僕とひょっこりはん
ずっと、今日みたいな天気だったらいいな。
晴れてて、適度に雲が広がっていて、適度に風が吹いて、適度に6月で。特に誰に連絡をするでもなく、イヤホンから何を流すでもなく、陽が傾いていくのをなんとなく背中で感じているだけでも虚しくはないみたいな。
誰かの幸せなニュースに、関係のない誰かが過去を掘り返しては、それを誰かに伝えていく。「ああ、なんて幸せなニュース!(でも確かに昔はこうでこうでこうでほにゃらら、、、)」。気持ち悪くて吐きそうになる。結局、徒党組まなきゃトイレにも行けない人ばかりで、しかもそれが正しいトイレの行き方みたいで、やんなっちゃうよ。
なるべく、カタカナ語は使わないようにしないとな。「思い出のアップデート」って何?思い出が増えていくとか、そういうのじゃだめなのかしら。誰しもが抱くマイノリティでセンセーショナルなパラサイトはワールドワイドでリスキーでオーガナイザーがフィックスするツールのスーサイドによりチルアウトがドロップしてジャスティス。何?誰かのインタビューを読むと、最終的に自分の頭の悪さと言葉の引き出しの少なさが露呈されて終了することが多々ある。とほほ。
僕はもう、12年ほど美容室に行っていない。ずっと自分で切っている。前も後ろも横も。100均のスキバサミと普通のハサミを使って、毎度毎度、適当に切っている。なので、実かかなりベテランだ正直。美容師で、切るようになって12年って、なかなかだ。それもあって、毎回ほぼ同じ髪型になる。自分の中でうまく行った時と失敗した時があるんだけど、はたから見れば毎回同じだ。基本形がこの髪型になって、10年が経った。正直僕はこの髪型にしたくてしているわけではなくて、結果これにしかならないのである。だけど僕はいいとも悪いとも思っていない。それは、ばあちゃんに言われた一言にある。
ばあちゃんが一人で入院している頃、レンタカーを借りて釧路まで会いに行ったことがある。僕だけ正月も帰れないのが年々増えてきて全く会えていなくて。ばあちゃんが入院したのを聞いて、時間見つけて会いに行こうと思った。おかあに「ばあちゃん、あんたのこともうわからないかもしれないから、覚悟していきなさいよ」と言われたのを覚えている。当日、詰所で「面会にきたのですが」と看護師さんに聞いて、ばあちゃんの部屋に連れて行ってもらった。ばあちゃんは寝ていた。全然起きない。看護師さんが「お孫さん来たよおおおおおお!!!!!!!」とばあちゃんを揺らしまくって起こしてくれた、あの起こし方の衝撃は、セックスピストルズを始めて聴いた時の200倍くらいはあったな。
ばあちゃんが目を覚まし僕を見る。「シンゴだよ、久しぶりばあちゃん」と言うと、1分後くらいに「シンゴか。まだ、歌っているのか?」と、信じられないくらいの小さい声でばあちゃんは僕に言った。「歌っているよ」と言うと、「そうか。あんたは相変わらずいい髪をしてるね」と言ってくれた。そんなこというのは、ばあちゃんくらいである。おかあも姉も、「あんたいつまでその髪なの、、、?」というくらいだ。僕が一番思っている。だから、僕のこの髪をそう言ってくれるばあちゃんは、とてつもなく可愛かった。
その日が、僕がばあちゃんに会った最後の日になった。
今でも僕はこの髪で、売れない歌を歌っている。
先日とあるファミレスでのこと。僕は一人で入店し、割と広い店内の壁際の席に座り店内全体を見渡せるような向きで着席した。お客さんは少ない。僕の他には、僕の座った列に2組、それと全く反対方向喫煙席の方に3組ほど。メニューを見て、ボタンを押して、店員さんに注文した。注文した料理が届く間、僕は携帯を見ていたりしながら何気なく過ごしていた。その間、向こう側の席がうるさい。喫煙席側に座っている女性3人組。その中の一人が、誰かと電話をしている。声が大きい。声、大きいなあ、くらいでしか最初は考えていなかったし、気にしないことにした。僕の席に料理が届く、なかなかのボリュームで美味しそう。届く前に水を一杯飲んでしまっていたので、僕は席を立ちセルフサービスのところまで向かい、水を入れ席に戻った。いただきます、うん、おいしい!
