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ENDROLL AFTER SCHOOL 2020に向けて

2018年3月1日に、新しいイベントをやってみた。 ENDROLL AFTER SCHOOLというイベント。多くの高校で卒業式が開かれる3月1日の夕方から、最後の放課後のエンドロールがライブハウスで流れたら、どんな奇跡が起こるだろうかと思ってこのイベントを思いついた。 ド派手な高校生活を送った人もいれば、1年経たずにやめた人もいるし、部活動に打ち込んだ人もいれば、バイトに明け暮れる人もいる。友達と仲良くやれは人もいれば、全員ムカつくなって思う人もいる。どれが良くて、どれが悪いとかじゃなくて、今この年代を生きてるのは間違いないからだったらせめてこんな一日あってもいいじゃんかって気持ち。 卒業アルバムの寄せ書きの数じゃなくて、プリクラの数じゃなくて、友達の数じゃなくて、ちっぽけな放課後を爆音でやってみるのはどうかなっていう提案。 いろんな気持ちで過ごしてきた色んな学校の奴らが、それぞれの気持ちやそれぞれの学校生活を馬鹿にすることなく、最後に学校飛び出してライブハウスでかっこよく放課後のエンドロールを過ごす。一二年生は、来年再来年どう過ごそうかなって気合い入れる。 こういうの、高校生のときやりたくて、でもできなくて、あれから12年くらい経って今俺やってる。あの頃のどうしようもない気持ち、全然忘れてない。何も変わらない。 高校生以下は、入場無料。学校辞めた人も、状況話してくれれば無料にする。 友達いなくてもいい、一人だっていい、ライブハウスってとこ行ったことないけどこの機会に行ってみようかなってもし思ってくれるなら大歓迎、俺が絶対なんとかする。 ロックとかそういうの興味なくても、ライブってものには行ってみたいなって人がいるならそれも大大大歓迎だ。俺が全部最高にする、というか、全員で最高にしたい。 そして、共演者を募集している。共に作りあげてくれる共演者。 2018年は、KALMA、クロロフィルム、a-sobiの3組が応募してくれて出てくれた。いま、ボイガルのHPから募集中です。オリジナルバンドでも、コピーバンドでも、弾き語りでも、いい。お笑いとかでもいいんだ。見切り発車でも構わない、一緒にアホやりたい人。 もし、近くにそういう人いたら、話してみてよ。それか教えてくれ、俺からアタックもできる。 既にいくつか応募がきている、そのメ

目覚ましが鳴るよ

僕らは真逆だった。 2011年に札幌でこのバンドを始めた僕にとって、本棚のモヨコというバンドが唯一の同期と呼べるバンドだった。メンバーたちの歳も同じで、同じ頃に始めたバンドは、モヨコだけだった。いつぞやのmoleで、爆弾ジョニーのりょーめーが、「シンゴくん、みおちゃんがモヨコってさあ、そんなの最高に決まってるじゃんね。森くんの歌をみおちゃんが叩くなんて、ずるくない?」って言ってきたのを鮮明に覚えてる。 モヨコと僕は、聞いてきた音楽もそりゃある程度同じだったし、好きな音楽も同じだったように思う。GOING STEADYに本気でなれると思っていたし、アコギはゆずが教えてくれたし、クリスマスイブRapは歌詞を見なくてもそらで歌えるのが僕らの最低条件だ。 ただ、自分でやる音楽・やれる音楽となると、僕と森くんは大きく違った。 僕には「熱い」「まっすぐ」「等身大」というワードがわかりやすくずっとまとわりついてきて、それがいつも嫌だった。というかそれこそ、モヨコに、森くんにこそ言える言葉じゃないかと、僕はいつもそんな風に思っていた。僕は熱くないし、まっすぐじゃないし、かっこつけている。そんな言葉で括ってくる人には、いつも心の中で唾を吐いていた。 モヨコの周りにいるバンドたちはみんなカッコ良くて刺激的だった。僕はそれをいつも少し離れたところから指を加えて見ていた。だけど森くんは、僕に構ってくれた。決して仲良しではなかったように思うけど、節目節目で、僕らはそれぞれに何かあるときに、4.5時間二人きりで語らう仲だった。ファストフードや、公園、喫茶店。 札幌で月に5.6回一緒のライブに出ることなんてざらにあったな。 コロニーで中打ち、終電ないからそれから朝までうち、そんな夜もあった。 仲間だと思って、ずっと一緒だと思って、そんな偽物の安心を僕が被っている間に、モヨコはどんどん飛び出していった。メンバーがやめるとか、東京にいくとか、事務所がなんとかとか、ライブがどうとか、なんとかかんとか、「バンド」ってやつをしていた。かく言うこっちは、平凡な日々だった。あいつらとは違うんだという気持ちがどんどん大きくなればなるほど、比べる時間は増えた。爆弾もモヨコも、気づいたら先を行って、見えなくなっていた。いつからか、追うことをやめてからは、少し楽になった。 もう、何年

