デッドエンド
台風が大型で、全国が心配になる。
色んな場所に、友達や仲間や先輩や後輩やライバルや大事な人がいる。
そんな人らが怖くて眠れないような、不安で食事が喉を通らないような、そんな瞬間には自分には何もできないことの方がほとんどだ。自分にもっと力があれば、なんて思わなくていいようなせめてもの力があればな。
被害は最小限で収まりますように。少しでも阻止できそうなら、どうか守って。もう、なるべく、笑っていたいし、笑っていてほしい。いい睡眠と、食事と、少しの娯楽と緩やかな時間で。何でもかんでも、繋がる必要なんてない。狭い世界でも小さな幸せでも、それでいいのよ。
北海道、涼しい。
8月8日、札幌のや、星のない七夕のあと。
暗転ツアーは京都広島と終えて、北海道に上陸。3本目の拠点札幌。会場ののやでは、数回食事をしたことがあって、いつも「漁師のカレー」を食べていた。美味しいんだよなあ。色んなアーティストがライブをしていたので、いつか僕もここでやってみたいな何て思っていて今回念願叶って決行した。ありがたいことにチケットは売り切れ、並べた椅子は埋まっていた。ピアノのある秘密基地みたいで、少しドキドキした。札幌の人、というか札幌で僕やボイガルを見てくれる人は、どんな風に感じているんだろうか。ちゃんと伝わっているかな、ちゃんと聞こえているかな、ちゃんと届いているのかな、といつも思う。別にこれは深刻な思いじゃなく、至極軽い気持ちで。いつもどこかヒリヒリとする。冷たくしているつもりはない、僕が音楽を始めて今も住んでいる街だもん。ただ、新鮮な気持ちで街を歩くことはなかなか難しい。だけど、いつだって初めての気持ちで挑みたい。そしていつだってここが僕の出発点であり通過点であり現在地点だと強く思っていたい。北海道の七夕は、8月7日である。ライブが終わり、外に出ると雨が少し弱くなっていた。流れ星なんて見えないし天の川の軌跡も微塵もない札幌の空の下で歌えたこと、すごく僕にとってはいいことだった。
8月10日、帯広LABO17、鳴り止まないカミナリも。
久しぶりの帯広、一人で帯広で歌うのも随分久しぶり。暗転ツアーは4本目。帯広について、豚丼を食べて。美味しかったなあ。お腹もバッチリ満たされて、会場に向かって。なんだかムードあるLABO17でした。初めて歌わせてもらう場所だったけど、みなさん優しく迎えてくれて、とてもやりやすかった。帯広には本当に何度も力をもらってきたなあ。この日を迎えるにあたり、ブログの過去の投稿を見返したり大切にとってあるものを改めて眺めたりしてみた。頭に浮かぶ言葉や心を泳ぐメロディが綺麗に存在している。あいつは元気にしてるだろうか。僕は相変わらずだよ。数年ぶりに「誰が為に猫は鳴く」という曲を歌った。
受付をやってくれていた男の子が終演後、ボイガルが好きだったと教えてくれた。「姉がよくボイガルのライブを見に札幌に行っていたりしていて知りました」と教えてくれて嬉しかった。お姉ちゃん、ありがとうね。LABO17の生い立ちなども聞きながらゆっくり片付けをして、20時半すぎに会場を出発した。外はもうすっかり涼しくて、東京人のマネージャー辻にはなかなか厳しそうだった。帰り際、Restに寄った。帯広の僕の家みたいなところ。初めてのRestも初めてのRestでのワンマンもアコピンナイトの日のことも、カミナリロックショウのことも、いつのことも覚えてる。なおさんとやまさんに会いたかったけど、お店のシャッターは閉まっていたから、「愛葉集」のジャケットに一言書きなぐってお店の前においてから帯広を出た。帰りの道東道、なんだか懐かしい気持ちになった。握ったハンドル、オレンジの街灯、だんだんと近くなる札幌の灯り、そして遠くなる帯広への愛しさが溢れそうだった。原点は、変わらずに広小路の夜だ。
8月11日、旭川まちなかぶんか小屋、今でも歌ってるよ。
