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はじめての気持ち

今日、「シンゴさん、もう着くはずです、どこだろう、とりあえず叫んでいい?」って電話で言われたから、「叫ぶな」と伝えた。 電話が切れて、1分後くらいに向こうから、「シンゴさーん!!」と案の定叫びながらギター背負ったタートルテイルの龍太郎が来た。叫ぶなって言っただろ。 少し話して、じゃあおつかれっす!とあいつは逆方向に歩いて行った。別れ際にあいつはなにかを歌っていた。アップタウンガールかなんかだった気がしたけど、違うかも。でもなんか歌ってた。とりあえずビリージョエル聴きながらこのブログを打つ。 そんな龍太郎がXに「ライブの余韻に浸るのは女々しい気がして好きじゃないけど、一昨日ほんとに楽しかった」という投稿を7月2日にしていた。俺は、11日経ったいまでも、浸りまくっている。こんな気持ちははじめてだ。 6月30日に開催した『DO YOU KNOW 2024』というイベントは、自分で主催したからってのもあるかもだけど、なんかほんとに、とにかくめちゃくちゃいい1日だった。 『同じ日に複数のライブハウスで同時に開催され、バンドが何組も出る、お客さんは行ったり来たりしながらライブを楽しむ』。そんな、いわゆるサーキットイベントってやつを、まさか自分が「やりたい」という気持ちになること自体奇跡に近かった。同じレーベルのラブ人間もメメタァも東京でやってるし、全国にもサーキットイベントは溢れてて、もちろん札幌にだっていくつかあって、わざわざ自分でやりたいなんて思ったことがなかった。 そんな俺がこんな気持ちになったのも、周りのバンドたちのおかげだし、支えてくれたスタッフやメンバーたちのおかげだし、ボイガルを生活の中に混ぜてくれる方達のおかげ。いつもありがとう。 レーベルメイトであるラブ人間の『下北沢にて』、メメタァの『メメフェス』という先輩サーキットがあるから、レーベルスタッフ的にはサーキットやる上でのノウハウみたいのものが既に土台としてあって、それらを教えてもらいながら色々反映させながら、それでも札幌だからこそのやり方や空気感、ボイガルだからこその1日になるように意識して進めてきた。イベントの形式に大きな違いはないけど、小さなところや細かいところで、DO YOU KNOWにしかないものをちゃんと出したかった。 今回、札幌ミュージック&ダンス・放送専門学校の学生チーム『DO CREW』のメン

どういうの

ボイガル始める前にやってたバンドで、ライブのたびに「札幌から来ました」といつも言っていた。そのバンドでは北海道を出たことがなかったし、そもそもライブの8〜9割は札幌だったけど、いつもそう言っていた。 ギャグのつもりで言ってたわけではなかったけど、特にこれといった強い意味もなかった。 それを言えばなぜかなんとなくウケていたし、そんなこと言ってる先輩も周りにはいなかったので、なんとなく言い続けていた。周りがどう思っていても、自分が何も思っていなくても、結構どうでも良かった。 そのバンドが解散して、すぐボイガルを始める準備をしていた。THE BOYS&GIRLSの初ライブは2011年3月21日、今はなき札幌COLONYというライブハウス。 この日も、「札幌から来ました」と言った。 ギャグのつもりで言ってたわけではなかったけど特にこれといった強い意味もなかったはずだった。それを言えばなんとなくウケていたしそんなこと言ってる先輩もいなかった、だからこそぽろっと出てくるような言葉なはずだった。 だけどなんか、なんとなくそれまでと違うような感覚があった。言った後に、「いやそうじゃん」ってふと我に返るような、そんな感覚だった。 俺たちは札幌から来たんだ。そうじゃん。 それから結局ずっと、言い続けてる。特にこれといった強い意味は今もないけれど、なんだかんだで言い続けている。札幌のライブの時も、リハーサルを始める時も言っている。 と、言いつつ、札幌はもちろん北海道のこと、俺全然知らない。コロナ禍以降でそれに直面してしまった。行けていない道内のライブハウス、バンド、空気感とかドリンクチケットとか、最寄り駅が改装したこととか、俺いま全然分かってないじゃんってなった。全然知らないじゃんってなった。だから、ちゃんと自分で手繰り寄せるように知りに行かなきゃと思って、2022年に北海道のバンドと北海道のライブハウスに行く『DO YOU KNOW』というツアーを開催した。対バンしたことあるとかないとかは置いておいて、教えてもらったバンドや自分で偶然知って気になっているバンド、とにかく北海道にこだわって開催した。 2022年、2023年と開催して、個人的には本当に得るものがあった。こんなバンドが北海道にいたなんてと目をキラキラさせながら話してくれたお客さんがいたこと、素敵なバンドを連れてきてく

