少年少女の星屑を集める

来年4月29日、実に2年8ヶ月ぶりに発売する3枚目のアルバムのタイトルは「大切にしたいこと」にした。小さなことから大きなことまで。派手なものからほつれた裾のようなものまで。
この「大切にしたいこと」を持って回るツアーは、ワンマンで回ることにした。今年は明転という名前で対バンありで回ってきたし、来年はまた挑戦、ドアをあける。



47都道府県、回れるわけがなかった。
沢山考えて、決めた箇所は13会場。


1本目、5月16日(土)札幌KLUB COUNTER ACTION
高校を卒業して人生で初めて足を踏み入れた場所が、カウンターアクションだった。僕の地元にはライブハウスはなかったから、初めて入った時は本当に怖かった。札幌に出てきてりゅうたってやつと友達になって、りゅうたがカウンターに連れて行ってくれたあの日の衝撃は、言葉では言い表せれないな。確か6組くらい出てて、1バンドも1曲も知らない状態で行ったのに、生身のロックンロールに心奪われてしまって。あの日トリで出ていたJET THUNDERSにメロメロになって。それから4年後ボイガルを始めて、遂にカウンターのステージに立つ日が来て、それはJET THUNDERSのイベントであの日と同じイベントで。それから8年経って、THE BOYS&GIRLSはメンバーがやめて僕1人になって、サポートメンバーに手伝ってもらいながら活動をすぐ始めて、その最初のライブが今年4月のカウンターで。来年ワンマンツアーやってやるぞってなって、初日どこにしようってなって、カウンターがいいって言って。ステージも低い、柵もない、爆音、あの日の自分が見にくる。


2本目、5月23日(土)福岡Queblick
音楽をやっていなければ行くことなんてあるんだろうかっていう街がほとんど。福岡に初めて行ったのは2014年12月、「歩く日々ソング」というシングルのキャンペーンでトモヤさんと2人で行った時。ラジオの公開収録、福岡に住んでいる女の子が2人、嬉しかった。元気にしてるんだろうか。宝くじ売り場の前で路上、寒い日だった。いっきが貸してくれたアコギ 、いい音だった。悔しかったなオンタク。プラネタリウムで歌ったりもして。トモヤさんと2人で行った屋台で出会った大学生、京都から来てたって言ってたっけ。ポッポコピーとの邂逅、風街、福岡好きすぎてライブがない時も遊びに行って。歩道橋からどこまでも飛んでいった。警固公園のBGM。誕生日のウルトラマリン嬉しかったよマナブ、あの時はありがとう。タワレコでゲリラで歌ったとき、「帰ろうと思ったら歌が聞こえてきて良かったからCD買おうと思ったらお金なくてさっき買った弦を返品してきて、CD買いました」って言ってきてくれた男の子。あの時確か制服だった。今頃きっと20歳くらいか。はるひさ、お前元気にしてるのか?あんなの初めてだったから、今でもすげー嬉しいんだぞ。福岡初ワンマン。


3本目、5月30日(土)旭川CASINO DRIVE
思い返せばもう10年前、このバンドを始める前にひとりバスに乗ってアコギだけ持って歌いに行った日、あの日のことをずっと引きずっているのかもしれない。買い物公園、日が暮れて僕はまだ20歳とかで。バンドってどんなものか、全然ちゃんとわからなくて。何も考えれていなくてただ歌ってるのが楽しくて。向かえの美容室の美容師さんが外に出てきて、すげーいいです!って褒めてくれて。そこにいた僕含む4.5人で笑って。僕は最終バスで帰って。窓際の切符、遠くなってった。THE BOYS&GIRLS始めて、セッチューフリーで旭川行って、「すべてはここから」のツアーでも行って、歌えなくなってキャンセルとか。CASINO DRIVEのブンさんはいつも気にかけてくれて、ゆいちゃんにも世話になってきた。いつかのCASINO DRIVEの日に、開演前だったかな、女性の方が声をかけてくれたのを覚えてる。前回は体調を崩してしまって来れなくて、それから随分空いたけどこの日をずっと楽しみにしていたと、涙こぼしながら声をかけてくれた。札幌から近いのに、なぜかいつも、近くて遠い。わかっていても、どうしてこんなに近くて遠いんだろう。来てもらってばっかで、気にかけてもらってばっかで、僕は背中を向けてばっかで。ありがとうって言いたい、カジノのステージから、ぐっしゃぐしゃになりたい。旭川初ワンマン。


