どんな絵を描いていくのだろう

なかなかどうして、うまく眠れない。眠れないというか、「今寝れたい」というときに寝れないみたいな。朝方、カーテンの向こうがうっすらと青白くなってきてるのを感じて、「もうか」なんて思う。猫は俺の体に完全に身を委ね、頭から爪先まで伸びるだけ伸びた態勢で爆睡。重いし暑い。かわいい。その寝方、本当に寝やすいの?と聞いても、ゴロニャアとしか言わない。かわいい。俺はビジネスホテルがめちゃくちゃ好きで、一番寝れる。自分のものがなんにもないところが、逆にいいんだろうな。


アスファルトが白く覆われてきた。汽車も遅延し始めてきた。
全国ツアーが終わり、札幌に戻ってきて、それと同時にこの街にもしっかり冬が戻ってきたらしい。




6月に最高傑作「ユアキャンバス」発売。そこから「YOUR CANVAS TOUR 2022」がスタート。5ヶ月半の間、何度もこのアルバムに背中を押された。
6月19日、初日千葉LOOK。名物のデカポスター。ちょっとした諸事情があり、初日はアー写メインのデカポスター、2本目福岡公演以降はツアービジュアルのデカポスターも加えられ、デカポスター2つを千葉LOOKから受け取りツアーに回った。千葉LOOKの過去の歴史にもこんなことはないらしいし、おそらくこれが最初で最後だろうと言っていた。数々のロックバンドたちの歴史を、ボイガルが塗り替えた。時速36kmと共に、「この旅は終わらないのさ」と歌いながら、終わりに向かって走り出した。


汗っかきの俺には、5月から9月までの本州は夏である。7月9日、福岡Queblick、無論だらだら汗垂らしながら会場へ。もう何年もずっと気にしてくれていて、バンドがどうなってもいつも笑わせてくれる。遠く離れた街で、年に数回しか顔を合わせなくとも、紐がほどけるたびに結び直してきた。もしもいつかボイガルが、Queblickをソールドさせたら、首藤さんやキャサリンさんは何て言うだろうか。きっと、「調子に乗るなよ」って言葉の次に、ビール飲ませてくれる。そうに決まってる。化学反応を信じた最初の夜、初対バンのLONGMAN、思い出せばさみしくなる。この日の最後は、ボイガルの曲でもLONGMANの曲でもなく、10-FEETの曲をヒライくんと歌って終わった。ヒライくんが「10-FEETがルーツ」と話してくれたから。ステージ袖にはメンバー。フロアには何を見せられてんだって笑いながらお客さん。さわちゃんが動画を撮ってくれていた。一体誰の、なんのツアーなんだろうか。でもそこには、俺らが好きになった音楽ってやつの最初の形があったようにも思うよ。


8月19日、ここの話は前の投稿でも書いたけど、広島SIX ONE Live STARという場所。できてまだ新しいライブハウスではあるけれど、気持ち的には「ようやく来れた」という気持ちだった。何も変わらずに、何も変えずに、じっと、ずっと、そこに居続けることはなかなか難しい。生きていれば、もうここには居られないってこともあるし、ここじゃないどこかでの日々にきっと新しいページが待ってるはずだと信じるしかない時もあると思う。乗り越えたのか、飛び越えたのかはわからないけど、閉店したBACK BEATから店長の藤堂さんたちが作り上げた新しい場所。まだ新しい匂いがして、赤くてかっこよかった。燃えるように熱く、夕暮れのように恍惚と、そんな夜だった。広島で見たことないくらいのお客さん。蓋を開ければ結局いつもあいつらにはおんぶに抱っこだな。出会って6年くらいになるだろうか、思い出してみれば少しは大人になっただろうか。ハルカミライがいなければ、俺は簡単にバンドなんかやめていただろうなと心から思うよ。「古臭いけど、あの人はそういう人だ」って言葉が、忘れられないよ。