苦手

今年は調子いいと思ってたけど、やっぱり9月は苦手なままだった。油断していた。 楽しかったこと、日々の出来事、会った人、話したこと、過ごした時間、まるでアクセサリーのようにステータスにして見せびらかすように必死になってる人が一番嫌いだ。そういう人はその感じの悪さに、自分じゃ気づかないんだ。思い出にしたり記録として残したり記憶として刻んだりするのと、「それ」は、全然意味合いが違うし見え方も違う。 そして俺は自分でそう思いながらも、結局自分だってそれに該当しているんだろうなと帰り道に思った。情けないったらありゃしない。ぶん殴りたい。 こんなにむずかしくて、こんなに伝わらないんだ。一瞬で角度は変わって、突然ふりだしにもどったりする。 伝えようとしても届かないのだ。今までそんなの何度もあった。9月のせいにするのもおかしな話だけど、9月が苦手だ。結局こうなるのはいつも9月。 明日からの3本に向けてメンバーとスタジオ、あっという間に時間は過ぎて絶好調。終わって「よし明日からもぶちかますぞ」なんて言ってみんなと別れたのに、ひとり帰ればすぐこれだ。自分の器の小ささに嫌気がさす。 なんでもいいからなんか食べようと思って、ラーメン屋まで歩いたら臨時休業。仕方ないと思って近くの定食屋まで歩いたら「弁当の注文入ってるから30分以上かかる」と言われ退店。結局コンビニでお弁当とおにぎり買ってイートインスペースで食べる。おにぎりはうまく開封できず手がベトベトになった。奥の席でサラリーマンが電話口に向かって怒ってた。食べ終わったゴミを捨てようと思ったらゴミ箱がパンパンで捨てれなくて持って帰ってきた。猫に引っ掻かれ、手首より少し下がったところに3本深めの傷ができて、血が数分止まらなかった。水で軽く流すと、電流が走るように傷にしみ込んで痛かった。 全部難しい。言葉が喉の奥で詰まって、出てくる前に粉々に砕けて消える。でもがんばりたいと思ってるし、全然元気。明日からツアー再開、明日は仙台で初めてのワンマン、明後日は7年ぶりに福島でライブ。楽しんでもらえるように、胸を張ってステージにあがる。 明々後日は炙りなタウンが呼んでくれて10年ぶりに水戸でライブ。連れて行ってくれてありがとうだ。 しかし9月苦手だなあ。 崩れてく音がするのは、いっつも9月。