少年少女の星屑を集める

来年4月29日、実に2年8ヶ月ぶりに発売する3枚目のアルバムのタイトルは「大切にしたいこと」にした。小さなことから大きなことまで。派手なものからほつれた裾のようなものまで。 この「大切にしたいこと」を持って回るツアーは、ワンマンで回ることにした。今年は明転という名前で対バンありで回ってきたし、来年はまた挑戦、ドアをあける。 47都道府県、回れるわけがなかった。 沢山考えて、決めた箇所は13会場。 1本目、5月16日(土)札幌KLUB COUNTER ACTION 高校を卒業して人生で初めて足を踏み入れた場所が、カウンターアクションだった。僕の地元にはライブハウスはなかったから、初めて入った時は本当に怖かった。札幌に出てきてりゅうたってやつと友達になって、りゅうたがカウンターに連れて行ってくれたあの日の衝撃は、言葉では言い表せれないな。確か6組くらい出てて、1バンドも1曲も知らない状態で行ったのに、生身のロックンロールに心奪われてしまって。あの日トリで出ていたJET THUNDERSにメロメロになって。それから4年後ボイガルを始めて、遂にカウンターのステージに立つ日が来て、それはJET THUNDERSのイベントであの日と同じイベントで。それから8年経って、THE BOYS&GIRLSはメンバーがやめて僕1人になって、サポートメンバーに手伝ってもらいながら活動をすぐ始めて、その最初のライブが今年4月のカウンターで。来年ワンマンツアーやってやるぞってなって、初日どこにしようってなって、カウンターがいいって言って。ステージも低い、柵もない、爆音、あの日の自分が見にくる。 2本目、5月23日(土)福岡Queblick 音楽をやっていなければ行くことなんてあるんだろうかっていう街がほとんど。福岡に初めて行ったのは2014年12月、「歩く日々ソング」というシングルのキャンペーンでトモヤさんと2人で行った時。ラジオの公開収録、福岡に住んでいる女の子が2人、嬉しかった。元気にしてるんだろうか。宝くじ売り場の前で路上、寒い日だった。いっきが貸してくれたアコギ 、いい音だった。悔しかったなオンタク。プラネタリウムで歌ったりもして。トモヤさんと2人で行った屋台で出会った大学生、京都から来てたって言ってたっけ。ポッポコピーとの邂逅、風街、福岡好きすぎてラ

遠くない未来まで届けられるかな

いつも通り特になにも考えずに、ペニーレーンに向かった。 振り返ればいくらでも出てくるけど、ちゃんと自分でわかってる。 一歩先へ行きたかった。 ペニーレーンに着くと、COLONYの照明のミッチェさんがいた。夏頃生まれた赤ちゃんを抱いて、わざわざ来てくれた 。3月のペニーレーンのワンマンはミッチェさんが照明をしてくれて、その日の打ち上げで子供が生まれることを教えてくれた。赤ちゃんはおとなしくて、お利口さんだねえなんて言って。おっきい人間たちに囲まれてきょろきょろしていて、でも泣くこともなくたまーに少し笑ったような顔を見せてくれてかわいかった。なぜか辻を見た時だけ爆笑していたのがよかった、身長同じくらいだったな。ミッチェさんは、シンゴ頑張ってねと言って、ボイガルのラバーキーホルダーをつけた子供を抱いて帰っていった。 FREE KICKのゆうきさんとひできさんが来た。対バンした回数も決して多くはないしけど気づけばいつもこうして気にかけてくれて、顔出してくれて、見てくれる。大切で大好きな北海道の先輩。最高のバンド。「やっぱR-1だよなと思って」といって、2人はお酒とR-1をくれた。 マイアミパーティのドラム、ユウくんが来た。ユウくんは、このバンドの東京サポートとしてこの半年ドラムを叩いてくれた。奇しくもマイアミも札幌でライブで、自分の会場入りの前にわざわざ寄ってくれた。オロナミンCと、ファイブミニ。一気に飲み干して僕はリハーサルに入った。 リハーサルは予定していた時間ギリギリまで使った。1年で3回目のペニーレーンのワンマン、見慣れたわけではないけど見覚えははっきりとある。だけど、サポートメンバーのふるさんも三角もポルノもペニーレーンのステージに立つのは初めてで、なんなら3人はワンマンライブ自体が初めてと言っていた。本番までに身体中に染み込ませるんだ、この空っぽのフロアと匂いを。そして明転すれば、そこに本物ってやつがある。 リハーサルが終わって楽屋に戻って色々確認して、急いで会場BGMの整理。ここにきてパソコンの調子が悪くなり楽屋でどんがらがっしゃん。オープン時間が6.7分遅れてしまったのは僕のせいです、寒い中並んでたみんな、本当に申し訳ない。会場BGMは、この明転ツアーに出演してくれたバンド達の曲で。ほんの少し、各地のことを思い出した。 楽屋

