投稿

11月, 2015の投稿を表示しています

誰かに涙をなんて言われても

28日の打ち上げの帰りに、ワールドピースのTAKAさんとお店の出口付近で少し話した時に、「だけど、そうならなかったんだ」ってTAKAさんが俺に言った。深すぎて重すぎて俺は、はいしか言えず。同じ北海道にこうして最高なバンドがいるのが嬉しい。俺も頑張らないとって思った。 最終少女ひかさ、NOT WONK、THE WORLD PEACE、B.B.JUNKIE。セッチューフリーはすんげえな。そこにLINKだもん。そこに混ざれて、嬉しかったなあ。 LINKに思い出ありすぎて、14年かかってようやくライブ見れて、そしたら自分も出る側で、でもそんなのLINK始まる時頭からなくて、ただただLINKのライブが観れるのが嬉しかった。本当に嬉しかった。かっこよかった。ヒーローだった。なんくんから引き継いだ4畳半の部屋で、同じ曲ずっと聴いてた日々が、色濃く浮かびあがった。 んで、この日一番嬉しかったことがあった。 LINKのライブ中、俺は前の方にいてめっちゃ歌ったりワーってなったりしてたんだけど、同じように歌ったりワーってなってるお兄さんがいて。その人は俺の路上とかライブとか来てくれてて。あ、この人もLINK好きなんだ!って思った。昔の曲とか来たらこっち向いて「きたー!」みたいな感じでハイタッチとかしてきて(笑)最高だーって思った。めっちゃ歌ってた。 終わったあとにその人が、「最高の日だったねシンゴくん」と話しかけてきてくれて、「ほんとですね。ていうかLINK好きなんですね、昔の曲もめっちゃ知ってましてもんね!」と言ったら、「いや、割と最近知ったんだ」とのこと。「シンゴくんが路上でLINKの曲を歌ってるのを聴いて、LINK知って、好きになったんだ。CDめっちゃ集めたんだ。」って教えてくれた。 その人は俺に「教えてくれてありがとう」って何度もいってきて、何度も握手をしてきた。汗だくでキラキラな顔で。嬉しくて涙出そうになった。 路上、俺がただやりたいだけでいつもやってるし、俺こんな歌好きだからみんなに知ってほしい!とかでもない。だから全然歌わないで喋りすぎるときもあるし、いっつも同じ歌だったりする。だけどそれでもこうやって、出会う時は出会う。今まであんま考えが追いついてなかったけど、誰かが新しい音楽を好きになる入り口への道標になっているんだなって思うと、胸がじんとした。それが毎回じゃなくても、

僕とLINK

中学生の頃、ストリートロックファイルという雑誌を買った。CDがついてた。そこで俺はLINKを知った。中標津にはLINKのCDが置いてなかった。 なので、俺はLINKを知って高校卒業するまでの5年間くらいLINKのCDは1曲しか自分で持っていなかった。でもなんでだっけ、ゴールドフィールドと愛の花は知っていた。3曲。 札幌に出てきて、りゅうたという奴と友達になった。りゅうたは俺に「ブルーハーツで何が好き?」と聞いてきて、俺は「夕暮れ」と答えた。すると、「バンドやろう」と言ってきた。 冬の日、西20丁目のファミリーマートの裏にあったりゅうたの家に行った。スーパードライの500mlをおごってくれて、ストーブのつかない極寒のりゅうたの部屋で俺たちは乾杯した。 りゅうたは、当時札幌で活動していたジェットサンダースの「夜はまだ始まったばかり」の着うたを設定していた。俺はそこでジェットを知った。 りゅうたの部屋に、たくさんCDやDVDがあった。そこに、LINKもあった。今まで俺が本の中でとかしか見たことなかったLINKのCDをりゅうたは全部持っていた。りゅうたは全部聴かせてくれた。 かっこよすぎて、どうしたらいいかわからなかった。 りゅうたがある日、「シンゴ、ライブハウスに行こう。シンゴの人生今日で変わるよ」と、俺をライブハウスに誘った。カウンターアクションというライブハウスだった。生まれて初めてライブハウスに入った。怖かった。暗かった。タバコの煙がすごかった。そこで最後に出てきたバンドが、りゅうたが着うたに設定していたバンドだった。俺は身動きがとれなくなった。その日、どうやって帰ったかはわからない。 とにかく、俺はパンクの、ロックの、札幌のバンドの、虜になった。りゅうたとバンド始めた。 りゅうたとのバンドは長くは続けれなかった。時は流れ、やがてりゅうたは東京のライブハウスで働くようになった。俺はボイガルを始めた。下北沢屋根裏に初めてライブをしに行った日、そこでPAをしていたのが、りゅうただった。久しぶりの再会は、涙と雨でぐしゃぐしゃだった。 LINKは解散していた。結局1回も見ることができず。ふざけんなと思ったけど、まあいいやと思っていた。するとLINKは復活した。2010年セッチューフリーサマーフェスタという川崎クラブチッタでのイベントで復活した。俺は見に行けなかった。パン工場

