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歌うこと諦めない

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もう随分前のことだけど、ツイッターで突然「今度大学のサークルのライブでボイガルのコピーやります、見に来てください。」とDMがきたことがあった。僕は都合つけず見に行けなかった。というか全然知らない人だったし、名前も知らない人だったし、お前誰だという気持ちが強かった。 んじゃ、昨日のことを書きます。 昨日ライブが終わったあと、ジャージを着ていたひとりの男の子が声をかけてくれましてね。いくつ?と聞くと、どうやら、中学一年生とのこと。お母さんと来ていて。彼は僕よりも背が高かった(ちなみに僕が中学一年生の時は、137cmという驚異的な低さを誇っていたので全校生徒の中で身長が一番低かったです)。野球やってそうだから、野球やってるの?と聞くと、やはり野球やっていた。うむ、話が合いそうだ。 僕はセカンドやショートをやっていたよというと、彼は、「僕はキャッチャーをやっています」と教えてくれた。来春から本格的に動き出す僕の草野球チームの戦力になるかもしれない、覚えておこう。 ちなみに、その草野球チームは、去年の夏の終わりに僕と俊太郎ってやつで二人ではじめたんだけど、チーム名悩んでね、「内弁慶パラソルズ」か「垣根サンドイッチ」で。ツイッターでアンケートとったら、内弁慶の方が表が多くて。でもそうなったら垣根サンドイッチがすごい可愛く思えてきてしまって、でも結果は内弁慶だし・・はあ。まあいいや、この話は。 そう、その、きのう声かけてくれた彼の話だよ。 中学一年生がボイガルを知ってくれていて、こうやってライブハウスに来てくれるなんて、ものすごいことだと思ってね。ましてや野球部だったら、こんな、ライブハウスなんてね。で、僕は思い切って彼に、 「どうやってボイガルを知ったの?(あと、うちのチームで野球やらないか?)」 と、聞いてみたの。すると彼は、 「ボイガルのことが大好きな先生が教えてくれて、好きになりました。」 と、答えた。 先生?!めっちゃいい先生だ・・・と思った。ボイガルを好きなのがとかじゃなく、自分の好きな音楽を生徒に教えちゃうくらいの先生ってめっちゃ好きだ僕。(僕が中学の頃、北見先生もブルーハーツの話してて、なんかいいなあってすごい思っていたもん。) で、話を聞いていると、その先生はよくボイガルのライブに行ってたっていうもんだから、ん?となっ

雨上がりと卒業式

20日。 晴れていた北海道を出て京都に向かった。京都に着くなり、どしゃ降り。予定通り。僕はこの日の京都に関してはどうしても雨が降っていてほしかった。というか、絶対雨降るって思ってた。 ロック大臣ズ、ベランパレード、コケちゃんとイベントは続く。コケちゃんのライブを少し見て外に出てみると、雨は上がっていた。雨の匂いが残る、雨上がりの京都。ここまで全部予定通り。僕らの出番の時に雨は上がっているというところまで、全部予定通りだ。 あとは、やるだけだった。 僕らの出番は最後で、持ち時間は40分。ただただひたすら駆け抜けてあっという間に終わり、ダブルアンコールまでもらった。ワンマンじゃない日にダブルアンコールをもらったのは初めてだった。本番で7曲、アンコール1曲、ダブルアンコール1曲。 フロアのお客さんの顔、対バン達の顔、PA卓から飛び出して腕を上げてる店長のモグラさん、主催の2人の目、全部が僕の予定通りだった。ライブに台本はないし、予定調和な日なんて一度もないけど、でもなんていうか、僕の予定通りだったのだ。 ダウジングというイベント名がついていたこの夜は、僕らもそうだけどお客さんもきっと何かと何かが反応している瞬間を確かに感じたはず。要はマインドの話なんだな、ほんとに。 21日。 大阪で、ディプロマサーキット2016というイベント。開催初年度から出演している僕らは4年連続4回目の出演だ。音楽系の専門学校の卒業制作イベントとして始まったこのイベント、年々よくなっていってるというよりかは、毎年いい。そんな感じ。 この学校はアーティスト専攻もあれば、PA(音響)や照明の専攻もあって、映像などの専攻もある。このディプロマサーキットが2年間の集大成かどうかは僕にはわからないけど、ただ彼らはきっと、この先どうなるかなんてわかんないけど2年間同じとこで共に学んできた仲間たちと、最後に一番キツいことやって卒業式迎えようとしてたんだと思う。 2012年の秋ころ、大阪のライブによく来てくれていて当時ESPの2年生だったなっちゃんという子に誘われて僕らは【ディプロマサーキット2013】に出演した。そんなことやるのかと、僕は絶対出たいなと思って、出演が決まった。会場はミノヤホールだった。受付には、とみまつという1年生の女の子がいた。 2013年の秋ころ、2年生になったとみまつからディ