大人に負けない眼差しの彼方

いてもたってもいられないので、この気持ちを文字にすべく飛び込んだ喫茶店にて今あったことをダーッとブログに残す。携帯の電池は残り18%、打ち終わるのが早いか、充電が切れるのが早いか。どっちかな。 16日から20日までの東京5日間を終え、ついさっき、15時半くらいに札幌に帰ってきた。部屋について荷物をおろして、猫を撫でてご飯とお水を入れ替えてトイレの処理をして、ポスターを持って16時前に家を出た。 今月から始まった全国ツアー「FALL TIME BEST」のポスターを貼ってくれるところをTwitterで募集していて、それを見て「貼れます!」とメールを送ってくれた方と連絡をとっていた。今日の16時半に約束をしていたので、少し早歩きで向かった。 「正門まで来てください!」 と最後のメールに書いてあったので、正門に向かう。今日の約束の相手は、高校生。 「先生の許可も取れてます!」と事前のやりとりで確認していたので、うれしかった。 正門に着くと、メールを送ってくれた女の子とお友達が2人で駆け寄ってきて、初めましてと挨拶。その子はThe FloorのTシャツを着ていた。 するとその子が「シンゴさん、すみません。」と言う。 「ポスター、最初貼れるって聞いてたんですけど、色々話していると、どうやら校長先生にちゃんと許可とれないとダメみたいでした。校長先生までは許可取れてなくて…すみません」 と教えてくれた。 いいんだよ、謝ることなんてないよ。もう十分嬉しいよ、ありがとう。心の底からそう思った。 彼女は「でも」と言って、こう続ける。 「私たち、みんなから名前集めたんです!どうしても貼りたいから力になれるならなりたいから、こんなに応援してるんだってことを伝えたいから何になるかわからないけど、名前集めたんです!で、今校長先生会議中らしくて、それ終わるの待ってます。終わったらその署名たち持って、直談判してこようかと思ってます!!…だけど、貼れないかもしれないから…そのときはすみません…。」 と言う。 胸がギュッてなって、 奥歯のもっと奥の方が軋んで、 喉が詰まるのがわかった。 一瞬で色んなことが頭をめぐって、でも、声にならなくて、僕は「ありがとうほんとに。大丈夫だよ、ありがとう」みたいなことしか最初言えなかった。 自分が高校生の頃、何かを変えたいとか何かをしたいとかこんなことをしてみたいとか

僕等の好きなもの

中標津町という小さな町で生まれ育った。北海道の道東に位置していて、札幌からは車で6時間くらい。時間でいうと、東京から大阪くらいか。それでも、札幌も中標津も同じ北海道ってんだから、本当に広いな北海道は。その中標津町で『SHIRUBE 2022』というフェスを開催してから、ちょうど1年が経った。あの激動の日々は、振り返るだけでパワーが必要なので、あんまり振り返らずにいた。そんなことをしなくても、いたるところに全部染み込んでいる。 『SHIRUBE 2022』とほぼ同タイミングで『ユアキャンバス』という本当に大好きで最高な4枚目のアルバムが発売したから、あれからも1年が経ったってことか。ユアキャンバスを携え回ったツアーは、今まで回ったいくつかのツアーのどれとも違く、アルバムリリースの全国ツアーとして本当にどの瞬間も美しくて、ふとした時にすぐ思い出している。YouTubeにアップしている各公演のダイジェスト動画も結構見ている。アルバムは自信作だったし、ツアーも最高だったからこそ、11月19日セミファイナルの札幌PENNY LANE 24のワンマン、埋めれなかったのは本当に悔しかった。何回言うのよって感じだけど、俺はこの街のバンドなのでいつまでも言う。ライブはバカほど最高だった、だからこそだ。ファイナルはリキッドルームでワンマン、THA BLUE HERBがいつもやるところだ。足が震えた、当たり前だがライブは最高だった。ビールが美味かった。 2020年、3枚目のアルバム『大切にしたいこと』をリリースして、ボイガルは初めての全国ワンマンツアーをやろうとしていた。そのツアーの初日が、旧KLUB COUNTER ACTIONだった。結果的にコロナでツアーは全て中止になり、その全箇所分のワンマン公演を札幌moleから無観客の生配信でやろうと切り替えた。13公演分。毎公演、そのライブハウスの看板をでっかいプラスチックダンボールに手書きで再現して、moleのステージに飾ってライブした。 んで、その配信ツアーでは本来初日だったカウンターのワンマンをファイナルにして、カウンターはカウンターからやろうとなった。10何年も前に人生で初めて入ったライブハウス、カウンターでワンマンやってますって言えるバンドになれるなんて、こんなに心強いワードない。 そんな初めてのカウンターでのワンマンは無観客だった