札幌が好き

東京も寒かった。ギリギリの寒さだった。雪のある北海道に向けて713便、祈りまくって、無事北海道着。 新千歳空港から札幌駅へむかう快速エアポートの中です。 快速エアポートの中でブログをこうやってポツリポツリ打つのは、一体何回目なんだろうなあ。 23日の下北沢にての日、羽田から下北沢へ直行して12時について諸々受付などしてから会場入り。13時から転換だったから少しドタバタした。気持ちが追いつくか少し不安だったけど、お客さん何人かに声をかけられて、やるっきゃないってハッとした。力を貰うのはいつも俺だ。新曲「階段に座って」を演奏してる時、マイヘアのともが腕をあげてるのを見つけた。目立っていた。セブンティーンアゲインは、ヒーローだった。 ラブ人間はどんな思いでいたんだろう。 札幌に帰りたい、札幌のバンドたちや札幌の仲間たち、札幌の街に会いたいと強く思った。あの街でまだ頑張りたいと強く思った。 24日に小谷美紗子さんのワンマンを見に行ってきた。御茶ノ水にあるフクモリというところ。普段は雑貨などが売っているようなおしゃれなところ、秘密基地のようなとこだった。中学の頃から大好きだったが、初めて生で観れた。めっちゃ疲れた。あんなにピアノ弾き語りで疲れたの初めてだった。 「今日来た人は、小谷マニアの皆さんね」と言っていて、会場は微笑みに包まれた。 一番大好きな曲、聴けるかなあと思っていたら、アンコールでやった。アンコールはその1曲だった。ほんの少しだけ涙が出たけど、とても穏やかな気持ちになって身体中をその曲が流れていった。信じることから始めないとって改めて思った。 帰り道、風が冷たかった。 んで、昨日は下北沢ライブホリックという新しいライブハウスでライブ。話したいことはMCで話した。とにかく俺はあのビルには思い入れがあって、思い出もあって、雨なんか降られたらそりゃあ色濃く鮮明に浮かび上がる。好きなバンドのライブ、好きな時に、行けるタイミングで、行くのがいい。一人だって、友達とだっていい。決めるのは自分。誰のせいにもできない。勇気を出して進めた足を、思いを、涙を、震える手を、小さな傘を、俺は絶対無駄にしたくないし音楽で何か力になれるのなら一生懸命音楽をしたいって思えたのだ。それは、あの日の下北沢屋根裏、雨の下北沢の夜のこと。 屋根裏はなくなっちゃったけど、同じビルにできたライブホリックで

僕とフラワーカンパニーズ

この歳になってもまだ、嘘と強がりばかり並べて本当に言いたかったこと素直に言えない時がある。あんなケンカ腰じゃなく、あんな生意気な口調じゃなく、あんな独りよがりな文字じゃなく、本当はもっと素直に伝えたかったはずなのにって思う時がある。 昨夜も俺は多分、そうだった。 考えれば考えるほど、目の前を見れば見るほど、今ならうまく話せそうだって思えば思うほど、口から出てくる言葉は行ったり来たりの冗談と、フラフラの強がりだった。「俺、本当にフラカンが大好きで大好きで、本当に今日が嬉しくて、今までずーっと大好きで」って、それだけで良かったはずだった。ありがとう、ありがとう、ありがとうって何百回も思った。その都度ありがとう、ありがとう、ありがとうって何百回も言えばよかった。 素直じゃないなあ…(笑) でも、本当に嬉しかったし、落ち着いていた。お客さんの顔を見てると、俺は頑張れると思った。MCなんて、ほんとに一言二言でいけると思ってたけど無理だった。全然喋ってないなあって思っていたら、喋りすぎていたみたいだった。 手のひらを合わせてをやる前、拍手がずっと鳴ってて、頭あげれなかった。 嬉しかった。 2階席で見た ロックバンドの本物に、涙が止まらなくて、何で涙が出てくるのかもわからなくて、でも止まらなくて、ただただ泣きながら踊ったり腕を上げたりした。俺の大好きなフラワーカンパニーズが、俺がさっきまでいたステージでライブしてた。俺たちの話をしてた。 だけど不思議なもんで、 ああ、もうすぐ終わっちゃうなあ、今日。 よりも、 ああ、早く終わらないかなあ、今日。 って、そんな思いの方が強かった。 早く終わって次の場所へ行かないと。俺たちは行かないと、って。 みんなが終演後書いてくれたフラカンの武道館応援コメント、最初は「ありがとうございます」ってめっちゃ思ってたけど、なんか段々悔しくなってきて(笑)、「俺も武道館でやりたい」と子供みたいなことを思った。どこまでも素直になれない自分にもうお手上げ…。 はあ。(笑) 5年前、フラカンと初めて飲んだお店。 昨夜の打ち上げはそこだった。 酔っ払わないように泣かないように、昨日はずっとジンジャーエール飲んでた。 あの日からずっと、ほんとにずっと俺たちのこと気にかけてくれている人がいて、その人の粋な計らいだろう、きっと。 彼に、この先大きくなっていく俺を見せた