本気でバンドを始めた

ついさっき、スタジオ終わって帰る準備してたら、「シンゴさん!」とSスタから出てきた女の子が声をかけてきた。そのコは続けて「ライブが決まって、ボイガルの曲をやるんです!」と教えてくれた。嬉しかった。 「俺たちもその日ライブだから見に行けないけど、頑張ってね」と伝えた。 僕らは結成からずっとパワースレイブという練習スタジオを使ってる。古くて狭くてボロボロのパワスレ。ボイガルを始めたころ、まだパワスレが改装前で、今はSスタジオになってるところにBスタジオはあった。僕らはずっとそのBスタでやってた。今もだけど。ちなみに、当時札幌にいたJET THUNDERSという僕がすごい影響を受けた最高のバンドがいつもBスタで練習してたから、僕のワガママでずっとBスタでやってる。それだけの理由である。 ケントボーイズが入って4人になって、すぐそのBスタで「すべてはここから」を練習し始めた。初めて4人でできるようになった曲は、歌詞の完成も考えると、「すべてはここから」だ。その次がライラックかな。 そのパワスレの角にあったBスタから「すべてはここから」で始まったボイガル。 そしたら今日、あれから5年、当時の僕と同じようにその角のスタジオから出てきた高校1年生の女の子が「ボイガルをやります!」と僕に声をかけてきたのだ。 時代は変わるけど、スタジオの内装も変わるけど、僕は確かに当時の僕を覚えてた。というか、そのコが思い出させてくれた。今もちゃんと繋がっているんだと気付いた。 すべてはここから。 そのコの目は、前を向いていた。キラキラしていた。何を思っただろうか、あいつらは。 ギタリストを入れたくて、三人で「ゼロから」という無料配布のCDを作って、2週間で300枚くらい配ってた5年前。至る所のライブハウスの外で、毎日のようにひたすら配りまくった。 あの時の、スルーして帰ってくお客さん達に下唇噛みしめることしかできなかった気持ちも、頑張ってねとかありがとうとか何も言わずに貰ってくれた人たちへの涙が出るくらいの感謝の気持ちも、はっきり覚えてる。 さっき、スタジオ終わってトモヤさんと3丁目で別れて、僕は今日のスタジオで録っていたボイスメモを聞きながら喫茶店に向かってきて。1回だけ聴いて、イヤホンを外した。 お店についたら、新しい店員さんかな、見慣れない人がいる。 ア

