あの時やめなかったのは

コメダ珈琲、窓際カウンター席にいる。
今これを読んでくれてる人にはどうしても伝えたい。完全にお腹がぶっ壊れてる。なんだこれは。お腹の中で、普段のんびり暮らしている天使たちが確実に何かに冒されているのがわかる。ただ、言わずもがな、コメダは何も悪くない。原因はわかっている。さっき食べ過ぎたんだ色々。コメダに来る前に、蕎麦とか天丼とか、どっちかだけにすればよかったのに。こうなることはわかっていたのに。
ただ、言わずもがな、蕎麦屋は悪くない。悪くないんだ。
俺はこれを打ち終えるまで席は立たない。なぜなら、さっきから何回かトイレに行こうとはしてるんだけどことごとく使用中のタイミングにぶつかっていて、もうレジの前を通るのがちょっと恥ずかしいから。「あいつまた入れてないじゃん、大丈夫かよ、ぷすす」って言われてるんじゃないだろうか。そんなことを考えると俺はもう会計まで席を立てない。



「town to town 2021」というツアーが始まった。6月に発売した「town to town」という4曲入のシングルを携えて。
とはいえ、昨年の7月に出した「大切にしたいこと」という3rd albumのツアーも配信でしかできていないので、個人的にはこのアルバムとシングルを合わせたツアーという気持ちも込めている。というか、勝手に込まさっている。込まさっているんだ。

初日は札幌cube gardenにて、愛と傷と熱狂、SULLIVAN's FUN CLUBと。
本当にようやく、サリバンと二人きりになれた。俺たちは同じ街で息をし、同じ街並みを歩き、同じようにあまり友達がいなかった。初日の札幌はサリバンしか考えていなかった。ありがとう。サリバンのギターのカズマは、今ボイガルでベースを弾いてくれている三角とともに、高校時代にcube gardenにボイガルのライブを見にきてくれていた。
あれから何年が経ったろう。その三角はボイガルに、そしてカズマはサリバンに、そしてこの日初めてのツーマンで、カズマは初めてのcube gardenのステージときたもんだ。
こうなることはわかっていた。わかっていたというか、こういう風にできている。決して美しくはないけど、啜った泥水の味をちゃんと覚えてるやつには、必ず次の一歩がある。

チケットはソールドアウト。ホッとした自分がいた。コロナの影響もあり、コンサート業界では今、売れたチケットの3割くらいのお客さんは当日会場にお見えにならないと言われている。
だけどこの日ほぼ全てのお客さんがきてくれていたらしい。楽しみにしてもらえてて、みんないろんなところでいろんなものと戦って、この日にかけていたんだ。

本編が終わり、アンコールがかかっていた。アンコールがもしあればと予定していた曲は、本編に入れていなかった「歩く日々ソング」。予定通り俺は「歩く日々ソングで行くよ」とメンバーに伝え、PAの松本さんと照明のアニーさんにもそれは伝わった。だがしかし、楽しくなっちゃった俺は「歩く日々ソング」だけじゃ物足りず、急遽もう1曲増やした。終わった後みんな楽しそうだった。照明のアニーさんだけは楽屋に戻ってきて開口一番に「シンゴこの野郎ー!!」だった面白かった。

サリバンのボーカルのレオが終演後俺に言ってくれたことは、本当か嘘かはわからないけど、握ったその手のひらには確かなものを感じた。俺の気持ちも、あいつに伝わっていたら良いなと思った。サリバンもこれから全国ツアー、いってらっしゃい。



そして先日、10月2日、このツアーは2本目福岡Queblick公演を迎えた。
すっかり涼しくなった札幌の朝を飛び出して、いつもの快速エアポートで新千歳空港へ。飛行機の中で、いろんなことを思い返し、思い出し、閉じ込めた。福岡空港の滑走路に、いつもと違う航路で着陸した。
この日のゲストは、nape'sというバンド。初めての対バン。どうしてnape'sをお誘いしたかというと、ボーカルの晴久という男と7年前にとあるストーリーがあったから。その点が、線になったのが7年後のこの日だった。詳しいことは一つ前の投稿に。さらに詳しいことは、2014年12月5日の投稿に。