僕のフラワーカンパニーズ

イメージ
高校生の頃、なんくんが「しん、これ。」とMDを1つ差し出してきて。いつものこと。ラベルにはアーティスト名とアルバム名がなんくんの字で。いつものこと。知らないバンドだった。それもいつものこと。「何だこいつら。知らねー」って思いながら1曲目を再生する俺。それもいつものこと。 「青春ごっこを今も続けながら旅の途中」 という歌い出し。それが、俺が、フラワーカンパニーズに出会った瞬間でした。それから、何年経ってるんだろうね、ずーっと今まで聴いてきた。ライブも見に行った。照明の仕事したくてコロニーでバイトしてた頃、ワンマンの照明もやった。でもそしたらバンドやりたくなった。照明じゃなくて、バンドやりたくなっちゃった。そんで前のバンドが解散して、トモヤさんとカイトと俺の3人でとりあえずスタジオに入り始めた2010年の冬の手前。俺も冬のにおいが好きだった。 5年前の自分のブログに、こんなことを俺は書き残している。まだケントボーイズと一緒に音すら出していないこの時期。THE BOYS&GIRLSがちゃんと正式に4人で動き出していないこの時期に、俺は誓っていた。向こうが俺たちを意識する日がきっといつか来るから、その時はツーマンをするんだと誓っていた。20年でそこまでいこうと思っていた。 あの日、ペニーレーンにフラカンのワンマン見に行ったあの日、雪が降っていた。その帰り道俺は、震える身体で必死に歩いて家に帰った。ついさっきのフラカンのことを思い出しながら、歌を思い出しながら、お客さんを思い出しながら。 明日の帰り道、俺は“あの日の帰り道の俺”に向かって言いたいことがある。これだけは絶対に、あの日の俺に伝えようって決めてることがある。 今決まってるのは、それだけ。 さて、セットリスト、考えるか。

そして

イメージ
ていうか1個前の投稿、こんなこと書いたら誰も俺と話したくなくなるよなあ。(笑) 全然思いやりないね〜 でも俺は絶対に逃げないし負けない。 誰がなんと言おうとも、誰が誰と居ようとも、誰がどこに去ろうとも、誰が来ても。

無意味

思いやりのある人が好きだなあと中学の時から思ってる。だから、思いやりのない人は嫌いだなあと中学の時から思ってる。そして、思いやりのあるというのは「怒らない」とか「きつく言わない」とかではないとも思ってる。 だからと言って何でもかんでも口に出せばいいわけではないけど、黙ってるのはもっとだめだ。時と場合によるけど。「時と場合による」って言葉の丸く収めよう感ずるい。 誰かに会ったとき、話すとき、この人は自分にとって今の場にとってどういう人だろうというのを瞬間的に考えるというところから、思いやりは始まるというのを中学の頃思った。今も思ってる。命はひとつ、性格も顔も声もみんな違う。だからと言って「人それぞれ」で色んなことを片付けるようにはなりたくないと思い始めた。 自分にされると苦手な話がある。なぜかその話になると、その場を離れたくなるような話。もうすっかり遠ざけるようになった。その話は、そこにいない人が一番悲しくなる話のことが多いから苦手だ。だから自分からすることも殆どない。 その話の中にいると、いつも思いやりがないなあって思う。そんな自分も思いやりがないじゃんとも思う。だからその話からは抜け出すようになった。 「自分にとってこの人はどういう人だろうというのを考える」というところに戻るけど、俺は誰かと話してる時たまに「この人にとって俺はそういう人なんだな」と思う時がある。いい意味での時もあれば、悪い意味での時もある。 思いやりのある人の話は聞いていて面白いし、心地よい。思いやりのない人の話はその逆。どんなに内容の濃い話でもそこに思いやりがないなら意味がない。それだったら、たとえば、思いやりのある人の「これください」というたった6文字でもその方がきっと数倍おもしろい。言葉がいったりきたりで結局同じところにたどり着くような話だったとしても、思いやりのある人の話は聞きたいと思う。 俺ももっともっと思いやりのある人になりたいなって、思うことがあった。 やわらかい心の持ち主にならないとなって、思った。 やる気なくなった奴はやめればいいと思う。別に悪いことではない、やる気がなくなっただけなんだし。そうもいかないことだってあるのはわかってるけど。 ただ、やる気なくなったことを誤魔化して、めんどくさいことはうまくかわして金魚の糞のようにやる気ある奴にくっついているのは、一番悪い。最悪だと思

