優しく響いておくれ

6月19日に「SHIRUBE 2021 ONLINE ~LIGHT IS HOPE~」が終了。
一息つく間も無く、22日には札幌PENNY LANE 24で四星球とのライブがあり、23日にはニューシングル「town to town」が発売。その日は市内のレコ屋に挨拶回りをして一日が終わった。



YouTubeでの5時間生配信に切り替えたシルベが終わって、12日が経過して、ようやく「なんか残さなきゃ」という気持ちになっている。ただ、はるか昔の出来事のように感じているのでうまく書き留めれる自信はない。疲れたら途中でやめる。
「SHIRUBE 2021」開催までの経緯と、通常開催中止を決めたところまでのことは2つ前の投稿を読んでください。今日は、仕込み日だった前日18日からの2日間のことを書く。


この二日間のおおまかなタイムスケジュールは、
前日18日の仕込み日は、10時00分から20時00分の約10時間。仕込み、配信本番に関するありとあらゆるチェック、そしてボイガルのバンドリハーサル、全て込みで20時00分くらいまでに終えれたらいいなというスケジュールだった。
そして当日は、配信開始が14時30分だったので、前日にできなかったことや最終チェックなども考えて逆算して9時00分集合だった。

これが、マストで必要なタイム感だった。




18日、10時00分、札幌市内の某会場集合。
秘密にしたいので会場名を「A」とする。(ちなみに、ライブハウスではない)

外は快晴、いい天気、すでに気温もかなり上がっていた。大量の機材たちを持ったシルベンジャーズ達が続々と集まってきて、みんなで「よーし運ぶぞ〜」なんて言いながら、何往復もしてAの中に搬入した。Aに一通り搬入が終わり、各セクションごとにそれぞれの持ち場を創り始めていった。すごくワクワクしたけど、みんな動き早過ぎてバケモノみたいだった。美術の市川さんが作ってきてくれたステージのバックに吊るす幕とトークブースのバックに吊るす幕に感動。サイズも一寸の狂いもない。市川さんは、エルレガーデンのTシャツを着ていた。

プロ中のプロ達が、どんどんと進めていく。「シンゴこれはどうする?」「シンゴこれはこっちの方がいいか?」などと聞かれては「最高です」と答え続けた。
ボイガルのライブの演出として最後の最後でつけようと考えていた星の灯り(星球)を、やいのやいの言いながら設置。俺はひたすら下から口を出し続けた。福岡さんとハヤトさんが並んで空ケースに乗って星球に手を伸ばしている様は、ケミストリーみたいでめちゃくちゃ面白くて「二人ケミストリーみたいですよ」なんてふざけて言っていた。俺たちは全員明日を見透かして、楽しみながら考えながら全力の仕込み。こりゃあ明日絶対最高になるという空気感が終始漂っていたのは言うまでもない。

そういえば、ケミストリーのデビュー曲「PIECES OF A DREAM」にこんな一節がある。

“「見え透いた明日が一番くだらない」とはしゃぎながら気ままに生きたあの頃”

そうか、なるほどね。



なんやかんやで星球の仕込みも2時間近くかかっていた。もちろん各セクションで同時にいろんなことを進めていたけど、めちゃくちゃ時間押してるって感じでもなかった。お昼ご飯を食べて13時過ぎに俺は一つ前の「シルベのことを書いておく」というブログを投稿した。

休憩が終わり再開。マウントアライブのネデさんやゆうこさん、WESSん瀧田さんなども顔出しに来てくれた。この場所にいる人たち、結局20年近くこの街で同じ業界にいるから、会社は違えどみんなすごくいい関係で、かっこよかったな。
止まることなく仕込んではチェック、不具合見つけてはチェック、その繰り返しで時間はどんどん過ぎていく。俺たちは未知の世界のドアを開けていた。

16時頃ボイガルのメンバー達が会場入り。ステージもだいぶ出来上がってきていて、セッティングしてすぐサウンドチェック。あまり時間もないのでサクッと音出して、音チェックして。音響は松本さん、大好き松本さん。と、ジャカジャカやっていた時、30分くらいしてからちょっと不穏な空気が流れ始めていた。「ちょっと一回ストップ」となり、音を出すのをやめた。