Queblickについてエガッチョさんやきゃさりんさんを始めみなさんに挨拶し、リハーサルが始まって、程なくしてネイプスのみんながやってきた。どうやらネイプス自身もQueblickでライブをするのは初めてらしかった。つまり、この会場の中で顔を合わせたことがあるのは、俺と晴久だけということだ。しかも俺と晴久でさえ、7年ぶりの再会だ。最高すぎる。
俺たちのリハが終わった頃、ずっとそれを見ていたネイプスのメンバーが拍手をした。何の拍手だ、可愛いな。

楽屋でネイプスのメンバーとずっと話をしていた。晴久だけじゃなく、他のみんなも最高な奴らだった。話が尽きなかった。どうやら、ベースのデカが晴久に声をかけてネイプスは始まったらしい。晴久よかったな。デカが「良い歌歌うなあと思って声かけました」って言った時、晴久嬉しそうだったな。ちなみにデカは、「けいじ」という名前らしい。うちの駿とポルノにあだ名をつけられていた。(けいじ→刑事→デカの流れらしい。しかもデカの名前の漢字は刑事じゃないらしい)


ネイプスのライブ。完璧だった。最後の曲が始まるまでフロアで見た。4人の音が、じわーーって染みていった。きゃさりんさんのスーパー照明がネイプスにハマりまくっていた。

あの7年前の日、俺の目の前に現れた高校生の晴久。
ギターを始めたばかりで、たかが600円のギターの弦を買うこともドキドキしただろう。それでも、その弦を返品してまで俺の360円の「歩く日々ソング」を買ってくれた晴久。
こうして出会った友達と、自分たちだけの最高な音楽をやってる晴久を見てると、まじで歩く日々ソングって感じだった。

ネイプスのライブを見て確信した。
こういう日は絶対に、絶対に絶対に一生忘れられないようなライブになると。
今までもずっとそうだった。

この日売れていたチケットは、25枚くらいだった。
結成10年、いつまで経っても何年経っても増えない動員数。数だけ見ればそりゃ悔しいが、それでも相も変わらずライブハウスを押さえ続けるのは、音を止めれないのは、こんな夜を知ってしまったからだ。

フロアに集まった20人、マスク越しでも、全員ちゃんとその口元がわかる。笑ってるのがわかる。声に出せずとも、口の動きがわかる。自惚れじゃなく、きっと全員、俺と同じ気持ちだった。全然言葉にできなかった。「今日はやばいです」というあほなMCばっかしていた。曲中もずっと「今日やばい」と叫んでいた。3人が笑っていた。お客さんも笑っていた。あがる拳、必死の足踏み、聞こえてくる拍手と、その向こうにnape'sのみんなが見えた。

本編が終わり楽屋に戻り、聴こえる手拍子に、胸がいっぱいでもう、やれる曲がなかった。
「話してくる」とメンバーに言って一人でステージに上がり、「もうやれる曲がありません」とみんなに伝えた。最後の言葉をいうときにいきなり涙がこみ上げてきて、思わずこぼれそうになったけど余裕、晴久の前で涙は見せないと決めている。
お客さんがみんな、うんうんと頷いていた。笑ってくれていた。こんな気持ちは初めてだった。

ネイプスのみんなと会場を出て、セブンのところで別れた。じゃーな。




その街の空気を吸っているバンドに声をかけ、その日をともにしようと決めたこのツアー。
仲がいいとか、相性がいいとか、動員がどうとか、そういうことじゃなく、全部俺が決めた。

次の公演は16日、広島。予定していたBACK BEATは閉店し、VANQISHに変更になった。会場はでかくなったけど、チケットはこの日もなかなか動いていない。まだまだ、俺たちは本当にまだまだだ。燃えている。このツアーを、その場に居合わせた人全員が一生自慢できるものにするのだ。対バンはアスノポラリス、いまだ会ったこともないけど、聴けるやつは全部聴いてオファーさせてもらった。俺も同じ気持ちなんだって思う歌詞があったんだ。

俺には俺の広島の思い出があるように、アスノポラリスにはアスノポラリスの広島があるんだろう。それを感じに行く。話したいことがたくさんある。

俺を掬ってくれた恩人の故郷。
自分の曲を通して出会った大切な学校もある。


前はステージで大泣きした。肩車してくれたおじさん、元気にしてっかな。

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