4本目、6月7日(日)広島BACK BEAT
初めての広島、期待されたナミキジャンクションで沢山の人が迎えてくれて、いい気になってたんだMUSIC CUBEの日から。そこからラブ人間が連れてってくれて広島を教えてくれた。4.14でやった「明日の君へ」をツネさんが絶賛してくれて。なかなか増えないお客さんと、増え続ける思い出。康平さんの隣で食べたお好み焼き、後ろにヒロトのサインがあった。セブンのとこの信号、コンビニの安い酒、川沿いで酔っ払ってキックザカンクルー。かんかん照り、強すぎる日差し。このまま朝まで歌ってようぜ。ビクター契約きれて、ツネさんが掬ってくれてすぐボンサイレコーズから「拝啓、エンドレス様」出した2年前のツアー、広島公演、涙が止まらなくて自分でも情けなかったな、女の前で泣くなよボーカルが。だけどあれはもう仕方なかったんだ、恩人の地元、泥は塗れないし嘘はつかない、感情もすべて置いていこうって日だった。2018年2月、武田高校。「卒業証書」という曲のMV撮影でTHE BOYS&GIRLSと広島を結んだ。西日本豪雨ずっとずっと心配だった、流れるニュース、生徒のみんな大丈夫かなって。先生たち大丈夫かなって。生徒指導部、のぶこ先生から「こっちは大丈夫、あなたは元気に歌を歌って」って。土砂崩れは天に昇る龍。音楽の力を教えてくれた街。東広島駅から武田までの道も、流れてった日々も、怖かった夜も、全部歌おう。広島初ワンマン。


5本目、6月18日(木)大阪FANDANGO
移転前のファンダンゴでワンマンをすることは結局出来なかった。大阪でライブをするようになって、ファンダンゴにもお世話になって、そのたびに店長の加藤さんが声をかけてくれていた。ワンマンでもなんでもって。何度も何度も誘ってくれた。たくさんのバンドから慕われているだろうし、たくさんかわいがってると思うけど、こんな田舎の僕らみたいなバンドにまでしっかり考えてくれていつも話をしてくれた。イベント終わり、事務所に挨拶いったときの、椅子に座った加藤さんの姿が好きで。その話し方が好きで。セクマシとやった日、声ほとんど何にも出なくてそのまま消えてなくなりたかった。KiNGONSのライブ見ながら、気持ちがぱんぱんになって階段で涙が溢れた。強くならないといけないって、そういうのはいつもファンダンゴだった。もう何年も前だけど、あの頃フロアにいたみんな、元気にしてるかな。ファンダンゴはそういうところだった。重たいドアノブ、しっかり上げてしっかり閉めないとって、あの感覚が大切だったな。十三じゃなくなって、堺に移転して、でもどうやらファンダンゴの熱は全く変わらず、あの重たいドアとかそのまんま持っていったらしい。そういうところが、ファンダンゴだなあってツイッターとか見ながらおもっていた。だから僕も、念願のファンダンゴのワンマン、これまでのファンダンゴで貰ったものちゃんと忘れずに持っていって、そしてなにより、大阪でのワンマンはこれなんだっていう、大阪で大切にしてきたことを全部出す。


