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9月, 2016の投稿を表示しています

すべてが終わったそのあとに

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23日寂寞の果て、24日闘う君の歌、2日間のライブが終わった。身体の至る所が痛くて今日は目が覚めた。 寂寞は、ようやくほんの少し、見えた気がした。そんな風に思わせてくれたのは来てくれた方のおかげだけれど。色んな街から来てくれた人、いつも来てくれる人、初めて来てくれた人、色んな人ありがとう。ワンマンじゃなく、かといってパーティーでもなく、「寂寞の果て」ということ。僕はたくさん考えている。それでも見えるものや掴めるものはいくつも無いし、ほんのわずか。だからこそ、楽しかったり今日があってよかったという気持ちになったりするのかな。もっと知りたい。もっと見たい。もっと知られたい。もっと見られたい。23日にまた一曲新しい歌を歌った。札幌という街に住んでる僕が札幌という街で出会った友達と組んだバンドで札幌という街で始めたこのイベントで歌うということに、大きな意味を感じていた。寂寞で歌い始めることができてよかったなあ。限定Tシャツも全部売れて、手刷りプリントは60人もの人がやってくれた。僕のDJは、楽しくはなかったとおもうけど、うまいこと時間つぶしになれていたら幸いです。この前の三日間撮影きてた東京在住フウコがこの2日間も来てくれていて、初めて札幌のボイガルを撮ってくれた。始まる前にフウコと「手刷りプリントしてくれた人で、撮ってくださいって人がもしいたらフウコのカメラで撮るってどう?」と思いつきで提案したら、「わー、いいですね、幾らでも撮ります」と応えてくれて。2.3人いればいいなあと思っていたら最終的に13人くらいいたみたいで。その方達も、ありがとう。僕らのライブを撮ってるフウコが僕らを撮ってるカメラで、世界に一つだけの手刷りプリントされたのを持ってるお客さんを撮るって、絶対最高に素敵なことだと思って。や〜嬉しかったなあ。こういうことは普段はできないことだから。年内、もう一度やれたらなとは思いつつ、どうなるかな。  昨日の闘う君の歌は、何から話せばいいかわからないし、何も言わなくてもいい気がするし、言いたいことや思ったことは全部ライブで出したから、来てくれた人がそれぞれで感じたものでいいなという気持ちです。見習うべきことや、力になること、嬉しかったことや、大切にしたいこと。僕にとってプラスになるようなことがそこら中に隠れていて必死にかき集めた、そんな夜だった。ステージは灼熱。

別れの秋

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今月に入ってまだ2回しかブログを投稿できずで。なかなかの激動の中で、激情が爆発しまくっていて、自分としてはかなり濃い九月。ブログ書かなきゃとかは思っていないから義務感は全然ないんだけど、残せるものは残したいし知ってもらいたいし、ツイッターやインスタグラムではなく、近くに来たからふらっと寄ろうかな的な場所の一つがこのブログのような気もするから、書けるときに書いて、誰かさんにも通りかかってほしいなと思っています。明日の寂寞に思い切り飛び込めるように、つい最近の出来事をさらりと残して今日はぐっすり眠りたいのだ今日は。 15日、新千歳空港は淡く、東京入り。夜は吉祥寺で路上した。 16日打ち合わせがあったりライブハウスへ行ったり。 17日、下北沢Qlub Queでライブ。サーキットイベントだったんだけど、転換中のリハーサルで自分たちの曲をやってはいけないというルールがあったため、さらっと音出ししてリハーサルは終了。僕はそのままデイドリームビリーバーを弾き語りで始めて気付いたら手拍子がおきていて気付いたらお客さんもみんな歌っていた。ニコニコしていた。ライブが始まると暑かった。泣いてる人がいた。笑ってる人がいた。最後にステージ袖にいたキューのスタッフのお兄さんを真ん中に連れてきて汗ぶしゃーってやったらお兄さんの頭と僕のおでこがごっつんこ。「パンッッッッ!!!」ってやばい音がして、「あ、意識飛びそう」と一瞬で思ってもう次の瞬間には倒れていた。本当にやばい音がして、おでこ割れたかと思った。あれ、何をしたかったんだろう。なんだったんだろう。。楽器片付けて楽屋戻ったらおでこがすごく腫れていて内出血していて、もういろいろ意味わからなかった。何にせよ、あんなにたくさんの会場があってたくさんのアーティストが出るイベントで、僕らを選んでもらえたってことはとても幸せで嬉しいことで、本当に来てくれた方に感謝です。ありがとう。ライブが終わって、ラブ人間の機材おろしを手伝った。それから撮影隊のフウコの待つ場所までラブ人間のはるかに送ってもらった。運転席にいるはるかが、助手席にいる僕に言ってくれた言葉が嬉しかった。フウコのところについて、はるかとバイバイ。ラブ人間の車を借りて、僕らだけの短くて遠いツアーが始まった。車には僕ら四人とカメラマンのフウコ。18時過ぎに東京世田谷区を出発。首都高が嫌だっ

