スクリーン

台風の被害が、どうかどうか最小限におさまることを、祈っています。
本当に。避難を。自身の安全と命が、何より誰かのためになると思います。
言うのは簡単だけど。


この2019年という年に、感謝と、怒りを。



10月9日、移動日前日。
台風の影響、サポートメンバーの動き、色んな情報かき集めて自分たち素人の予測も込みで、どうするのが一番いいのか、前日の9日からスタッフと悩みまくった。
悩みまくって、サポートメンバーのふるさんとポルノと三角を北海道から本州に向けて飛ばさないことにした。それを決めたのが18時前くらいだった気がする。

それを決めてすぐ、香川の古墳シスターズのまつやまくんに連絡をした。

「久しぶりだね。11日に高松でライブがあるんだ、俺たちのツアー。
札幌に住んでるサポートメンバーとやる予定だったんだけど、高松に上陸させないことにした。
古墳のみんな、11日、空いてないだろうか。1曲だけどうしてもバンドでやりたい曲があって、もし可能ならば力を貸してもらえないだろうか。」と。

古墳シスターズのスケジュールを見て、翌日10日に岡山でライブが入っているのはわかっていた。僕がまつやまくんに連絡したのが9日の夕方。
だけどどうしても1曲バンドでやりたかった。
無茶を言っているのはわかっている、わかっているけど、彼らしかいないと思っていた。


まつやまくんが「オッケーです、すぐみんなに確認します」と言って電話を切って、その数分後に、「メンバー全員オッケーです、我々にお任せください」と来た。
僕はすぐにその曲の音源とコード表を、ちくしょうありがとうと言う文と共に送った。


これからメンバーそれぞれ覚えてもらって、でも翌日10日は岡山ライブで、11日高松DIMEに14時に入ってもらうスケジュール。それを、任せてくださいといったまつやまくんと受けてくれた古墳シスターズのことを考えると、涙が出そうだった。胸が苦しかった。


それが決まってすぐスタッフ陣と共有し、諸々方向性が決まったのが19時頃。
そのタイミングで、サポートメンバー三人に、「みんなは飛ばさないことにした。」と連絡をした。





だけど、それから結局ずっと、それでも何とかできないかという気持ちがずっとあって、
常に情報とにらめっこ。日付が変わり、10日になり、ふるさんとポルノに少し確認したいことがあったので連絡をした。
ふるさんから、「ゴンシーが一番納得する判断を待ってるぜ」と返事がきて、ポルノから「ふるさんに完全に同意見です」ときた。熱い男たちだ。

昼までに最終判断をするといって、とりあえず連絡はやめた。
香川では古墳のみんなが必死になって曲を覚えてくれているであろう。


そして日はのぼり、頭かかえながら最終判断。
10日の夕方に僕と一緒の便で移動予定だった三角は、自身がやってるバンド・さよならミオちゃんで12日にライブがあったので、もし本州に来ても12日はおそらく帰れないだろうという判断で、三角は飛ばさないことにした。

ふるさんとポルノは、12日に戻れない可能性もあるが13日に戻れるならということで、飛ばすことにした。色んな情報と予測のもと、13日なら戻れるかもという素人の僕の判断だ。三人に伝えた。


そしてまつやまくんに電話をした。
「まつやまくんごめん、サポート二人を飛ばして三人でやることになった。
俺から言っておいて本当に申し訳ない、本当にごめん」と伝えた。
すると、「そりゃよかった、それが絶対いいですよ。陽炎、いい曲っすね。道中気をつけてくださいよ!」と、随分元気に言うもんだから、また涙が出そうになった。



三角から電話がきた。
「シンゴさん、僕もいけそうじゃありませんか?何か、いけそうじゃありませんか?」
とあいつは言う。二十歳のあいつの気持ちが嬉しかったし、十分伝わってる。
「ありがとう、でも三角に関しては今回はダメだ」と伝えると、わかりました!と随分元気に言うもんだから、ちくしょうまた涙が出そうになった。





三人でやることになった。
どういう風にやるかはとりあえずギリギリまで悩むことにした。
一応、エレキギターもアコギも持って行ってた。

そして最終的に辿り着いた判断は、ふるさんギター、ポルノはドラム、僕がベースボーカルという形態だ。10日の夜、日付が変わる寸前に、岡山でのライブを終えた古墳のまつやまくんに再度電話をした。