6本目、6月21日(日)高松TOONICE
4年前、カラスは真っ白というバンドがいて、カラスのツアーで初めて高松でライブをした。あの日はDIMEで本当に本当にいい日だった。やぎぬまちゃんは来れなかったけど、男たちで死ぬほど打ち上げして。たいへいも、おちくんも、しみくんも、最高に楽しかったんだよなあ。そんな夜を過ごせたのは、ほんの僅かな知ってくれたお客さんのおかげで。あの日が始まりだったなあ高松。でも、こりゃなかなか来れないなって漠然と思って、それは本当になっちゃって。片手で数えることができるくらいしか行けてない高松で。だけどその数回が、このバンドにとっても僕にとっても素直にいいもので、それで極めつけはこの前の明転ツアーの高松公演で。久しぶりに行くってなって、メンバー違うってなって、そしたら結局3人で。悔しいとかそういうのよりも、この街との縁というか因縁というかストーリーというか。これは高松やるしかないって、でもさすがにDIMEは違うって笑って、やったことないけどTOONICEにしようって。古墳シスターズの情報とかで見てるから勝手に行った気になってるけど。ガラガラのDIME、無理矢理の地下道、古着屋の黒猫、酔っ払った夜空、カラスはもうどこかに飛んでいって消えてしまったけどちゃんとメロディが残ってる。高松初ワンマン。


7本目、6月27日(土)根室HYWATT HALL
北海道最東端のライブハウス。元々パチンコ屋のライブハウス。僕と同い年のシンゴマーティンが友達のカズマって奴と始めたライブハウス。周りの仲間たちと手作りで最高なハコになったライブハウス。ライブハウスのなかった街に、ライブハウスを作ろうぜっていって、本当にできちゃったライブハウス。海がすぐそこのライブハウス。楽屋に、HYWATT HALLができるまでの過程とかが載ってる手作りの本があるライブハウス。営業開始して1年も経たずして、爆弾低気圧による高潮被害ですぐそこの海から波が押し寄せて浸水してスピーカーとか全部ダメになっちゃって、またみんなでイチからライブハウスに戻したライブハウス。僕の地元中標津町の隣町のライブハウス。同い年の奴がやってるライブハウス。僕が喉ぶっ壊しちゃってライブキャンセルした時にはライク・ア・ローリング・ソングをカバーしてくれたり、ジョインアライブのメインステージのO.Aもやったり、超イカした歌を歌う同じ名前のシンゴマーティンがやってるライブハウス。行くたびに、シンゴくん今度はゆっくり飲みましょうねー!きをつけてねー!って大口開けて見送ってくれるカズマが店長のライブハウス。癌と闘ってるカズマが店長のライブハウス。根室初ワンマン。


8本目、6月28日(日)釧路SILVER MACHINE
年長から小学校1年生の6月まで、僕は病気で釧路赤十字病院に入院していた。竹ちゃんというナースに恋をして、私服の竹ちゃんを見たとき得体の知れない感情に襲われたのを覚えている。竹ちゃんがおかあより体重が10kgくらい軽かったのも何故か覚えてる。おかあは、ほうれん草を食べない僕に、「ほうれん草を食べると明日の採血の結果がよくなるぞ」というメッセージ性の高い歌を、おもちゃのチャチャチャのメロディに合わせて替え歌で作ってくれた。正月とお盆には春採に住んでいたじいちゃんとばあちゃんの家に行った。近くに太平洋炭鉱があり、よく話をしてくれた。中学生の頃、春採にできたコーチャンフォーで初めて試聴機というものを体験した。ハイスタもハイロウズもイースタンも、コーチャンフォーで買った。僕が高3の冬、じいちゃんが死んだ。予餞会で、くずの「すべてが僕の力になる」を健斗という友達と歌う予定だったけど、じいちゃんの通夜と葬式のため出れず、親友の健太に前日にお願いして僕の代わりに健太が歌ってくれた。健太は真夜中に中小のグラウンドに行き大声で練習したらしい。ばあちゃんも数年前に死んだ。ばあちゃんは、僕のこのアホみたいな髪型を、唯一褒めてくれる人だった。THE BOYS&GIRLSで何度かライブをした。ラボマークにもナバナスタジオにも汗と血と涙を染み込ませてる。世話になってるSDCのミヤオさんに力を借りて、シルバーマシーンに乗り込むことにした。釧路初ワンマン。