もちろん、会場のAにはこういうことをやりますというのも伝えていたけど、それとは別のどうにもならない問題が発生した。そして、福岡さんが誰かとどこかに消えてった。


ケミストリーのデビュー曲「PIECES OF A DREAM」にこんな一節がある。

“強がるわけじゃないんだけど立ち止まっちゃいけない気はしてる”

そうか、なるほどね。あの人はそういう男だ。俺たちは福岡さんの帰りを待った。


辻さんが「一旦全部ストップしよう」と言って、全セクションの作業はストップ。この後音を出すのはおそらくないだろうと判断し、バンドメンバーも帰らせた。(あいつらは3人でスタジオに行っていて可愛かった偉いぞ。)


辻さんに「辻さん、俺も福岡さんのところに行った方が良くないですか?」と聞くと、
「いや、シンゴはここにいよう。フクはこういう時ちゃんとやるやつだから、待とう」と辻さんが言った。なんか全員かっこよすぎだわ。

そして数十分後、「ソロで紅白でも出たのか?」って顔した福岡さんが戻ってきて、「シンゴ、辻さん、ツネくん、つじちゃん(うちのマネージャー)、ちょっといいですか?」と裏の事務所みたいなところに行った。そこで10分くらい俺たちは話した。

そして言葉を重ね気持ちを確認し、「このままこのAでやるには、俺たちが思い描いているシルベにはならない気がする。」と俺含む5人がなり、「場所変えましょう。」と俺が言った。
機材の量やシステムなどを考えるとある程度の広さが必要で、思い描いているやりたいことや見え方を考えると市内のライブハウスではできなかった。(そもそもライブハウス空いてなかった)

そこで新たに出た候補が、「B」と「C」の二つだった。(秘密にしたいので会場名は伏せておく。)
どちらも未知すぎる「B」と「C」だったが、最終的に「Bの方がうちっぽい」という理由で、札幌市内から車で1時間かかる「B」に決めた。


みんなのところに戻り、俺の口から「よし、皆さん!これを全てバラしましょう、そして新たに場所を変えます、新たな場所は“B”です!!」と伝えた。みんな笑ってた。「やばいね〜(笑)」って笑ってた。かっこよかった。その時、時計は18時を回っていた気がする。18時を回っていたんだ。10時00分から始まった仕込みを、その8時間後に、日の目を見ぬまま撤収作業に取り掛かるという前代未聞にもほどがあるだろという信じられない爆裂ノンフィクションのストーリー。
大量の複雑な機材たち、輝くことのなかった星球、幕、見る見るうちに片付けられていく。みんな楽しそうだった。いや、楽しそうというかワクワクというか、とにかく「俺たちならやれる」という感じだった。その速さと強さに、ツネさんが「この人たち最強すぎだろ」と言っていた。

バラし作業が始まり、シルベクルーたちに連絡をした。
やれることがあればなんでもやりますと言ってくれたクルーたちもいて、心強かった。


朝の仕込み時と同じように何度も往復し機材を運び、20時前、バラし終了。さすがにちょっと信じられなかった。何事もなかったかのように、朝のまんま。2時間かかる前に現状復帰した。

さて、ここからどうやってBまで行こうかと、福岡さんが誰々の車には誰と誰が乗ってくださいと振り分けていった。その頃スタジオに入っていたメンバーが戻ってきて、とりあえずみんなは明日かんだちゃんの車で来てと伝え、その日は帰した。


そこから、俺はカメラのはなちゃんと、市川さんの車に乗せてもらってBに向かった。

市川さんは、RISING SUN ROCK FESTIVALに初年度から携わっている人だ。この日、ライジングは今年の中止を発表した日だった。
「ライジングの中止発表、今日だったんですね」と俺は市川さんに言った。すごい無神経なこと言っちゃったなと今もちょっと後悔してる。市川さん「そうなんだよ〜。あの暑い日に、どう過ごしたらいいか、イメージができないんだ」って言ってた。
「でもこうしてシルベがあってよかったし、これは絶対いいものになるよ。絶対なる。」と言っていた。市川さんのカーステレオからは、SUPERCARが流れていた。そうだよね。