傷だらけにて

「スマートフォンは機内モードにしてください」 と言われたので、投稿画面を開いた状態で機内モードにしたところ。空の上でゆっくりブログを打ち込もうとおもう。長くなりそうだ。翼にはハートマーク。 12/7 「下北沢にて」というイベント。主催のTHEラブ人間に心から感謝。 ラブ人間も下にても10周年。想像でしかないけど、死にたくなる夜なんてきっと、幾つもあったろうな。 朝、雨が降っていた。 2日に東京についてから、ほぼファミリーマートで買えるものしか食べていなかった。これが東京というものである。朝ファミリーマートで何か買って食べて、夜ファミリーマートで何か買って食べて。セイコマが泣いている。 午前11時頃、ラブ人間のツネさんから電話がきた。 ツネさんの第一声。「シンゴおはよう、あのさ、歌える?」。これは即ち、「(ボイガルの出番以外で歌ってほしいんだけど)歌える?」という意味であると、0.0001コンマで気づく。 僕は「歌えますよ。どこで何時ですか?」と食い気味で答えた。 歌えるに決まってる。 どうやらFINLANDSの冬湖ちゃんが体調不良でキャンセルになってしまったらしく、その時間を歌ってほしいとのことだった。歌えるに決まってる。 12時にトップバッターのラブ人間を見にいきたかったからとりあえず準備して下北沢GARDENに行った。最初は全部見るつもりだったが、僕にはやるべきことがある。ラブ人間の一曲目を見て、会場を出て宿に戻った。アコギは持ってきていなかったのでエレキでやることにした。30分ほどジャカジャカして、すぐ準備して会場の下北沢ERAに向かった。雨が、止みそうだった。近松スタッフの斉藤が「シンゴさんよろしくお願いします」と、階段の踊り場で僕に言う。到着はギリギリになって、すぐ転換の時間になった。 会場MCとしてチェコのマイちゃんが担当していて、久しぶりの再会は嬉しかった。 何曲やったかは覚えていないけど、40分ぴったりびっちり歌った。たくさんの人が来てくれて嬉しかったな。 ラブ人間を途中で切り上げ宿に戻ってERAに向かうまでの30分、A4の紙にとりあえず歌詞を書いて、それからステージに上がるまでの間ずっと聴き続けた。FINLANDSの「オーバーナイト」を最後に歌わせてもらった勝手に。乗せる冬湖ちゃんの痛み、原曲キーで歌っ

昨夜はひどいことを言ってすまなかった

2日から東京に来ているんだけど、やっぱり全然北海道と違う。 今日はパーカーだけでも外を歩くにはちょうどいいくらいだった。ただ、気づいたら空が真っ暗になっているのは、どこにいても同じなんだなと思った。多少の時間差はあれど、ここもそこも、明るくなっては暗くなる。さっきまでの茜色、誰に消されたんだろうな。 外が暗くなってることに気づいて、背中で窓の外を感じながら、なんてひどいことを言ってしまったんだろうと昨日の自分を思い出して情けなくなった。顔を合わせれるときには、あの時はひどいことを言ってしまった、ごめんねって、ちゃんと言おう。ありがとうとごめんね、絶対なくしてはいけない。 ライブの曲順はいつも、ギリギリにならないと決めれない。 リハーサルの時に決まってないなんてことはざらにあるし、前のバンドが終わってステージ転換するときにセットリストをメンバーに渡したことも過去にはあった。そういう時でも、俺の小さなアクションを察知して曲はしっかりと繋がっていった。 その日の会場の空気や、そこまでの出演者のライブによる感情の渦、自分のステージにはなるべくこぼさないように反映させたい。どうでもいいって時もあるけど。でも、なるべく。自分でも、ライブってものにワクワクしたいのである。 今年は、新体制になり今までとは全く状況が変わった。それが、本当に楽しかった。楽しかったという言い方があってるのかはわからないけど、ずっとワクワクしている。しんどい時もあった。だけど、俺を一人にしてくれる瞬間を音楽の中で確かに作ってくれるサポートメンバーたちのおかげで、ずっとワクワクしている。 今週末、東京でライブが二本ある。曲順は昨日決めて東京メンバーたちに送った。 イメージをした。小さな小さな世界の隅っこで、俺たちはど真ん中を歌おう。 9日後、ツアーファイナル、札幌PENNY LANE 24でワンマンライブ。 曲順は先日決めて、札幌メンバーに発表した。ホワイトボードに順番に書かれていくタイトルを見ながら、いいリアクションをしていた。集大成で上等、俺たちは強くなった。だけど忘れない、あくまで、この日だけのページをしっかりと大放出すること。そして、それまでのページもちゃんと繋がってることを。 思えば、「陽炎」という1曲が、本当にこのバンドを救ってくれた。 ぴったりちょうど1