9本目、7月5日(日)名古屋RAD SEVEN
2012年10月、初めて名古屋でライブをして場所はクラブロックンロール、お客さんは全部で10人くらいだった。スリークエスチョンズに乗っかって僕らも混ぜてもらった日。ナンシーというバンドが対バンにいた。かわぞう、元気にしてるかな。あいつのブログをこっそり見ていた、URLはもうわからない。何度名古屋でライブをしたかな。東名阪という言葉になるくらい全国的に見ても明らかに主要都市ではあると思うけど、毎月のようにライブしてるわけではないし、行けば行くほど来てくれる人が増えるわけでもなかった。結局、対バンの力でそれっぽくなってた。それが悔しかった。だって名古屋で巻き起こることはいつも、ロックバンドがライブハウスで巻き起こせるようなことじゃなかったからだ。もっとここにこの瞬間を求めて来てくれる人が増えたら、もっともっと信じられない瞬間が生まれるんじゃないかって思っていた。何をするにしても、僕に次のページをめくらせる。空を見ても、街を歩いても、もちろん歌を歌っても。小さな世界で、小さな会場で、小さな火種で、これ以上はないってくらいの大袈裟な物語を現実世界で見せてくれる。あの日の約束に嘘なんてなかった、そしてそれはこれまでも、これからも延々と続いていく。次のページを見に行きたい、きっとまたとんでもないシーンが待っている。


10本目、7月17日(金)下北沢BASEMENTBAR
東京で初めてソールドアウトしたのが、2015年7月に開催したベースメントでのワンマンライブだった。あの日は、少年少女のBGMというタイトルだった。ビクターのスピードスターレコーズから1stアルバムを出してからのワンマンでスペシャアプリで配信とかしてくれてた気がする。1曲目は少年が歌うメロディーだったな確か。尖りすぎ。1stアルバムに入ってないし。ベースメントのチームが大好きだった。PAの青木さんも照明の中野さんも、当時店長だったちからさんには、本当に世話になった。今もなってるけど。ちからさんは、いつもちゃんと言ってくれる人だった。モヨコや爆弾に負けないように頑張らないとなって笑って言ってくれた時、ちからさんは冗談ぽく言ってたけど、絶対本気で言ってくれてて、パシーンってけつ叩かれた気持ちになれて嬉しかった。のちに、2015年にビクターからデビューする時に僕らのボスになった人と出会ったのもベースメントバーだった。初めて作った自主制作アルバムを1枚目に買った人だ。カイトとトモヤさんとケントボーイズが辞めることになった時、最初に電話をした。そんな風に思い返すと、ベースメントには、出会いというものがいつもあったな。それと肩を並べるように、僕にとっては振り返っちゃいけないような気持ちになる場所でもあった。だから今こそ、振り返ろう。三角形の真正面から。


11本目、7月23日(木祝)函館ARARA
先月オープンしたばかりの函館ARARA。オープン記念として弾き語りでこの前出演させてもらって、その時の気持ちというか過ごした時間が自分にとってとても大切なものだった。苫小牧のエルキューブの二号店としてスタートしたこのARARAは、かとぺさんという方が店長で。はじめましてだったけど、たくさん話してくれてこれからもっと話していきたいと思った。そして何より、この弾き語りで出演した日に共演したみんなのライブにスイッチを押された。同い年の堀木光太郎と野坂祐太朗(僕はガンジスと呼んでいる)が出てて、二人に会ったのは数年ぶりだった。今二人は函館でyogisyaというやばいバンドをやっている。光太郎に「ライブハウスできたね」といったら、あいつは「そうなんだよ、遂にできたんだ」と、見たことないくらいの輝きの目で答えてくれた。函館だけじゃなくて、北海道のバンドで、ぐいぐいと動かせたらきっといいよな。そんな風に思った。打ち上げで、ARARAのバーカウンターの前で、3人でずっと北海道のバンドの話(ライラックとかボックスとかキャサディーズとか)や、ストリートロックファイルの話や、泉山亮太の話や、そんな話をして、すごく楽しかった。函館にライブハウスができたんだって、文字にするだけじゃわからない伝わらないような、高揚があった。ユージは元気だろうか、あの日のオウンゴールでのライブが始まりだ。函館には屋号の文化が残っていて、それもまた最高だ。着実と増えていく函館とのストーリー、8月の手前、センチメンタる前に、フラッシュバック・メロディーララ。うちにも夏を歌わせてほしい。函館初ワンマン。


