39分18秒の夏
2000年、小学校6年生の頃。クラスメイト達と「バンドやってみよう」という話になった。千葉ちゃんがギター弾けたし、山家がドラム持ってたから。「何からやる?」「わかんないけど、ラルクやってみよう」「そうだね、ラルクやろう」ってなった。俺は、楽器買ってもらえなさそうだったし、ボーカルになった。 「ライブもやってみよう」となって、先生に相談して卒業式の少し前に学校の視聴覚室を使わせてもらって、開催した。「HONEY」と「STAY AWAY」の2曲。バンド名は「RAMPAGE」にした。健太の家にあった英和辞書を使って、見つけた単語だった。 あれが、人生で初めてしたライブだった。 それから2003年10月の中3の頃の文化祭、2007年3月の高校生活の最後に、1回ずつライブをした。高校を卒業するまでに経験したライブは3回、いずれも出演者として。 俺は、ライブを「見に行く」という体験だけは、当時できなかった。 高校を卒業し2007年3月の終わり、最後に自分の部屋にあった安いラジカセに、SUPER BUTTER DOGの「サヨナラCOLOR」のシングルをセットして1回聴いて家を出て、地元を離れ札幌で一人暮らしを始めた。 新たに始まった札幌での生活は、刺激的だった。 出会った友人達は、みんな音楽に詳しくて、みんな「ライブ経験者」だった。「いついつの、どこどこの、誰々のライブが」と色んな話を聞かせてくれた。その度に、「いいな、俺の地元にはそういうのなかったから。羨ましいな。」と、いつも思うことは同じだった。でも、みんなの話は楽しかったし、俺も早く「ライブを見に行ってみたいな」と思った。 その年の8月、「みんなでライジング行こう」という話になった。すぐにみんな「最高!行こう!」となった。カズトがそういうの詳しかったから色々教えてくれた。心臓がバクバクした。 カイトが当時市電通りに住んでて、近くのローソンまでみんなで行って、14,000円の通し券を買った。買い方がわからなかったから、カズトに教えてもらいながら。手が震えた。 金魚の糞みたいに、みんなにくっついて、色んなライブを見た。 それまでイヤホンの向こうにしかいなかったのに、雑誌の中にしかいなかったのに、ビデオの中にしかいなかったのに、歌詞を書き写したノートの中にしかいなかったのに、みんな俺の目の前で演奏していた。ここからだとこんな風に