翌日神戸に移動し、太陽と虎。ここの話も前の投稿に書いているけれど、今でも強く刻まれている一日だった。広島から神戸への車中、頭の中に流れる歌にいつかの自分を思い出していた。音楽に力をもらったことや、バンドを始めた時のこと、初めてラジオのレギュラーを持った時のこと。挫折にも似た感情でひとり歩いた帰り道のチカホのこと。その時にイヤホンから流れた、ヒグチアイの音楽のこと。ここがひとつ、キーになる夜だと確信していた。5年前、たった2分程度の会話しかしたことのない俺たちだったけど、ましてや対バンなんてしたことなかったけど、オファーを受けてくれたアイちゃん。鍵盤一つで、電車の音がガタンゴトン響くタイトラのステージで、たったひとり歌っていたアイちゃん。ロックバンドではないかもしれないけれど、ロックバンドロックバンド言ってるバンドよりも、誰よりもロックンロールだった。来てくれた人にはきっと伝わったと思っている。俺は、ああいう夜がやっぱり好きだし、ああいう夜を知っているからこそ、いまだに初めての気持ちを信じている。


ユアキャンバスツアーはようやく北海道へ。少しずつくたくたになってきたデカポスター、北海道のバンドが北海道に持ってきた。線路の向こうに陽が沈んでいって、屋号を見つけるたびにはしゃいでいた。9月10日、会場はここもまた本当にようやく、函館ARARAという最高なライブハウス。2019年11月、苫小牧ELLCUBEが2号店を函館につくると動き出して、ARARAがオープン。店長は、かとぺさん。11月にこけら落とし月間で弾き語りで歌わせてもらった。その後、すぐにコロナ禍。うちの予定していたワンマンツアーや、誘われていたイベントも中止になり、結局ずっとボイガルとしてARARAにお邪魔することはなかった。経て、ようやくこの時が来た。かとペさんは、ずっと、「嬉しいよ俺。めちゃくちゃ嬉しい。ほんとに楽しみにしてたんだよ今日」と、ずーっと喋っている。いろんな話をしてくれた。こんな、少年みたいに音楽が好きで、ライブハウスが好きで、そこにくるバンドやお客さんが好きな人がやってる場所に、KALMAと一緒に来れたのはとても意味があったように思う。いつも近くにいるあいつらだけど、やっぱりライブハウスでしかできない話がある。結局俺たちは、音楽がなきゃ出会えなかったんだ。


一週間空けて、9月17日仙台に飛んだ。そういえばこの前日に、札幌のスタジオで俺は三角とポルノに「ボーイ」を聴かせた。それすら遠い昔のことのように感じるな。仙台はenn 2nd、先週に続きKALMAとの夜。札幌のバンド2組が、遠い街でツーマンだなんて、生意気でめんどくさくて厄介で、悪いことしてるみたいだった。ここにもたくさんのお客さん、嬉しかったな。2ndのフロアの隅にあるロッカーには、いまだに俺しか登った人はいないらしい。3年前に来た時、あれはマイヘアとのツーマンだった。ロッカーに登る俺を、ともがフロアから「シンゴさん何してんの」って顔で笑ってた。あれから3年、俺も大人になった、はずなんだけど。今度はゆづきが「シンゴさんほんと何なんですか」という顔で、同じステージ上で俺の横で笑っていた。だらだら喋って、何回も止めて、歌い出して、また止めて、また歌い出して。笑いすぎて涙が出そうだった。終わって打ち上げは無し、みんなでマックまで歩いて、買って、街灯のない近くの公園で携帯のライトつけて食べて、解散した。結局俺たちは、音楽があった方が遊べるんだ。


どんどん涼しくなっていくのを肌で感じていた。気を抜いたらくしゃみで全部吹き飛んでいきそうだった。10月8日、我が地元中標津、会場の名前はTicoTico、町からは車じゃなきゃ行けないような山奥にある。ユアキャンバスツアー、初めてのワンマン公演。札幌から車で6時間。ティコティコには、特にステージもない。マスターが亡くなってからはママが立つけど、イベントもめっきり減って、今では月に数本。イベントのない日はお店は開けてないと言っていた。この日はみんなで作った。会場の中も、機材をどうしようかも、ママは「好きなようにしていいからね」と。朝イチで札幌を出て腹ペコだった俺たちに、ママはスタッフ含む全員分、お昼ご飯を作ってくれた。ミートソースと、カレーライスだったかな。俺はミートソース。死んだマスターの話、昔はこんなことがあった話、今ではこうでっていう話。飾られていた写真の方達の話。俺は今夜ここでどんなふうに歌おうかって、きっとママの話を聞けなかったら定まらないままだったかもしれないなと、今は思う。激動の2時間、俺の生まれ育った町に、みんながいることが嬉しかったし、何より、お店いっぱいになるくらいのお客さんが目の前にいて、本当に嬉しかった。