ヤハタくん東京行くのか

ヤハタくんがバンド始めたころ、すぐCDをくれた。ダサくて下手でカッコいいみたいな表現があるけど、そういうのじゃなくて、普通にめっちゃいいCDだった。今でもたまに聴いたりする。一緒に路上したりした。梅子とかヤギとかがいて、コンビニで焼き鳥かなんか買ってきて食べながら。 モヨコも爆弾も東京へ行った。リョウさんは大阪へ行った。たいがくんも東京へ行った。めいちゃんも東京へ。さくも梅子もYURIさんも東京へ行った。 りゅーのツイートで知ったが、ヤハタくんも東京に行くのか。 数分後には空の上。 機内への案内の前から、「今日はマジで揺れます」とか、言うなよ。 俺も今から東京に行く。 そして、何度でも札幌に帰ってくる。

加湿器の音は雨の音

下書きが上書きされていく。 誰にも言えないまま。誰にも見られないまま。誰にも読まれないまま。 ずーっと下書きのまま。 どうするのが正解なのか間違いなのかわからない。気づけば理由を探してる。理由は探すもんじゃないはず。てことは、 もう、それが答えってこなのか? 下書きは上書きされて、ずーっと下書きのまま一生を終える。100万回言ったとしても、きっともう意味はないだろうって。

パワー

イメージ
1日 泊まってたホテルを出て、福岡天神へ向かった。電車の中であれやこれやと考えてはいたけど最終的に「ラーメン食べたいな」ってことに何度も行き着いちゃうから怖い街だ。 ライブハウス、CBってとこ。外にラブ人間のつねさんがいて挨拶して、そしたらまりなちゃん出れないってなってて。あらま、とにかく早く良くなってねって。中に入ると、ステージにはリハーサルのバンドがいて、ラブ人間の康平さんに聞くと「ココロオークションだよ」と言われた。はじめまして。 俺たちのリハも終わり、俺はこの日泊まるホテルへ一旦向かった。川で飛び跳ねてる魚がいて、ええ?!って思ったら、ボラだった。 オープン直前からスタートまでの30分くらいの時間で、康平さんと喫茶店へ行った。どこか行きたい店あるか?と聞かれて、あると答えてそこに行くと、「俺もよく来るところだ」と康平さんは嬉しそうだった。俺は初めて入ったけどとてもいいところだった。 はちみつホットレモンジンジャーみたいなやつを俺は頼んだ。 会場戻るとお客さんがたくさん。ユビキタスがめちゃめちゃかっこよくてムカついた。 久しぶりの福岡での夜はあっという間に過ぎた。本当にあっという間だった。打ち上げ、別会場でのイベントに出ていたバンド達との合流打ち上げになってて、誰も知らないし、隅っこで康平さんとユビキタスのヤスキーさんたちと飲んでた。気づいたらめっちゃ酔っ払ってた。ホテルまで10分くらいで着くところ、1時間近くかかってたっぽい。 この写真は、覚えていない。 2日 ホテルをチェックアウトして、前の日に行った喫茶店に一人で行った。アイスコーヒーを頼んだ。いいお店だ。サングラスをかけたおじさんが入ってきて、大きい声でシナロケの話をしていた。それからケントと合流して、午後のバスで広島に向かった。 広島について俺はタワレコへ直行。ラブ人間とココロオークションのインストアを見に。ラブの車で前の日の夜に一足先に広島入りしていたトモヤさんも歌ったらしい。結局タワレコにはみんないた。オーバーザドッグスはいなかったけど、次の日対バンのペロペロしてやりたいわズ。のボーカルのむかいだーちゃんもいた。初めまして。福岡から一緒のDJあるある君もいて。 それじゃ、また明日と別れた。 3日 ホテルでのんびりしてから会場へ向かった。2回目の広島。PAの方が素晴らしい方だった。あんな人がPAのラ

朝を探しに行ってくる

イメージ
わかんないけど、この先に待っている様々なことが少しでもうまくいきますようにって、めっちゃ思った。わかんないけど。 もしうまくいくことに少しでも繋がるなら、俺にできることはしたいって思った。でもきっと、できないことのほうが多いとも思った。 でも、できることもきっと多いとも思った。 福岡は、寒い。おやすみなさいな。