「SONG FALLS TOUR」釧路

生まれてから今までの思い出を掘り返せば、きっと積み上げられたCDよりも高いものになるような気がする。それくらい、釧路という街は俺にとって近く、そして遠い場所です。ばあちゃんも、じいちゃんも、死んじまった。天国まで届けれるようなCDのツアー、空の上でばあちゃんとじいちゃんが恥ずかしくならないライブをしようと個人的に意気込んでいた。

共演は北海道の2組、-KARMA-とズーカラデル。どちらも釧路でのライブは初めてだったらしい。出演してくれたこと本当に嬉しく思う。カルマは現役高校生、釧路までの長距離と翌日は旭川ってことでうちの車に乗せて朝、1台で釧路へ向かった。途中で、ズーカラデルのベース鷲見に電話をした。その直後、ズーカラデルのボーカルノブから電話がきた。いい感じである。釧路について、カルマと一緒に泉屋本店へ行き、スパカツを胃に放り投げる。釧路にいる、そう強く感じたな。
1年ぶりの釧路、広いナバナスタジオ。始まる頃には日が落ちてきて、オレンジの灯りが水面に零れはじめていた。あくびをして涙をためて、ゆらゆらとぼんやりさせて、俺たちはああでもないこうでもないと歌い合い、愛でもない恋でもないと握手を交わす。
決してパンパンにならないフロアには、必死の思いでここに来てくれた方達の命がひとりでに踊る。それが全てだ、来てくれてありがとう。ポスター貼りに協力してくれた方達の顔がよぎる。俺にできることは、これっぽっち。

口ずさんでくれている人がいる。後ろで拳を上げている人がいる。最前列でグッと唇噛み締めている人がいる。ゲラゲラ笑っている人がいる。ソングフォールズが確かにこの街にもあったのかと思うと心がぎゅっとなった。
一話完結、釧路だけのライブ。終演後声をかけてくれた男の子は、「芦野に住んでてよかったです」と笑ってくれた。いいこと教えてやろうか、芦野には、ゆきおばちゃんが住んでるんだよ。

ライブが終わると、右膝からスネにかけて激痛が走っていた。どうやら最後にガシャーンってなった時らしい。カイトが「すごい落ち方してたよ」と教えてくれた。まあ、いいんだよ、どうってことない。と言いつつずっと痛くて、本当に痛くて、ちょっと本当にやばいかもって思った。だけど帰りにナバナのみなさんがでっかい氷用意してくれて、「これで車の中で冷やして帰って!」と渡してくれた。優しさはあったかく、氷は冷たく、畜生また借りができた。帰りは車の中でずっと冷やしていた、感覚がなくなるまでずっと冷やしていた。冷たいってあったかいんだな。


ばあちゃんが死ぬ前、俺は一人でばあちゃんが入院している病院に行った。結果的にそれが最後に会った日。確かその時おかあから「ばあちゃん、もしかしたらあんたのことわからないかもしれないからね」とメールが来てて、俺は「それでも全然大丈夫」と返していた。その時ばあちゃんは見たことないほど弱っていて、俺がついた時眠っていた。看護師さんが「お孫さんきたよ!!」と無理やりばあちゃんを起こして、ばあちゃんがゆっくり目を開けて俺の方を見た。ただじっと見てる。看護師さんが俺に「あまりしゃべれないかもしれないのよ〜」というので、「全然大丈夫ですよ」と俺は返した。「ばあちゃん、シンゴだよ。久しぶりだね、敏郎の息子のシンゴだよ、ばあちゃんの孫で一番小さいシンゴだよ、なんと今日は一人で来たよ!無理せず頑張るんだよ」と声をかけ、すぐ帰ろうと思ったらばあちゃんの口が動いた。めちゃくちゃ小さい声で「シンゴ、一人で来たのか。まだ歌ってるのか?」と言った。なんだ、わかるんじゃん、さすがばあちゃん。「歌ってるよ」というと、「相変わらず、いい髪だね」と言ってくれた。へへへ、いいだろ。へへへ。そこから俺はどうやって病室を後にしたかは覚えていないけど、ばあちゃんが喜んでくれるならどんなに馬鹿にされてもこの髪型でいいやってその時思った。何年か前の話だ。

ゆづきの歌とノブの歌がやけに刺さったのは、一体なんでだったんだろう。
釧路に行くたびに、また思い出すだろうなってことが増えた。

コメント

  1. ボイガルを見に行くために、私は幣舞橋のロータリーを超えたんだ!!!!ボイガルが無かったら…私は一生あのロータリーを、避けて生きていたはず!
    歌うたいは、数えきれないほど沢山いるけど、私はシンゴさんの声が歌詞が世界で1番好きです!!!!

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    1. あそこ本当に怖いですよね、可能であれば避けたいです俺も。嬉しいお言葉ありがとうございます、頑張ります。

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