翌朝10月9日、中標津を出発して車で1時間半、釧路SILVER MACHINE、目の前に海、止まる漁船。潮の匂いと、あとは、道東の風。選んだのはジュウ、初共演だけどずっとどこかで意識していた。そして俺は知っていた、釧路出身のタカナミってやつを。セッチューフリーの千葉さんや、りょーめーとか、近しいところでいつもかすっていて、俺の頭の中に節目で顔を出してきていた。ユアキャンバスツアー、どんな色でどんな絵を描けるか、そんなのわからないからこそ、わかってることだけは絶対に逃しちゃいけないと思っていた。だったら釧路は、ジュウ。それしか俺にはわからない。これでダメなら、ワンマンでもいいさ。それくらいの気持ち。そして受けてくれたジュウ、気持ちのいい奴らで、音楽にはちゃんと向き合っていたいという姿勢がかっこよかった。ジュウは、というか、りょうは、釧路の霧みたいに少し霞んでいて向こう側が見えづらい奴だった。そしてあいつ自身も、その霧の中にいて、見えづらい向こう側を何とか目を凝らしながら進んでいるような、そんな奴だった。「俺は、自信持ってやれるのがこれだと思った」って二人で外で話してる時にりょうは言っていて、呼んでよかったなと心底思った。お互いの音楽とステージを全部出して、潔く終わった夜。この辺りで漠然と、札幌ワンマンのチケットの売れ行きを気にし始めた。


対バンシリーズ最後の夜は、10月15日名古屋RAD HALL、久しぶりの場所だった。ここまでの対バン、もれなく怪物たちで、心も身体も最後の最後まで出し切る日が続いていた。最後の最後に待っていたのはビレッジマンズストア。できればやりたくない。できれば、対バンしたくない。あのバンドにはいつもそう思っている。じゃあ呼ぶなよ、って話でもない。対バンできるなら、したいのだ。そして、したくないのだ。でもしたいのだ。何なんだほんとに。ふざけるな。ベースのジャックさんが、この公演の2週間後くらいに脱退することが割と公演間近で発表された。だからどうした、俺たちには俺たちのやり方がある、いくぞボーイズアンドガールズ。そう意気込んでいた。結果、俺やっぱり、ビレッジマンズストア大好きだった。ジャックさんのことも、みんなのことも。新曲「ボーイ」をこの日初披露。どうしてもやりたかった。ハッピーエンドかどうかは、本当に終わった時にすらわからないかもしれない。終わって、時間が経って、わかるものかもしれない。でも俺たちは、同じ言葉で歌った。馬鹿みたいに、たとえばあの真っ赤の夕暮れ空のように。次はないぜ。俺たちの約束はずっとノンフィクションじゃなきゃダメだよ。


11月12日、高松MONSTER、さてここからワンマンシリーズ4本。当初予定していた会場はTOONICEだったけど、色々あって、信じられないくらい大きなMONSTERに変更。広々使って、好きなように踊ろう。なるべく不細工な踊り、なるべく不恰好な踊り。気持ちのいい空気、横断歩道の向こうに「シンゴさ〜ん」と手を振るTOONICEの店長井川さんがいて、笑っちゃった。わざわざ差し入れ持ってきてくれた。「なんかおしゃれな、甘いやつです〜」と。何それ。嬉しかった。初めての高松ワンマン、ここまでくるのに長かったような気もするけど、本当にやれてよかったしめちゃくちゃみんないい顔していたし、まだまだここからいくらでもページ増えるぞと思えた。終わった後、店長のケンタロックさんがくれた言葉も嬉しかった。なんとなく気になって、「ここって、元々何だったんですか?」と聞くと、元はゲームセンターだったと教えてくれた。四角いタイル模様の床は、その名残らしい。ライブハウスにするときに色々改装していく中で、この床はゲームセンターのまま残したと言っていた。そんなの聞いたらまた遊びに来たくなる。まずはTOONICE、売り切れるようにならないと。