近くて遠い

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1日、神戸VARIT. 神戸についてまっすぐバリットへ。初めての場所。なかなかいい感じのところだった。ついたらロック大臣ズがリハーサルをしてる。そのあと僕らがリハーサルをした。リハーサルが終わって新しいズボンを買いに行った。ライブハウスに戻り、トムボーイズのTシャツを買う。トムボーイズは面識はあったものの、ライブは見たことがなくて、今回こうして対バンの機会に巡り会えてよかった。楽屋で大臣ズのけんけんが、エレキギターで、小さな声で何かを口ずさんでいて、それがあまりにもいい歌だったもんで、「誰の歌?」と僕はきいた。けんけんは、「新曲なんだ」と答えた。新曲がいいバンドは、いい。ライブも最高だった。僕らも。そしてトムボーイズと。トムボーイズの「17歳のうたがあって、久しぶりにやります」といって始まったあの歌。めちゃめちゃかっこよくて感動して、彼女たちのことが羨ましくなった。トムボーイズのライブを、フロアからキラキラした目で眺めている女のコの姿が印象的だった。トムボーイズ札幌来てほしいな、札幌にはいない感じだし。ベースの子最高だった。  2日、人性補欠の桑さんと梅田で合流し、少しコーヒーを飲んでから、タワレコへベランパレードとAOIのインストアを見に行った。 そこで、一人の女の子が声をかけてくれて少し話をした。その子は、バンドをやっていて、でも思い通りにいかなくて、モヤモヤしているようだった。僕は特にこれといったことは言えなかったけど、闘ってるのはみんな同じである。みんなそれぞれで何かと闘っている。あの子が、どうか音楽を嫌いになりませんように。あの子のメンバーが音楽を嫌いになりませんように、そう願うばかりだった。 3日、OTODAMA'16。 朝早くに宿を出て、会場へ。着いたらキュウソのメンバーが裏で待機してて、少し挨拶をして。それからセッチューフリーテントへ。一番目のベランパレードが「今日は寝らずに頑張るつもり」と歌ってるとこだった。気づいた人がいたかどうかわからないけど、セッチューフリーテントのステージが今までより広くなっていた。照明が、今まで蛍光灯のみだったのに、2灯明かりが吊るされていた。音響設備が少しレベルアップしていた。確実に、主催の清水音泉に声が届いている証拠だと思った。僕らの声が、お客さんの声が。怒涛のライブが繰り広げられてゆく。後半にさしかかり、セ

今もなお忘れられずにここに立っています

何もなかったなんてことは、絶対にない。まったく投稿することができていなかったけれども、無事に8月を終えれたことに少しホッとしている自分がいます。 21日下北沢でラブ人間とひゅーいさんのツアーファイナルがあって。暑い日だった。ひゅーいさんのライブを見てて涙が出た。「花瓶の花」を、1番丸々お客さんがみんなで歌っていて。あんな綺麗で美しくて張りつめていて穏やかな景色と歌は、なかなか見ることも聴けることも少ない。さっきまで僕がいた場所で、ひゅーいさんはひとりで立っていた。時間は一瞬で駆けてゆき、塗り替えられては蘇り、また進んでいく。僕がずっと探してるものを頭に思い浮かべながら聴いてしまったが故に、涙がこぼれた次第です。 22日、東京の朝はどしゃ降り。ラブ人間ツネさんが車を出してくれて、ツネさんに運転してもらい撮影のフウコさんも一緒に6人で名古屋へ。高速、最初のパーキングでお弁当を買った。するとツネさんに「次のサービスエリアでめっちゃ美味しいラーメン食べれるから食べよう」と言われた。僕は、お弁当を買っていたので、とりあえず車の中でお弁当を食べた。しばらくしてそのサービスエリアに到着。僕はお弁当を食べたばかりだったけれど全然お腹いっぱいになっていなかったので、ラーメンも食べた。すごくおいしかった。フウコさんが遠い目をしながら「さっきお弁当食べてたじゃないですか…」と言ってきた。名古屋に着いて、リハして、ライブ。名古屋で初めてライブをした場所クラブロックンロール。随分久しぶりに来た。話したいこと、歌いたいこと、たくさんあって、30分に詰め込んだ。僕たちの約束に、作り話など、嘘など、なかったのだ。それだけはどうしても伝えたかった。あっという間に過ぎ去った時間に、僕は最高の気分であった。終演後話しかけてくれた女の子が「私いま名古屋に住んでるんですけど地元が中標津で、中小、N中です。お母さんの職場にシンゴさんの同級生の方がいて、卒業アルバム見せてもらいました。シンゴさんご飯持ってました」と言われた。ここ数年、中標津出身者によく会う。もっともっと、中標津の風に、星に、なりたいものだ。ライブが終わって、ひかさ共々、味仙という中華料理屋さんへ行った。台湾ラーメンという辛いラーメンが有名で。僕は辛いのが苦手だから嫌だったんだけど、せっかく名古屋だし、一度は食べないとなと思いつつ、でも一杯も