走る快速エアポートの中より

東京に向けて札幌の部屋を出発。 明日は代官山UNITで、自主企画「ノロシヲアゲロ6」が控えてる。会場入りする時間も早いので、今日のうちから東京に入る。 ゴールデンウィークはいつも、新宿JAMのJAM FESに出ていた。もう、何年も出ていない。1日に3回、昼と夜と早朝、心も身体もすり減らしながら何度もステージに立った。朝方5時、新宿JAMに120人のお客さんがボイガルのライブを見にきてくれた時の光景は、今も覚えている。 ステージにいられなくなり、最後の曲がまだ終わるまえにステージを降り、号泣しながら過呼吸になりながらあの狭い廊下に倒れこみ、そんな俺を泰雅くんが抱きしめてくれていたのも覚えている。 それでも、飛行機代のバカ高いゴールデンウィークに東京に行き、どこを観光するでもなく朝から晩までJAMにいて、時には朝から朝までJAMにいて、スタジオで仮眠して、漫画喫茶でシャワーを浴びて、最後みんなで号泣していたあの日々が、今でも俺の手を引いてくれる。 2020年4月、自主企画「ノロシヲアゲロ4」を代官山UNITで開催予定だったけど、コロナの影響もあり中止にした。まあ、仕方なかった。仕方なかったんだあれは。 2022年3月、自主企画「ノロシヲアゲロ5」を大阪で開催した。4に出演予定だった、motherと花柄ランタンが出てくれて、3マン。あの日俺はライブで着るTシャツを、サポートメンバーのみんなに書いてもらった。 ユアキャンバスの発表をした日だった。 コロナ禍を彷徨いながら、何ができるか、今なら何ができるかっていう、そんな狼煙だった。何かを変えたかったのは事実だった。あの日のmother、そして花柄ランタンから、勇気をもらったんだ。 明日は自主企画「ノロシヲアゲロ6」、代官山UNITで開催する。もちろん、4のリベンジの気持ちも当たり前にある。あるけど、あの日と同じ出演者ではないし、俺たちには俺たちの現在地があるから、最新まっさらな気持ちで「6」を開催する。 4に出演予定で今回残念ながら出れないズーカラデルとサリバンとKiNGONSとは、またどこかで。mother、SEVENTTEN AGAiN、ナードマグネット、花柄ランタン、FINLANDS、ircle、ハルカミライは、中止になった4を超えて6まで来てくれた。そして新たに炙りなタウンと39degrees、なんにも気にせず、いつ

最近

2023年の4分の1が、あっという間に終わっていた。はや。 ENDROLL AFTER SCHOOLから、1ヶ月経ってる?うっそだあ。 「みはるの頃」配信リリースしてもうすぐ2ヶ月?またまたあ。 駆け足すぎる。このまま気づいたら40歳になっているのかなあ。 最近、毎ライブ、泣きそうになる。 その日がどんなイベントか、そこがどんな場所か、共演者たちがどんなライブをしているか、仲間たちがどんな表情をしているか、とか、一つのステージに纏わるあらゆることをなるべくこぼさないように自分の中に染み込ませて、マイクに向かっている。今までもそうしてきたつもりだけど、最近、特にそれが自分の中で強くできている。強くできているってなんだろう。 でも、強くできている。そんな気がする。 自分は、ロックをやっている。ロックが好きだから。 だから、ロックを好きな人たちにもっともっと見てほしいなと思う。こういうロックはどうだろうって。 そして、ロックが好きじゃない人にももっともっと見てほしいなとも思う。こういうロックはどうだろうって。 音楽あんまり興味ないって人には、もっともっと見てほしいなと思う。こういう瞬間があるのはどうだろうって。 自分は札幌でロックバンドをやっている。 札幌でという言い方が合ってるかわからないけど、札幌で暮らしながら札幌を拠点にロックをやっている。ロックが好きだし、札幌が好きだから。 でも、今では好きな街がいくつもできた。ロックをやっていなかったら、こんなことは思わなかっただろうなと思う。 バンドは、13年目に突入した。 22歳ではじめたバンド、毎年色んな出会いがある。よく「何年周期でお客さんは入れ替わる」という話を聞く。何年だっけ、3年だっけな。そういうの聞くたびに、そうなんですねと言いながら「なぁに言ってんだか」と心の中で思っている。そういうこと言う人は、寂しい人だなと思う。ライブハウスに来なくなった人のこと、自分のライブに来なくなった人のことを、なんだと思ってる? 入れ替わるもクソもない。みんな生きている。死んでしまった人もいる。 好きな食べ物も嫌いな食べ物も変わる。人生も変わる。 生活が変わりリズムも変わる。大切にすることの優先順位も変わる。体調も変わる。病気にもなる。 ボーイもガールも、なんだってんだ。 飛びたきゃとべばいい。泣きたきゃ泣けばいい。上げたきゃ上げれ