21時過ぎ、Bに到着。もちろんさっきまでのAとは作りも全然違う。
すぐに辻さんや市川さんと、この角度でこうしようなどと打ち合わせをし、決めて、仕込みに取り掛かったのが21時30分。

このやばさが、伝わるだろうか。
最初の方にも書いたけど、改めて書く。

【前日18日の仕込み日は、10時00分から20時00分の約10時間。仕込み、配信本番に関するありとあらゆるチェック、そしてボイガルのバンドリハーサル、全て込みで20時00分くらいまでに終えれたらいいなというスケジュールだった。】

だ。楽しくなって来たでしょう。

もちろんここから10時間やるのは人間的にも色々的にも不可能なので、やれるところまでやって、パッと見切りつけて、明日にしようという流れ。
そこからの全員の集中力、ハンパじゃなかった。本当にすごかった。Aの時もすごかったのに、それを超える凄さ。すると途中で、Aの時に顔出しに来てくれたWESSの瀧田さんがBにも来てくれた。ちょっとしてからマウントアライブのネデさんゆうこさんも来てくれた。大量のバナナとお団子を買って来てくれた。結局3人は、仕込みを手伝ってくれた。



よし、今日はもうここまでにしようと解散。
俺はWESSの瀧田さんの車に乗せてもらった。瀧田さんは出発してすぐに「福岡の現場は本当にめんどくせえな!」と言って笑っていた。福岡さんと瀧田さんの関係性も俺は好きである。


深夜に家について、シャワーを浴びて、色々考えるとあまりうまく眠れなかった。


19日、当日。当初のスケジュールは大幅に変わった。
俺は朝8時に札幌を出た。福岡さんの車で、照明のアニーさんと、MCの智也さんとハイジと5人で向かった。車の中で食べたアメリカンドックが美味しかった。


会場到着、すでにスタッフみんないた。一体、何時に来たんだろう。
特に聞かなかった。










そして15時00分、SHIRUBE 2021 ONLINE ~LIGHT IS HOPE~の生配信が始まった。
喋って、アーティスト達からのコメント見て、歌って、喋って、笑って、あっという間だった。
だけどみんな本当に楽しそうだった。
YouTubeのチャットも、ツイッターでのツイートも、本当に嬉しかった。


最後のTHE BOYS&GIRLSのライブの最後の曲で、ベースの三角の音が出なくなって、三角は悔しそうにしていた。でも、最後にアニーさんが星を点ける。音は多分、福岡さんか誰かが見にくる、それでも出なかった時はそれまでだから三角にはとにかく弾き続けてほしくて、「弾け」と耳元で言った。あいつは最後の方ずっと泣いていた。最年少、どこまでも行けよ。

最後のボイガルのライブは、うちのマネージャーの辻がスイッチング。アニーさんが照明、カメラには郁人もいて、歌詞の字幕はもちろんかんだちゃんが出し続けていた。(ただ途中から字幕がパカパカ点滅するようになったのはどうやらかんだちゃんのPCが朝から起動しまくっていたため「もう無理かも」って悲鳴を上げ始めたかららしくてめちゃくちゃうけた)

思えば去年の灯火ツアーから、同じ夜をいくつも越えて来たな。



そんなこんなで、無事終了。

あっっっっっというまに撤収も終了。さすが前日に仕込みバラシを一度経験済みの最強集団。

お疲れ様でしたって、帰った。


俺は帰りは、マウントアライブのゆうこさんの車で、オレセナ作者のひにちさんと札幌に向かった。ひにちさんが先に降りて、俺はmoleの横で降ろしてもらって、moleの機材を下ろしたチームと合流し、最後に福岡さんの事務所で荷物を降ろして、家に帰った。





帰りは雨が降っていた。




結局コロナの状況は良くならず、しばらく中標津帰れてない。
ゲストで出てくれたコータローさん、千葉さん、もまたさん、クマゴロンを始め、協力してくれたり信じてくれていた方々にちゃんと話したい。



本当にたくさんの方に感謝します。
これからも俺は、自分の信じれる人と、細々とでも生きて行く。

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