「何度もごめん。明日、ベース貸してもらえないだろうか」
「もちろんでっせ!!!」


もう、変な話だが、古墳シスターズにムカついてる自分がいた。おかしな話だ。
頭が上がらないほど感謝なのに、一周まわってムカついてきてた。
何でここまで全部やろうとしてくれるんだよと思った。
本当にありがとう。
ベースの確保もできたところで、その夜大阪の宿でエレキギターを弾きながらベースと仮定してイメージしてながら、気づいたら寝ていた。


11日、朝。
朝になり大阪を出て、神戸空港でふるさんとポルノを拾い合流し、いざ高松へ。
DIMEに着くと、古墳シスターズのベースのおばたくんが、待っていた。
「自分のだと思って好きに使ってください。陽炎、いい歌でした。」と言ってくれた。
本当にありがとう。


リハーサルでベースをアンプにつなげた。
おばたくんが貸してくれたエフェクターを使って、かっこいい音になった。
(どこにケーブル差したらいいかとか全然わかんなかった)
リハーサルやっただけで水ぶくれができて、ベーシストすご、、、と思った。



もう、やるしかなかった。
どうなったってやるしかなかった。
三角の思いを乗せてライブをするには、僕がベースを弾くのが一番だと思った。









沢山のお客さん。ハンブレと2に感謝。
台風の影響。きてくれた人、これなかった人、そのどちらにも最大級の感謝。
古墳シスターズに感謝。




ポルノが、「シンゴさん似合ってますベース、かっこいい」と言った。
ライブ始まる直前にステージの上でふるさんが僕に、「メンバーがやめて新体制になっても、サポートベースが来れなくても、こうやってこんなに沢山の人が待ってるんだ。それだけでもう、すげーことだぞ。」と言った。思わず抱きしめてしまった。



嵐のように、ライブは終わった。
最後の「陽炎」を終えて、もう本当に力が入らなかった。
アンコールはやらなかった。


ハンブレのでらしが、べちゃべちゃの僕に抱きついて、「本当に本当に最高でした。本当にドキドキした。本当にドキドキしました俺」と興奮しながら話してくれた。
2のりょうちも、「シンゴくんめっちゃベース弾くじゃん!かっこよかった」と言ってくれた。古墳のギターまつもとくんが見にきてくれて、おばたくんのベースを代わりに持って帰ってくれた。まつもとくんは、「最高でした、陽炎はいつでも任せてください」と言っていた。




「みんな」のおかげだ。本当に。




近づく台風とともに、安全運転で大阪にむかった。
明石海峡大橋を渡りながら輝く神戸の街の灯りが本当にきれいだった。
助手席でマネージャーの辻が寝てて、後ろでふるさんとポルノが寝てて、雨と風に煽られながらハンドル握った。大阪に入り宿に着く直前、それまで辻の携帯からずっとシャッフルで流れ続けていたカーステレオから最後に流れてきたのは《この夜の向こうまで、走れ、銀河高速》というそんな歌だった。不思議なもんである。

みんな、着くよ〜と起こし、コンビニに寄った。






ふるさんとポルノは、明日の便がとれたので、明日帰ることになった。
僕はまだやることがある。歌いたい歌がある。歌わなきゃいけない瞬間がある。



くだらないこと美しく見えて、小さなことが大きく見えたら、間違いじゃないよ。
間違いなんかじゃないよ。



コメント

  1. 高松からもう10日以上経ってるんですね。
    昨日のようにも何ヶ月も前の事のようにも思えます。
    私にとっては初めての四国。台風が近づいているこんな時に来てしまった自分に笑ってしまったし、予定通りの旅ではなかったけど札幌に帰ってきて思ったのは、行って良かったなぁ〜の一言でした。
    古墳シスターズのみんなとやる陽炎、いつか聴いてみたいです。
    シンゴさん、大丈夫です!

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    1. 遅くなってしまいましたが、台風の中来ていただきありがとうございます。このツアーの中でも他公演とはまた違うドラマ盛りだくさんでした。古墳にも感謝です。

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