放課後の思い出

いまだに思い出すだけで、ぽろぽろ涙が出てくる。 情けないったらありゃしない。いつまでも変われないね。 3月1日、水曜日。 札幌moleにて、THE BOYS&GIRLS企画「ENDROLL AFTER SCHOOL 2023」が無事開催された。 3月1日という日は、全部ではないけど、多くの高校が卒業式を迎える日。3年生にとってその日の放課後が最後の放課後になる。その最後の放課後に流れる最後のエンドロールの正体を、学校飛び出してライブハウスに探しにいくのはどうだろういうもの。そこにはもちろん後輩たちもいて、こんな放課後もあるんだって体感したり、とか。 自分が高校生の頃にしたくてもできなかったことを、ただやりたいなってところから、2018年に初めて開催した。今年、5年ぶり2回目の開催。2019年は、俺がこの時期に舞台の仕事が入ったためできなかった。2020年は開催直前でコロナ禍スタートで中止。2021年、2022年も色んな状況から断念。そして本当にようやく、今年開催。嬉しかった。 出演してくれるアーティストを募集。応募してきてくれたのは10組。 当初3~5組で考えていた。1組あたり25分オンステージの時間を与えるにはそのくらいの数が現実的。でも、なんか、もう無理、選ぶの。そういうの無理だった。 2018年の時を思い出した。初年度開催で何組かお断りしたこと。それこそ、先日のこのイベントでギターを弾いてくれたSULLIVAN's FUN CLUBのカズマなんて「俺2018年落選だったんだよ。あの時のシンゴさんからのメール、今も残してる。もう5年かあ」ってこの前見せてくれた。「そっか、そういえばそうだったな、ごめんな」って、笑った。 そう、あの時、結構きつかったんだ。 ほんで、今回出した判断は「全員出したい。全員出したいからみんなの持ち時間は10分にする。それでも全員出したい」というものだった。応募してくれたみんなに「持ち時間10分でもいいかな」というメールをすると、みんなから返ってきたのは「何分だっていい」という返信だった。北風と太陽以外、moleでライブやるの初めて。というかそもそも、“外でライブやるのほぼ初めて”という感じだった。 だからこそ、少しでもリハーサルも経験してほしくて、みんなが会場に到着できる時間を照らし合わせながらギチギチなタイムテーブルを