お昼すぎに札幌を出発、晴れ。高速に乗る前に寄ったガソリンスタンドの女性の店員さんがかっこよくて、辻とはなちゃんと3人でワーキャー言っていた。会場について入った瞬間、絶対いい夜になると思った。会場の有村さん、PAやってくれたカジノドライブのたけしさん、辻、はなちゃん、僕で会場の椅子をどう並べるかなど話し合いながら設営を進めた。楽しかった。ライトはどうするとかなんとか言いながら。ああいう時間本当に大切だなあ。リハーサルをやる前に近くのラーメン屋さんへ。そこの店員さんの女の子が「今日のチケット買っていたんですがバイト入ってしまったのでいけなくなってしまいました、でも頑張ってください!」と、とても美味しいラーメンを出してくれた。店内のテレビでは甲子園、北照と中京大中京の試合、燃えた。会場に戻りさっとリハをして。カジノのブンさんがわざわざ顔を出しに来てくれて、ゆいちゃんもわざわざ差し入れを持ってきてくれた。人情。さていざ本番、満席そして灼熱。暑くて暑くてみんな大丈夫かなと思ったが、お客さんとっても楽しんでくれていてよかった。MCでラーメン屋の女の子の話と、スタルヒン球場の話をした。セットリスト、一曲迷っていたところがあったけど、その一曲もいい歌が歌えた。終演後、目の前の買物公園に座り一曲だけ歌った。初めて旭川で歌ったのが、10年ほど前の買物公園での路上。あの日から、僕は何が変わっただろうか。ぴーとすぬーんは、今も仲良しのままだろうか。帰りはなんだかあっという間だった。後ろで辻がゲラゲラ笑っていて、助手席ではなちゃんが相槌を打っていた。22時過ぎに札幌に着きレンタカーを返し、ツネさんと福岡さんは来れなかったけど、北海道3本ひとまずお疲れ様打ち上げを3人でした。解散して家に着いて、ふーっと一息ついて、漠然と「がんばろ〜」と思って寝た。
明転と暗転を回ることにして本当によかったなあと思っている。
バンドが一人になり、それでも仲間が支えてくれて、僕のわがままを形にしてくれる。そして僕は形にならないものを皆さんに投げかける。ど直球な矛盾と、真っ青な情熱で、真っ暗闇な光と共に、明るく堕ちていく。そんな風でありたい。
明転するとそこに広がるのはさっきまでの今じゃない今。そして、その今の先に訪れる暗転の中でどれほどの次の今を想像できるか。信じることができるか。僕はそれを確かめたいし、あなたにも見てほしいのです。
明転暗転共に残り数本、明転のファイナルは12月の札幌ペニーレーン24でのバンド体制でのワンマンライブ。相手に不足なし。その日までの自分。
もちろんこの両ツアーだけじゃなく、むしろ、この両ツアーじゃない場所でこそ信じられない奇跡みたいなページを僕はあなたに見せ、聞かせたいのです。今月は残り3本ある。胸がドキドキする。
撮影はな 転載転用禁止
色んな場所に、友達や仲間や先輩や後輩やライバルや大事な人がいる。
そんな人らが怖くて眠れないような、不安で食事が喉を通らないような、そんな瞬間には自分には何もできないことの方がほとんどだ。自分にもっと力があれば、なんて思わなくていいようなせめてもの力があればな。
被害は最小限で収まりますように。少しでも阻止できそうなら、どうか守って。もう、なるべく、笑っていたいし、笑っていてほしい。いい睡眠と、食事と、少しの娯楽と緩やかな時間で。何でもかんでも、繋がる必要なんてない。狭い世界でも小さな幸せでも、それでいいのよ。
北海道、涼しい。
暗転ツアーは京都広島と終えて、北海道に上陸。3本目の拠点札幌。会場ののやでは、数回食事をしたことがあって、いつも「漁師のカレー」を食べていた。美味しいんだよなあ。色んなアーティストがライブをしていたので、いつか僕もここでやってみたいな何て思っていて今回念願叶って決行した。ありがたいことにチケットは売り切れ、並べた椅子は埋まっていた。ピアノのある秘密基地みたいで、少しドキドキした。札幌の人、というか札幌で僕やボイガルを見てくれる人は、どんな風に感じているんだろうか。ちゃんと伝わっているかな、ちゃんと聞こえているかな、ちゃんと届いているのかな、といつも思う。別にこれは深刻な思いじゃなく、至極軽い気持ちで。いつもどこかヒリヒリとする。冷たくしているつもりはない、僕が音楽を始めて今も住んでいる街だもん。ただ、新鮮な気持ちで街を歩くことはなかなか難しい。だけど、いつだって初めての気持ちで挑みたい。そしていつだってここが僕の出発点であり通過点であり現在地点だと強く思っていたい。北海道の七夕は、8月7日である。ライブが終わり、外に出ると雨が少し弱くなっていた。流れ星なんて見えないし天の川の軌跡も微塵もない札幌の空の下で歌えたこと、すごく僕にとってはいいことだった。
8月10日、帯広LABO17、鳴り止まないカミナリも。