27

12日の「寂寞の果て #2」も無事に終わって良かった。 久しぶりの、本当に久しぶりのライブ。めっちゃ緊張していて、でもそれよりも本当に楽しみだった。 一か月の間、僕はひとりで東京でワンマンをやったりしてまた新たな気持ちや景色を全身で感じて、それを持ち帰りメンバーとスタジオに入ったり、路上を何回もやったり、酔っ払って後輩の前でこれでもかとはしゃいでしまったり、でもそこでまた笑ったりして楽しくて嬉しくなったり、地元に帰ったり、気持ちはずっと止まらずにいた。 そして、毎日悔しかった。 でも、僕に「毎日悔しいという毎日」があることが、きっと誰かの力やきっかけや風や笑顔や声や、、、、色んなものに繋がるはずだと思ってひたすらギターもってスタジオのマイクに向かって叫んでいた。歌うことは諦めないし、長い長い夢の中でも、その夢が覚めたときこれっぽっちも時間は進んでいなくても、そこからまた這いつくばってでも精一杯で歌うし。気持ちは止まらないのだ。 で、待ちに待った寂寞。札幌の中心部から少し外れた円山地区。物静かな夜の果て、どしゃめしゃに、だけど穏やかに、爆音で、冷たくも優しく、最高な夜は盛大に終わった。 来てくれた人はありがとう。来月も精一杯過ごそう。 27歳。 思い出すことの多い一年になりますように。 今までのことも、これから訪れるただの一日の積み重ねも、過ぎてゆく季節も、雲の影も、この先の夢や目標も、ふとした表情や街の音も、色々な場面で色々なことを思い出すことの多い一年になりますように。 死ぬ予定はまだまだないです。ツイッターなどでおめでとうやらなんやら、本当にありがとうございますね。嬉しくないわけないので、とっても嬉しいですよ。 6代目赤コンブラザー君も今年も届いて。大体一年間で穴があいたり壊れたりする赤コン。早速6代目を履いて街に出てみたら、完全に無敵な気がした。20日の京都が6代目のデビュー。男はいつだって勝ちが好きだ。涙なんて御法度だ。楽しみだなあ、本当に。緊張している。 ライブってすごい、音楽ってすごいって心から思っている。これずっと思っているけど本当に毎日思っている。歌いたい。もっともっと歌いたい。きっかけでいい。僕たちのことはなんだっていいから、でもこの音楽で何かのきっかけになれたら、こんなに嬉しいことはない。

タイトルなんてなし

春みたいな一日だった。 だけど明日には寒さも戻って、雪も降って、道路は凍って滑って、事故が増えたり転ぶ人が増えたり交通機関が乱れたりするんだ。 誰かに、何から、何を、何まで、話していいのか話せばいいのか話せたらいいのかわかんない。 終点、札幌。ご乗車、本当にお疲れ様でした。 本当に、本当に、お疲れ様でした。

忘れないよ

昨日は札幌狸小路で路上を。7丁目でやってみようと思ったけどほとんどのお店が開いてたからやめて、3丁目でやってみた。僕は大体2丁目でやってきたけど3丁目でやってみた。実際どこでもいいというのが本音、というか、歌えて、来てくれた人が聴けるならいい。ただ、3丁目はなんか違ったな、僕は。なんて言えばいいかわからないけど、何か空気が2丁目と違った。でもとっても楽しかった。 僕はたくさん路上をやっているので、路上のときは路上の視野になっている。何度もやっていると不思議なもんで、写真を撮っている人もわかるし、動画を撮っている人もわかるし、写真でも動画でもないけど録音してる人ってのもわかる。これらの行為はこっそりやろうとすればするほど、目立つのだ。ただ、やめておくれと言ったところで、足を止めて聴いてくれてる人はみんながみんな僕のことを知ってる訳ではないので、言ってもきりがない。だからせめて僕のことを知っている人には、動画と録音はやらないでほしいなってだけである。ちなみに写真とか動画大好きだしめっちゃ映りたがりな僕です。写真くらいならばしばし撮ってくださいってくらい。 判断は僕次第である。とにかく自分は気をつけようって気持ちでいてくれたら嬉しいし、そうやって楽しんでほしい。 僕は去年の4月にメジャーリーガーになった。それでも相変わらず札幌に住んで、路上も何度も何度もやるのは僕なりに意味があって、それはこの街やこの街の友達やライバル、この街のお客さん達との関係性や絆に繋がるもので、それは色んな街や色んな街のお客さんや色んな物語に繋がっていくことである。 冬の風は冷たく吹きつけ、アスファルトに座ると体の芯まで冷えていく。それでも僕の季節である。これは僕の季節であり、この街で歌える喜びと希望の確かな冷たさなのです。 こんなこと言うとめんどくさい人だな〜って思われるだろうし、今まで何度か言ったりしてきてるからまたかよって思われるかもしれないけど、僕は言おう。思ったから。予約のこともそう、ツイッターでの予約をやめたのは、確かな関係で居たいと思ったから。ホームページがあるんだもん。みんな共通の。無敵にして素敵で、いたい。 僕の歌はもう僕だけの歌じゃなくなった。 ボスやレーベルやレコード会社、メンバーのものでもある。 僕の歌を好きと言ってくれる人のものでもあ