食べ始めて、3分くらいかな、また向こう側がうるさい。喫煙席側に座っている女性3人組だ。ゲラゲラ笑いながらやばいやばい言っている。気にしない気にしない。するとその中の一人がまた電話を始めた。
「ひょっこりはんがいる!!うける!!ひょっこりはんが同じ店にいる!ゲラゲラ!!!!」
ああ、なるほどね。
ていうか声でかいって、何が何でも。
ひょっこりはんさんをテレビでたくさん見るようになり、僕は「ひょっこりはんだ」と言われることが増えた、当たり前だ。小さい子供から、くそみたいな酔っ払いまで。子供に言われると楽しく遊べるが、見ず知らずのいい大人や、いきってるアホどもに言われると、ひょっこりはんさんに謝れという気持ちになる。僕は別にいいのだ。そしてひょっこりはんさんは何も悪くないし、なんなら誰も悪くない。ただ、人間味のないアホどものその言葉のリズムや言い回しがやけにムカつくなあってことは多々ある。基本的に「よく言われます、でも違います」でそのあとはスルーだ。
さて、今回はどうしよう。
本人じゃね?みたいになっている雰囲気はなんとなく感じる、でも距離あるしとりあえず無視で僕はご飯を食べることにした。すると、その中の一人の女性が席を立ち、セルフサービスの水を入れに歩き始めた、方向的には僕の方に歩いてきて少し手前で右に曲がる道順。僕はいきなり顔をあげて、じっとその人を見た。その女性はびっくりして慌てて目をそらし、水を入れていた。僕はずっと見ていた。一切の感情を無にして。その女性が水を入れ終わり、席に戻ろうとする動作の流れで僕をさりげなくもう一度見る。その流れバレバレなんだよと思いつつ僕はまたじっと見ていた。女性は慌てて目をそらし席に戻った。これで、「ああ、ただ似てるだけか」と落ち着いてくれりゃそれでいい。すると、
「、、、似すぎ!!!!!激似てる!!ブハァ!!!!!!」
「やばいよな!!!!!ブハァボフゥ!!!!!!!!」
なんて言うんだろう。上にも書いたように別に僕は嫌ではないんです。わかってるし。で、多分世の中にはもっとたくさんいると思うんです、ひょっこりはんに似てるって言われる方達。で、そういう人たちはもれなく自分でわかってその髪型にしているから、嫌なわけないんです。もしも、「ひょっこりはん何なのよ!」と思っている人がいるなら、今すぐ坊主にでもなんでもしなさいって感じです。てめえで選んだその頭、友達でもなんでもないひょっこりはんのせいにするなよって。
僕が思ったのは、すごくシンプルで、人のこと少しは考えなよってことで。
茶の間じゃないんだから。部屋じゃないんだから。
なんだか改めて、そんなこと思わせてもらえたし、自分も考えなきゃなって思った日でした。
他のお客さんもなんだか僕の方を気にし始めていたし、その女性たちはすぐ別の話をゲラゲラしていて、僕は特に注意する元気も出ず自分で頼んだ料理を食べきるパワーも出ず、すみませんちょっと体調が優れず残してしまいましたとレジの店員さんに伝え店を出ました。基本的に僕は大食い側の人間だし余程のことがない限りは残さないようにしているので、とても美味しかったご飯だっただけに本当に申し訳なかった。店員さんが優しく「いえいえ構いませんよ、またお待ちしています!!」と伝えてくれたのが救いであった。もっと強くなりたい。
冒頭にも書いたように、悲しいニュースが毎日毎日流れる中でたまにやってくる幸せなニュースに「毎日こういうニュースばかりならいいのにな」ってなるのはわかるんだけど。
でも結局、その幸せなニュースの幸せじゃない話もわざわざ浮かび上がらせて、わけわかんないよ。それに対して結局みんな色々乗っかって、これは一体なんなんだという気持ちになる。結局みんな、他人の幸せなんか100%の純度で喜べるわけなくて、数%のどろっとした不協和音を共有する方が楽しいんじゃないかなと、そんな気持ちになる。
誰かを蹴落として、予定通りのバッドエンドへ舵を取り、自分は少し離れたところで見ているような、そんな世界は気持ち悪いな。
出さなくていい気持ちを飲み込めず、悔しい気持ちは隠せない。
今の僕はおそらく、そこまで余裕がないのだろう。そう思わせられることに毎日のように直面するが、なんとかやっていこう。
ひょっこりはんさんのように、その名の通りひょっこり現れて、ほんのわずかな時間で少しの情報とささやかな登場で、なんだったんだあの人ってクスッと笑えて、気づけばまた知らないどこかで知らない誰かの隅っこにひょっこり現れるように、そんな風にやれたらなってすごく思う。