どんな絵を描いていくのだろう

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なかなかどうして、うまく眠れない。眠れないというか、「今寝れたい」というときに寝れないみたいな。朝方、カーテンの向こうがうっすらと青白くなってきてるのを感じて、「もうか」なんて思う。猫は俺の体に完全に身を委ね、頭から爪先まで伸びるだけ伸びた態勢で爆睡。重いし暑い。かわいい。その寝方、本当に寝やすいの?と聞いても、ゴロニャアとしか言わない。かわいい。俺はビジネスホテルがめちゃくちゃ好きで、一番寝れる。自分のものがなんにもないところが、逆にいいんだろうな。 アスファルトが白く覆われてきた。汽車も遅延し始めてきた。 全国ツアーが終わり、札幌に戻ってきて、それと同時にこの街にもしっかり冬が戻ってきたらしい。 6月に最高傑作「ユアキャンバス」発売。そこから「YOUR CANVAS TOUR 2022」がスタート。5ヶ月半の間、何度もこのアルバムに背中を押された。 6月19日、初日千葉LOOK。名物のデカポスター。ちょっとした諸事情があり、初日はアー写メインのデカポスター、2本目福岡公演以降はツアービジュアルのデカポスターも加えられ、デカポスター2つを千葉LOOKから受け取りツアーに回った。千葉LOOKの過去の歴史にもこんなことはないらしいし、おそらくこれが最初で最後だろうと言っていた。数々のロックバンドたちの歴史を、ボイガルが塗り替えた。時速36kmと共に、「この旅は終わらないのさ」と歌いながら、終わりに向かって走り出した。 汗っかきの俺には、5月から9月までの本州は夏である。7月9日、福岡Queblick、無論だらだら汗垂らしながら会場へ。もう何年もずっと気にしてくれていて、バンドがどうなってもいつも笑わせてくれる。遠く離れた街で、年に数回しか顔を合わせなくとも、紐がほどけるたびに結び直してきた。もしもいつかボイガルが、Queblickをソールドさせたら、首藤さんやキャサリンさんは何て言うだろうか。きっと、「調子に乗るなよ」って言葉の次に、ビール飲ませてくれる。そうに決まってる。化学反応を信じた最初の夜、初対バンのLONGMAN、思い出せばさみしくなる。この日の最後は、ボイガルの曲でもLONGMANの曲でもなく、10-FEETの曲をヒライくんと歌って終わった。ヒライくんが「10-FEETがルーツ」と話してくれたから。ステージ袖にはメンバー。フロアには何を見せられてんだって笑

ゴーストレート

6月から始まり、月に1~2本くらいのペースでゆっくり回っている「YOUR CANVAS TOUR 2022」、月が変わってしまったけれど、先月広島公演と神戸公演があった。 思い出すだけで、疲れてしまうような、そんな二日間だった。 18日、夜の便で俺たちは関西空港へ。 少し遅れた飛行機は、23時半くらいに着陸。そこで、東京から走ってきていた機材車に乗り込む。ツネさんとつじとPAのりんくんが待っていた。そこから車で約5時間、広島のホテルに着いたのは朝の5時くらいで、シャワーを浴びてすぐに寝た。 朝起きてカーテンを開けて、会場へ向けて出発。 車の中で智也さんの「手をつなごう」が流れた。つじが、智也さんのライブの時のように「まだサビじゃないですよ〜」と真似をしていた。 車の窓から見えた海が綺麗で、頭の中で「ウルトラマリン」が流れる。 「そうだ、今日はハルカミライとか」なんて思った。 YOUR CANVAS TOUR 2022、3本目、広島SIX ONE Live STARという初めての会場。 初めてだけど初めてじゃないというか、いや、完全に初めてなんだけどなんだか不思議な気持ちだった。 2020年、3枚目のアルバム「大切にしたいこと」をリリースして、ボイガルは全国ワンマンツアー「少年少女の星屑」を決めていた。広島も入っていて会場はBACK BEATというライブハウス、何度かお世話になっていた。しかし、コロナで星屑ツアーは中止、無観客生配信の全国ワンマンツアー「少年少女の灯火」に切り替えた。 灯火ツアーは、【中止になった星屑ツアーの全箇所分のワンマンを札幌から生配信でやり、終演後は会場の店長さんたちとリモートでアフタートークをする】というものだった。 広島BACK BEAT編も勿論あって、しっかりライブをした後、店長の藤堂さんとリモートでお話をした。「いつかまたバックビートに来てくださいね、待っています」と藤堂さんは言っていた。 2021年、シングル「town to town」のツアーで、改めて広島はBACK BEATを押さえた。ようやくバックビートに行ける。そう思っていた。しかし運命の悪戯か、バックビートは公演直前で閉店が決まった。そこまでドラマチックにしなくていいのにね。 バックビート閉店により急遽会場はバンキッシュ。あの日、PAはバックビートの金子さん、照明はバックビー