12本目、8月1日(土)仙台enn 3rd
ソンソン弁当箱、雨先案内人、勃発も、みんな仙台だった。2011年3月1日がこのバンドの正式結成日になったけど、僕は、それからすぐのあの日のことを歌えるような器の持ち主ではなかった。だけど、そんな自分の器気にして形にしないなんてその方が情けないと思い、1曲だけ書いた。もう暫く歌っていないな。初めての仙台は、忘れらんねえよのツアーだった、ツーマンだった。タワーでいきなり歌ったりもした。メガロックスに出た時は、唯一の出待ちがソンソンのカジカだった。今では、札幌で出会った大切な友達夫婦が住んでいる。夫婦共に札幌で音楽をやっていて、二人ともとんでもない才能を持っていた。それと同じくらい、そもそも人として大好きな二人だった。仙台でライブする時は時間をつけて見にきてくれていたが、先月は、子供が生まれたこともあり来れなかった。それもまた嬉しかったな。この前、マイヘアとenn 2ndでツーマンした時、隣接されている3rdのほうを見せてもらった。ワンマンするならここだなあと何となくあの時思った。去年回ったSONG FALLS TOURの初日が仙台だったんだけど、あの日は地震の直後で僕だけ本州に先に入っていて。地震が起こる数時間前まで一緒にいて、次にあったの10日後の仙台の会場だった。ホッとしたのを覚えてる。消えた灯り、倒された木、無色の信号、祈りと絶望。届けたい歌が増えました。仙台初ワンマン。


13本目、8月23日(日)札幌mole
そうして、このツアーはファイナルに辿り着く。選んだ会場は、札幌mole。2013年5月に、THE BOYS&GIRLSとして初めてワンマンライブをした時も、このmoleでやった。2015年4月にメジャーデビュー直後に緊急フリーライブをしたのもここmole。何度もステージ飛び出して、何度もスピーカーよじ登って、何度もアニーさんに怒られて、何度も笑い合ったmole。この前のペニーレーンの日、終わった後にmoleの大嶋さんから連絡がきた。「シンゴ、最高だった。楽屋に挨拶も行かずにごめん、でも、この気持ちのまま帰りたかった。8月、よろしくね」と書いてあった。それがすべてである。すごいことになるぞ、すごいことにしよう。札幌で始めて、札幌で終える。









まだまだ先の話だけど、やがて、明日の話になる。
今は見えない星屑が、ちゃんとその手の中におさまる日が必ず来る。
最速先行、23日まで、先着受付です。よろしくお願いします。


コメント

  1. シンゴさんの歌声をみみばしるで初めて聴き、そのとき素敵な衝撃を受けて、目が離せなくなったのを覚えています。シンゴさんの歌を聴きに来た一人一人にそれぞれ違う素敵な出逢いがあったと思うと何だか嬉しい気持ちになりました。下北のワンマンと代官山のライブ行きます。遠くない未来、先は見えませんが、それまで一生懸命1日を送ります。

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    1. みみばしるで出会えたのとてもうれしいです。ライブ待ってます、アルバムも最高なの届けます。

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  2. 読めば読むほど全てに行きたくなってしまうし、来年もできるだけたくさんボイガルを見たいから頑張ります!
    シンゴさんは、無理しないで来れるとこだけ来てくれたらいいよって言ってくれそうだけど。。
    シンゴさんが各地に馳せた大切なものを少しでも多く感じられるように、遠くない未来に走って向かいたいです

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    1. 来れるところに来てくれれば、そこが最高です!

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  3. ボイガル…昨年のMUROフェスで初めてLiveを観てココロ動かされました。自分は決して若くは無いですが、一つ一つの歌詞が何か言えない物を感じさせてくれて鳥肌がたった事を覚えてます。自分の住まいは北関東なのでなかなか平日都内のLiveは参戦出来ませんが、今度機会が有ったら北関東でのLiveを企ててくださいね。

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    1. 返せてなかった、すいません。コメントから2年、あれからどうしてますかね。

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