11月13日、大阪にある音楽系の専門学校ESPエンタテインメント、校内にあるCLUB GARDENと名のついたホールで。話せば長くなるけれど、大阪ワンマンの会場をここにした理由はただ一つ、思い返せばここにまだ俺たちは何も返せていない。それだけだった。毎年2月、この学校の卒業制作イベントである「DIPLOMA CIRCUIT」というサーキットイベントにお世話になっている。俺にとって、ボイガルにとって、本当に大切なイベントだ。このイベントの会場の一つになっているCLUB GARDENに、強い憧れを持っていた。やってみないとわからないから、やってみた。当日、裏方の勉強をしている在校生が3人、受付など手伝ってくれた。楽屋など、細かいところまで気を配ってくれていた。そりゃライブハウスとは違うから、バーカウンターも、お酒もない。学校だから。でもここから、ライブハウスや音楽業界に飛び込んでいく人がいること、そういうの忘れたくない。「また2月、よろしくね」と会場を後にした。物語は続く。2月、入場無料のDIPLOMA CIRCUIT 2023に出演決まりました、大集合お願いします。


セミファイナル、11月19日、札幌PENNY LANE 24でワンマン。毎週送られて来るチケットの売れ行き数、結局札幌だけずっとなかなか動かなかった。だからこそ来てくれた方を、骨が折れちゃくらい抱きしめようって、そんな気持ちだった。お客さんはもちろん、メンバーやスタッフのみんなやウエスのみんなに、満員のペニーレーンを見せたかった。「ボイガル全然まだまだいけます。むしろ今です」ってところを、満員のペニーレーンでわかりやすく見せたかった。だから前日まで、悔しかった。MCで話したことがすべて。で、ここまでは俺個人の話で、当日、それはもう最高なライブができた。あれが良くなかったら何がいいって言うんだってくらい。終わった後、みんな「ほんとによかった」って言ってくれた。へへへ。ペニーレーンのボイガルやっぱほんとにめっちゃいい。野暮なこと考えてた自分が一番情けないよ、いつでもボイガルはちゃんと今を鳴らしてこれてるんだから、それでよかったんだ。気づかせてくれてありがとう、来てくれた方のおかげです。


そして、11月25日、恵比寿LIQUIDROOMでのワンマンでこのツアーは終了した。
リキッドもソールドアウトはしなかったけど、札幌よりもたくさんのお客さん。リハの時はあまり思わなかったけど、お客さんがいるフロアを見て、でけー!となった。
ぐちゃぐちゃで、ベチャベチャで、ボロボロで、バタバタで、ガチャガチャで、余裕なんてなくて、でもめちゃくちゃ最高で、今のボイガルのいいところ全部出たと思っている。ユアキャンバスというアルバムができたこと、本当に誇りに思っている。







各地の対バン、会場、いろいろと手伝ってくれた各地イベンターさん、お客さん、ありがとうございます。一緒に鳴らしてくれているメンバーたち、そしてそんなメンバーたちを行って来いと送り出してくれている各バンドの皆さん、本当にありがとうございます。

我がレーベル・THE BONSAI RECORDSをはじめスタッフチームのみんな、本当に本当にありがとう。




photo はな


全部が終わって、お客さんのあったかい拍手を背中に感じながら一人でリキッドルームのステージを降りたとき、マネージャーが舞台袖で一人で俺を待っていた。俺は特に何も言わず、あいつは「よし」とひとこと言って、汗でベチャベチャな俺の背中をぽんぽんと叩きながら、俺を外まで送り出してくれた。その時なんかわかんないけど、泣きそうになった。あと多分そのあとすぐ思いっきり手洗ってた、泣きそうになった。



こんなとこで終われない、今はまだ遠いストーリー。

続くパレード。





コメント

  1. 私にとってはじめてのボイガルのライブでした。上手く言えませんが、シンゴさん達の作る空気や音楽があったかくて、笑えて泣けて本当に良い夜でした。また高松来てください!

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    1. 返すのが遅くなってしまいました。高松、みてくれたのですね、あの日は本当に最高でした。また必ず!

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