久しぶりの帯広、一人で帯広で歌うのも随分久しぶり。暗転ツアーは4本目。帯広について、豚丼を食べて。美味しかったなあ。お腹もバッチリ満たされて、会場に向かって。なんだかムードあるLABO17でした。初めて歌わせてもらう場所だったけど、みなさん優しく迎えてくれて、とてもやりやすかった。帯広には本当に何度も力をもらってきたなあ。この日を迎えるにあたり、ブログの過去の投稿を見返したり大切にとってあるものを改めて眺めたりしてみた。頭に浮かぶ言葉や心を泳ぐメロディが綺麗に存在している。あいつは元気にしてるだろうか。僕は相変わらずだよ。数年ぶりに「誰が為に猫は鳴く」という曲を歌った。
受付をやってくれていた男の子が終演後、ボイガルが好きだったと教えてくれた。「姉がよくボイガルのライブを見に札幌に行っていたりしていて知りました」と教えてくれて嬉しかった。お姉ちゃん、ありがとうね。LABO17の生い立ちなども聞きながらゆっくり片付けをして、20時半すぎに会場を出発した。外はもうすっかり涼しくて、東京人のマネージャー辻にはなかなか厳しそうだった。帰り際、Restに寄った。帯広の僕の家みたいなところ。初めてのRestも初めてのRestでのワンマンもアコピンナイトの日のことも、カミナリロックショウのことも、いつのことも覚えてる。なおさんとやまさんに会いたかったけど、お店のシャッターは閉まっていたから、「愛葉集」のジャケットに一言書きなぐってお店の前においてから帯広を出た。帰りの道東道、なんだか懐かしい気持ちになった。握ったハンドル、オレンジの街灯、だんだんと近くなる札幌の灯り、そして遠くなる帯広への愛しさが溢れそうだった。原点は、変わらずに広小路の夜だ。
8月11日、旭川まちなかぶんか小屋、今でも歌ってるよ。
お昼すぎに札幌を出発、晴れ。高速に乗る前に寄ったガソリンスタンドの女性の店員さんがかっこよくて、辻とはなちゃんと3人でワーキャー言っていた。会場について入った瞬間、絶対いい夜になると思った。会場の有村さん、PAやってくれたカジノドライブのたけしさん、辻、はなちゃん、僕で会場の椅子をどう並べるかなど話し合いながら設営を進めた。楽しかった。ライトはどうするとかなんとか言いながら。ああいう時間本当に大切だなあ。リハーサルをやる前に近くのラーメン屋さんへ。そこの店員さんの女の子が「今日のチケット買っていたんですがバイト入ってしまったのでいけなくなってしまいました、でも頑張ってください!」と、とても美味しいラーメンを出してくれた。店内のテレビでは甲子園、北照と中京大中京の試合、燃えた。会場に戻りさっとリハをして。カジノのブンさんがわざわざ顔を出しに来てくれて、ゆいちゃんもわざわざ差し入れを持ってきてくれた。人情。さていざ本番、満席そして灼熱。暑くて暑くてみんな大丈夫かなと思ったが、お客さんとっても楽しんでくれていてよかった。MCでラーメン屋の女の子の話と、スタルヒン球場の話をした。セットリスト、一曲迷っていたところがあったけど、その一曲もいい歌が歌えた。終演後、目の前の買物公園に座り一曲だけ歌った。初めて旭川で歌ったのが、10年ほど前の買物公園での路上。あの日から、僕は何が変わっただろうか。ぴーとすぬーんは、今も仲良しのままだろうか。帰りはなんだかあっという間だった。後ろで辻がゲラゲラ笑っていて、助手席ではなちゃんが相槌を打っていた。22時過ぎに札幌に着きレンタカーを返し、ツネさんと福岡さんは来れなかったけど、北海道3本ひとまずお疲れ様打ち上げを3人でした。解散して家に着いて、ふーっと一息ついて、漠然と「がんばろ〜」と思って寝た。
明転と暗転を回ることにして本当によかったなあと思っている。
バンドが一人になり、それでも仲間が支えてくれて、僕のわがままを形にしてくれる。そして僕は形にならないものを皆さんに投げかける。ど直球な矛盾と、真っ青な情熱で、真っ暗闇な光と共に、明るく堕ちていく。そんな風でありたい。
明転するとそこに広がるのはさっきまでの今じゃない今。そして、その今の先に訪れる暗転の中でどれほどの次の今を想像できるか。信じることができるか。僕はそれを確かめたいし、あなたにも見てほしいのです。
明転暗転共に残り数本、明転のファイナルは12月の札幌ペニーレーン24でのバンド体制でのワンマンライブ。相手に不足なし。その日までの自分。
もちろんこの両ツアーだけじゃなく、むしろ、この両ツアーじゃない場所でこそ信じられない奇跡みたいなページを僕はあなたに見せ、聞かせたいのです。今月は残り3本ある。胸がドキドキする。
撮影はな 転載転用禁止
コメント
コメントを投稿