづきが良かったので、良かった。あいつは一人で歌ってたけど、陸斗も竜也も見