僕はまだ、相変わらずこの髪型だ。
今は一人でバンドをやっているということをばあちゃんが知ったら、ばあちゃんは何て言うだろうか。
ツアーが始まります、力を貸してください。
晴れてて、適度に雲が広がっていて、適度に風が吹いて、適度に6月で。特に誰に連絡をするでもなく、イヤホンから何を流すでもなく、陽が傾いていくのをなんとなく背中で感じているだけでも虚しくはないみたいな。
誰かの幸せなニュースに、関係のない誰かが過去を掘り返しては、それを誰かに伝えていく。「ああ、なんて幸せなニュース!(でも確かに昔はこうでこうでこうでほにゃらら、、、)」。気持ち悪くて吐きそうになる。結局、徒党組まなきゃトイレにも行けない人ばかりで、しかもそれが正しいトイレの行き方みたいで、やんなっちゃうよ。
なるべく、カタカナ語は使わないようにしないとな。「思い出のアップデート」って何?思い出が増えていくとか、そういうのじゃだめなのかしら。誰しもが抱くマイノリティでセンセーショナルなパラサイトはワールドワイドでリスキーでオーガナイザーがフィックスするツールのスーサイドによりチルアウトがドロップしてジャスティス。何?誰かのインタビューを読むと、最終的に自分の頭の悪さと言葉の引き出しの少なさが露呈されて終了することが多々ある。とほほ。
僕はもう、12年ほど美容室に行っていない。ずっと自分で切っている。前も後ろも横も。100均のスキバサミと普通のハサミを使って、毎度毎度、適当に切っている。なので、実かかなりベテランだ正直。美容師で、切るようになって12年って、なかなかだ。それもあって、毎回ほぼ同じ髪型になる。自分の中でうまく行った時と失敗した時があるんだけど、はたから見れば毎回同じだ。基本形がこの髪型になって、10年が経った。正直僕はこの髪型にしたくてしているわけではなくて、結果これにしかならないのである。だけど僕はいいとも悪いとも思っていない。それは、ばあちゃんに言われた一言にある。
ばあちゃんが一人で入院している頃、レンタカーを借りて釧路まで会いに行ったことがある。僕だけ正月も帰れないのが年々増えてきて全く会えていなくて。ばあちゃんが入院したのを聞いて、時間見つけて会いに行こうと思った。おかあに「ばあちゃん、あんたのこともうわからないかもしれないから、覚悟していきなさいよ」と言われたのを覚えている。当日、詰所で「面会にきたのですが」と看護師さんに聞いて、ばあちゃんの部屋に連れて行ってもらった。ばあちゃんは寝ていた。全然起きない。看護師さんが「お孫さん来たよおおおおおお!!!!!!!」とばあちゃんを揺らしまくって起こしてくれた、あの起こし方の衝撃は、セックスピストルズを始めて聴いた時の200倍くらいはあったな。
ばあちゃんが目を覚まし僕を見る。「シンゴだよ、久しぶりばあちゃん」と言うと、1分後くらいに「シンゴか。まだ、歌っているのか?」と、信じられないくらいの小さい声でばあちゃんは僕に言った。「歌っているよ」と言うと、「そうか。あんたは相変わらずいい髪をしてるね」と言ってくれた。そんなこというのは、ばあちゃんくらいである。おかあも姉も、「あんたいつまでその髪なの、、、?」というくらいだ。僕が一番思っている。だから、僕のこの髪をそう言ってくれるばあちゃんは、とてつもなく可愛かった。
その日が、僕がばあちゃんに会った最後の日になった。
今でも僕はこの髪で、売れない歌を歌っている。
先日とあるファミレスでのこと。僕は一人で入店し、割と広い店内の壁際の席に座り店内全体を見渡せるような向きで着席した。お客さんは少ない。僕の他には、僕の座った列に2組、それと全く反対方向喫煙席の方に3組ほど。メニューを見て、ボタンを押して、店員さんに注文した。注文した料理が届く間、僕は携帯を見ていたりしながら何気なく過ごしていた。その間、向こう側の席がうるさい。喫煙席側に座っている女性3人組。その中の一人が、誰かと電話をしている。声が大きい。声、大きいなあ、くらいでしか最初は考えていなかったし、気にしないことにした。僕の席に料理が届く、なかなかのボリュームで美味しそう。届く前に水を一杯飲んでしまっていたので、僕は席を立ちセルフサービスのところまで向かい、水を入れ席に戻った。いただきます、うん、おいしい!
食べ始めて、3分くらいかな、また向こう側がうるさい。喫煙席側に座っている女性3人組だ。ゲラゲラ笑いながらやばいやばい言っている。気にしない気にしない。するとその中の一人がまた電話を始めた。
「ひょっこりはんがいる!!うける!!ひょっこりはんが同じ店にいる!ゲラゲラ!!!!」
ああ、なるほどね。
ていうか声でかいって、何が何でも。
ひょっこりはんさんをテレビでたくさん見るようになり、僕は「ひょっこりはんだ」と言われることが増えた、当たり前だ。小さい子供から、くそみたいな酔っ払いまで。子供に言われると楽しく遊べるが、見ず知らずのいい大人や、いきってるアホどもに言われると、ひょっこりはんさんに謝れという気持ちになる。僕は別にいいのだ。そしてひょっこりはんさんは何も悪くないし、なんなら誰も悪くない。ただ、人間味のないアホどものその言葉のリズムや言い回しがやけにムカつくなあってことは多々ある。基本的に「よく言われます、でも違います」でそのあとはスルーだ。
さて、今回はどうしよう。
本人じゃね?みたいになっている雰囲気はなんとなく感じる、でも距離あるしとりあえず無視で僕はご飯を食べることにした。すると、その中の一人の女性が席を立ち、セルフサービスの水を入れに歩き始めた、方向的には僕の方に歩いてきて少し手前で右に曲がる道順。僕はいきなり顔をあげて、じっとその人を見た。その女性はびっくりして慌てて目をそらし、水を入れていた。僕はずっと見ていた。一切の感情を無にして。その女性が水を入れ終わり、席に戻ろうとする動作の流れで僕をさりげなくもう一度見る。その流れバレバレなんだよと思いつつ僕はまたじっと見ていた。女性は慌てて目をそらし席に戻った。これで、「ああ、ただ似てるだけか」と落ち着いてくれりゃそれでいい。すると、
「、、、似すぎ!!!!!激似てる!!ブハァ!!!!!!」
「やばいよな!!!!!ブハァボフゥ!!!!!!!!」
なんて言うんだろう。上にも書いたように別に僕は嫌ではないんです。わかってるし。で、多分世の中にはもっとたくさんいると思うんです、ひょっこりはんに似てるって言われる方達。で、そういう人たちはもれなく自分でわかってその髪型にしているから、嫌なわけないんです。もしも、「ひょっこりはん何なのよ!」と思っている人がいるなら、今すぐ坊主にでもなんでもしなさいって感じです。てめえで選んだその頭、友達でもなんでもないひょっこりはんのせいにするなよって。
僕が思ったのは、すごくシンプルで、人のこと少しは考えなよってことで。
茶の間じゃないんだから。部屋じゃないんだから。
なんだか改めて、そんなこと思わせてもらえたし、自分も考えなきゃなって思った日でした。
他のお客さんもなんだか僕の方を気にし始めていたし、その女性たちはすぐ別の話をゲラゲラしていて、僕は特に注意する元気も出ず自分で頼んだ料理を食べきるパワーも出ず、すみませんちょっと体調が優れず残してしまいましたとレジの店員さんに伝え店を出ました。基本的に僕は大食い側の人間だし余程のことがない限りは残さないようにしているので、とても美味しかったご飯だっただけに本当に申し訳なかった。店員さんが優しく「いえいえ構いませんよ、またお待ちしています!!」と伝えてくれたのが救いであった。もっと強くなりたい。
冒頭にも書いたように、悲しいニュースが毎日毎日流れる中でたまにやってくる幸せなニュースに「毎日こういうニュースばかりならいいのにな」ってなるのはわかるんだけど。
でも結局、その幸せなニュースの幸せじゃない話もわざわざ浮かび上がらせて、わけわかんないよ。それに対して結局みんな色々乗っかって、これは一体なんなんだという気持ちになる。結局みんな、他人の幸せなんか100%の純度で喜べるわけなくて、数%のどろっとした不協和音を共有する方が楽しいんじゃないかなと、そんな気持ちになる。
誰かを蹴落として、予定通りのバッドエンドへ舵を取り、自分は少し離れたところで見ているような、そんな世界は気持ち悪いな。
出さなくていい気持ちを飲み込めず、悔しい気持ちは隠せない。
今の僕はおそらく、そこまで余裕がないのだろう。そう思わせられることに毎日のように直面するが、なんとかやっていこう。
ひょっこりはんさんのように、その名の通りひょっこり現れて、ほんのわずかな時間で少しの情報とささやかな登場で、なんだったんだあの人ってクスッと笑えて、気づけばまた知らないどこかで知らない誰かの隅っこにひょっこり現れるように、そんな風にやれたらなってすごく思う。
僕はまだ、相変わらずこの髪型だ。
今は一人でバンドをやっているということをばあちゃんが知ったら、ばあちゃんは何て言うだろうか。
ツアーが始まります、力を貸してください。
私も昔に髪色髪型服装のことで全然知らない人に色々言われたり親戚の人にもひどいことを言われたことがありました。
返信削除でも私のおばあちゃんはいつも私の手を握って「可愛いねえ」とニコニコ笑いかけてくれていたことを思い出しました。
私はシンゴくんの髪型スーパーかっこいいと思ってますよずっと。
ツアーもう少しで始まりますね。楽しみです!!!
自分がいいからいいのだ!で乗り切れない時もありますよね、でも絶対味方はいるんです。どんなことでもきっと。
削除ツアー楽しみ、がんばります!